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2018/11/28

このコップにも愛をくだせぇ~。

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ありふれた普通に光をあてて書くのは難しい。おれは、ありふれたものを美味く、なーんて言っているけど、ありふれたものを上手く書くのは、ほんとうに難しい。

だいたい、何らかの意味において「突出」しているものがネタになるのであり、とくに飲食の分野では、「うまいもの話」や「いいもの話」「いい仕事話」など、いいもの、いいひと、いいナントカナントカがあって成り立っているばあいがほとんどだ。

まあ、人間を堕落させる悪い環境だね。

突出していることを書いていれば、人びとの関心や注目を浴びやすいし、売りやすい。かくて飲食の話などは、普通より優れていたり好まれていると評価されやすいものや、極端な珍種や変種(有名人のめしや東京視点でローカルな食べ物もこの部類)のこと、あるいは平凡だけど感動ポルノ仕立てにしやすいものなど、ようするに「ネタ」に頼っているものが圧倒的に多い。

突出ばかりを追いかけていると、ありふれた普通が視野から失われたり、平凡を見たり書いたりする思想や言葉が衰退する。衰退していても、突出で受けている本人は気づかない。そして、衰退は繰り返される。

ということを、ときどき感じていたのだが、またまた滝口悠生『茄子の輝き』からの引用になるのだが、この部分で、あらためてそのことを考えた。

これは、この本に収められた「文化」というタイトルの掌編にある。

以下引用…………………………

 私は空いたグラスにビールを注いだ。それでグラスを顔の高さまで持ち上げて眺めた。手のひらからわずかにはみ出るばかりのその小さなグラスを、懐かしむようにも、愛でるようにも見えた。いくらか芝居がかっていたが、なるほど、たしかにあらためて眺めてみたくなるようなものでもあった。大人の手に握られると、昔から変わらぬそのグラスが思いのほか小さなことがわかり、その小ささだけで昭和の時代を思い起こさせた。

…………………………引用終わり。

これを読んだときは、ハッとしましたよ。

『茄子の輝き』の帯には、津村記久子のコメントがある。

「一見希薄な生活の底にある、丹念で精細な世界。その光景は、同じ希薄さを生きる私たちを確かに救済する」

このグラス、おれがガキのころから「コップ」といえばこれしかなく、水道の水を飲むにも、渡辺のジュースの素をといて飲むにも牛乳を飲むのにも、のちにはビールやコップ酒を飲むにも、ものを注いで飲むとなると茶碗以外は、これしかなかった。

いま、わが家を見ると、このコップは一つもない。ビールはなんで飲んでいるかというと、民芸調の焼き物のマグカップだ。なんてこった。

大衆食堂では、たいがいこのコップだ。きのうの写真にもある。よく見かけるが、おれはありふれた景色として流していたのだろう、滝口悠生のように見たことはない。

べつに、このコップを軽んじたつもりはないのだが、ありふれたものをもっとしっかり記憶に留めておかなくてはなあ。留めておいたつもりでも希薄になっていくのが記憶だから。

『茄子の輝き』は、記憶の生き方の本でもあるのだ。

とりあえず、このコップを買って、毎日手に握って酒を飲もう。あらためて、見れば見るほど、シンプルでいいじゃないか。べつに作家のコップじゃなくてもいいのだ、生活するはわれにあり、だからね。

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2018/11/27

最高のカツ丼。

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おおっ。

このカツ丼を見た瞬間、声が出そうだった。

これまでも、いろいろなカツ丼の盛り付けを見てきたが、ここまで大胆な破壊はなかった。

カツの切れはあちゃこちゃの方角を向き、玉子はトジになっておらず、ひからびたようにカツの切れにからみついている。

丼物をつくる片手のついた薄い小鍋に、だしとカツと野菜を入れ煮る。ほどよきところで溶いた玉子をかけまわしフタをする。玉子が固まらないうちに、丼めしの上に移す。と、だが、玉子をかけまわしたのち、ほかの何かをしていて忘れたのか、水分はとんでしまった。玉子は鍋にへばりついてしまったところもあったにちがいない。それを丼めしの上に移すとなると、スームースには移動しない。

