汚れ系とルーズ系。
去る8月1日、面白い顔合わせで飲んだ。おれのほかに3人、むさくるしい男ばかり。一人は初対面だが、おれは彼の親友とは知り合いで、いつか会いたいと思っていた。
ほかの二人は、それぞれには会ったり飲んだりしているが、3人顔を合わせるのは、かなりひさしぶりだ。かつては、よく飲んだりしていたのだが、近ごろはこのブログにも名前が登場しない、仲違いしたのかと思っている人もいるらしい。
もっとも近ごろは、どこで誰と飲んだなどは、あまり書かないようにしている。
それはともかく、場所は、神田小路。このメンツにはふさわしい場所だ。
何か用があってのことではなく、ただ成り行きで一杯やろうということになったのだから、こういう飲み会は、なかなかよい。
おれのほかの3人は、おれからいわせれば、かなり「奇妙な情熱にかられている人間」だ。それも、支配的なモノカルチャーの傾向とは反対に、「下層」や「汚れ」の方に情熱が向いている。ま、キレイなことには手を染められない、猥雑系ですね。
というわけで、気取った人たちが眉をひそめそうな健全な話に興じているうちに、時間が過ぎた。
昨日のことに関連するが、この4人、あまり売り上げにも利益にも貢献しない「生産性」の低い人間だ。なかでも、おれが年齢的にも最も生産性が低い。
それにしても、おれはここのところ「汚れカルチャー」から離れていたなと反省した。東京新聞の連載なんかやったり、たまにだがdancyuなんかにも書いたりしているから、知らず知らずのうちにそうなったのかな。旧活字文化系のメディアは、あいかわらずのモノカルチャーだから、飲みこまれやすい。気をつけよう。
今朝寝床の中で思い出したこと。
かつて「ルーズなシステム」がいわれたことがあった。「ルーズ」というと、善/悪二分法が主流の日本ではたいがい「悪」な扱いだが、ルーズなシステムとは「フレアー・スカート」のシステムであり、対極は「タイト・スカート」つまり「タイトなシステム」だ。善悪で片づけることではない。
それなのに、タイトな考えは、排除的になるから、ルーズは排除の対象でしかない。ルーズ=生産性低い=悪=排除、というわけだ。こういうモノカルチャーに対抗するには、もっとルーズに、もっと汚れ文化を、ということですね。
昨日の例の大衆酒場は、ルーズなシステムで動いているのであり、大衆食堂もルーズなシステムのところが多い。それが魅力にもなる。
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