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2018/10/05

ぼやきトーク前座?

「世間には、シロクロ決着をつけないほうがよいことがたくさんあるにも関わらず、シロクロ優劣をハッキリさせ優のほうに立つことがかっこうよく思われがちだし、チヤホヤされる。他者を評価し優劣をつけたがる人たちも少なくない。結果、いろいろなヒトやモノやコトにダメ出しがされ、廃棄される。そこにまたダンゴムシの活躍の場が生まれる。最近、そんな面白そうなことが、私の周囲に増殖している」

と、四月と十月文庫『理解フノー』の「ダンゴムシ論」に書いた。これは前のエントリーの「中腰で堪える」とも関係あるね。

「理解フノー」は、テキトウに書いているのだが、イチオウ80年代以後の多様な価値観を意識している。つまりそれまでとは大きく異なる環境で生きていることを意識している。

ところが、ま、そういうものだろうが、メインストリームは、あいかわらず70年代までの価値観にしばられている。出版業界のそれは、「これまで付き合ったなかでも、最も理解フノーな前近代的な体質の世界ということだった」とも書いている。

そうそう、このあいだの角田光代さんがゲストの「談話室たまりあ」では、「文壇バーで怒鳴るひと」のことが話題になり、笑いが湧いた。

文筆家なんて自由業のはずなのに、けっこう業界内の序列の価値観に縛られていて、ココロは自由じゃないのだな。ナニナニ(「有名」な新聞とか雑誌とか)にコレコレを書いている俺様、と威張りたがるし、チヤホヤされたがる。「ナニナニ」や「コレコレ」が会社員の肩書や業界役員の肩書と変わらない世界なのだ。

で、金を払えば我慢してくれるサービス業のバーなどで、怒鳴って威張る。どこかの会社の社長や課長みたいだが、そういう話は、おれみたいに出版業界の周縁のそのまた外側にいるようなものまで、聞こえてくる。(東海林さだおが「ドーダの人々」に書いて笑いをとっているけどね、あれからずいぶんたっているのに業界体質は変わらないのだなあ)文壇バーに限らず、居酒屋あたりで威張ったり怒ったりの文筆業の人もいると聞く。これはもう、職業の差別意識や優劣観丸出しというかんじだ。

いまどき、陳腐なことだ。紙媒体に書いているぐらいで、多くの人たちが感心したり奉ったりしていたのは70年代ぐらいまでのことなのに。

そういう時代錯誤の人たちが、言論だ評論だ文芸だノンフィクションだなど、ありがたくも賢そうな消化不良の生半可をふりまく。でもたいがい「業界身内的」のつながりだから、お互い生半可を許しあったり、盛り上げあったり。そういう「サロン文化」みたいなのが、けっこう幅をきかせている。そこに加わりたい人たちも、メディア周辺にはけっこういるようだ。そこから生み出される文化って……。そういえば、最近「休刊」を出した出版社や「盗作」を出した出版社や、その前から、いろいろあったな。

権力や権威の私物化は、政治業界と出版業界のお家芸なのか。上層の暗雲は晴れることがあるのか。

あ~、話の行方がわからなくなった。

とにかく、右か左か、右でもない左でもない、とかではなく、前のめりに性急にならず、「うふふふ、それ、理解フノーだね~」とかボヤキながら、中腰で堪えよう。

今夜の高円寺の円盤のボヤキストトークの前座みたいだな。いや、今夜は、そういう話にはならない、もっと楽しいボヤキだと思うが。

そうそう、周縁といえば、姫乃たまの『周縁漫画界 漫画の世界で生きる14人のインタビュー集』は、タイトルから気になるから必ず買おう。

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