あちゃちゃちゃ、箸でへばりついたところをはがしながら、えーい、おとなしくめしの上にのらないか、てめえはそんなに食べられたくないのか、この世に未練があるのかとばかり、グイグイとめしに移す。

そんな感じを思い浮かべた。

すごいなあ。いいだろう、これだってカツ丼だ。

ってことで、食べた。汁気がないのがチョイとさみしかったが、カツはいい肉だし、チューハイを飲みながらだったので、よいつまみにもなった。

この食堂、このときは婆さんが三人でやっていた。

客席を担当するのは、この店の主と思われる150センチぐらいの小柄の女性で、八〇歳ぐらい。厨房で、このカツ丼をつくるなど料理を担当しているのは七五歳前後といったところでおれと同じぐらい。もう一人は洗いの担当らしい、やはり八〇歳ぐらいだろう、あごが調理台にぶつかりそうなほど腰が曲がっていた。なかなか気が合っているようだが、動作は、三人ともゆるゆるだ。だから、うまくいっているのだろう。

午後二時近く、客は、おれのほかに六人ほどいたが、みな心得ているらしく、ゆるゆるしている。

カレーライスを頼んだのは、二人で入ってきた、郵便配達の人だったが、カレーライスにしては、ずいぶん時間がかかってから出てきた。そのあいだ、郵便配達の一人は先にいた男性一人客と顔なじみらしく、あの人はどうしているとか、茶を飲みながら話していた。

以前通りがかかりにフラッと入ったことがあって、その時は、何かおかずとビールですました。夕方だったので、勤め帰りの近所の常連らしい客たちが、飲み食いしながら言葉をかわしていた。なかなかいい感じだったので、そのうち東京新聞の連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」で紹介させてもらおうかなあと思い、また行ってみたのだった。

ほんとうは、こういうカツ丼の写真を載せて、しっかりウンチクを傾けたいところだが、どうしたものか迷っている。これを受け入れてもらえるだろうかという心配がある。それに、食堂の人も、新聞に載せる写真なら、もっと別なものをと思われるかもしれない。

いつだったか、サバ味噌煮の写真を載せたとき、皿に盛られて出てきたのが尾の部分だったので、それを撮って載せたら、食堂の店主に載せるんだったら「腹」のほうにしたのにといわれたことがある。

実際には、尾の部分も同じ値段で食べられているわけだが、メディアにのる写真となると、やはり多少なりとも「演出」が必要。ということはわからなくはないが、そういうことが繰り返されるているうちに、しだいに「よしあし」の基準が偏ってきたということがあるような気がする。

どんな盛り付けでも、しっかり受け止めて楽しんで食べる。そういうことが、もっとあってもいいんじゃないか。

そりゃそうと、この食堂のチューハイがまたすごい盛りだった。

四〇〇円で、グラスの焼酎とサワーの瓶が出てくる。その焼酎が二杯分はあるのだ。

「焼酎、多すぎじゃないの」

とおれが言うと、客席担当のお婆さんは、「ぐふふ」という感じで笑って、「多いほうがいいでしょ、サワーの瓶一本あけるには、焼酎がこれぐらいないとね。お得でしょ。焼酎をコップに移して、つぎ足しながら飲むのよ」と言った。

この食堂は、そもそも大雑把が好みなのかもしれない、カツ丼もいつもああなのかもしれない、また来て確かめてみようと思ったのだった。

こんな食堂があると、なんだか気分が晴れ晴れするね。ほんと、飲食なんか、それぞれ勝手に楽しみたいように楽しめばいいのよ。

いや、まあ、よりおいしくというのはよいとして、いろいろあって普通なのだということにしてもらわないと、解放的なはずの飲食が、しちめんどうなことになっている。

そういう傾向に対しても、このカツ丼は破壊的で痛快だった。だから、「最高のカツ丼」。

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2018/11/26

一人ひとり違うのが普通だが、一人ひとりと向き合わない。

少し前だが、おれが好きな某食堂の店主がおもしろいツイートをしていた。

請われて飲食コンサルティングの会社の人と話したのだが、「経営としては彼らが言うことは正しく、指摘された部分に関しては改善せな、と思うばかり。ただ、1時間半弱話して、この人たちは自分の作る「料理自体」にはまったく興味がない、ということに気づく。それがなんともやるせない」と。

はあ、そのやるせなさ、わかるなあ。

「それは飯自体に限っての話じゃなくて、音楽でも書籍でも映画でもなんでも、その「内容」自体が評価されるのではなく、「どのように伝えられているか、興味深く見せられるか?」ばかり語られてる気がする。それが、本当につまんない」という。

そういうつまらなさは、マンエンしているね。

おれが思うに、「「内容」自体が評価されるのではなく」ってことについては、内容に関心がないこともあるが、それならまだマシかもしれない、よい関心を持ってもらう可能性があるだけ。

モンダイは、「内容」について関心は高く知識もあるが、まるで見当違いな自分が「正しい」とする方向や感覚ばかりから内容を評価する、その尺度が杓子定規だということ。これ、わりと多い傾向だ。ま、さまざまなコンサルタントもちろん、評論家や主要なメディアで活躍する影響力のある、いわゆるオピニオンたちは、たいがいそうだよね。それをまたお手本にする人たち。

ツマラナイことばかり書いたりしゃべったりしている。彼らには、一人ひとりが見えているのだろうか、どんな一人ひとりが見えているのだろう。「自分と同じ」か「自分と反対」ばかり意識して、そのほかの圧倒的多数のはずの一人ひとりが見えてないのではないか。そう思うことが少なくない。

それに「同じ」も「反対」も、一人ひとり違うはずだろう。自分に都合よく分類しカタマリにしちゃうんだな。

一人ひとり違うのが普通であり、だから、一人ひとりと向き合うのが普通だろう。一人ひとりと、どう向き合うかだ。という内容の関心は希薄のようだ。

有名であるとか肩書や仕事などの社会的地位、男女の違いや年齢の違い、「上品」とか「品がある」とか一般的に好ましいとされている文化的尺度、売り上げや利益など商売では当然とされる経営的尺度、先輩・後輩・同輩・友達・家族や血縁関係・派閥などなど縁故のよしあし、はては着ているものや言葉づかいまで、「一人」その「個」それ自体ではなく、「属性」のほうが大事であり関心が高いばあいが多い。一人ひとりでなく、属性をグルーピングして、カタマリにしてしまう。

それで、より成功しようとなれば、よりよい「属性」を得るための、自分の「売り」と自分のための「動員」に励むことになる。結果、そこは、そのための言葉があふれ、人間一人ひとりと向き合う言葉が失われていく。でも、そういう界隈では、それが「普通」なのだ。

そういう誤解された「普通」を求めて「均一化」と「均質化」が進行する。って、これ、前にも書いたな。飲食店の分野だけじゃなく、音楽や書籍、おれは映画は最近みないからわからないが。

石を投げれば、そういう界隈にあたる。

でも、一人ひとりと向かい合いながら商売している人たちもいる。おれのまわりでは、増えている感じなのが、うれしい。

文芸も捨てたもんじゃないな、と、滝口悠生の『茄子の輝き』を読んで、衝撃と刺激を受けたし、普段の普通をどう書けばよいか迷いがあったおれにとってはチョイと展望がひらけた。もう75歳だってのに、いまさら展望がひらけて、どうする。

『茄子の輝き』には6つの連作と、最後に「文化」という掌編がおさまっている。

「特別強い意欲や高い意識を持つ者がいるわけではなく、そういうものを持たずともやっていける。また、みんなそんなに頭がいいわけでもない、日本中のどこにでもあるだろう、そういう会社だった」

連作のほうの主な舞台は、そういうところであり、そこで働く「私」がいる。「私」や、そこの会社の人たちは、近くの神田川沿いの居酒屋で昼飯を食べ喫茶店で休憩する。居酒屋も昼飯も喫茶店もコーヒーも、その会社のように、日本中どこにでもあるだろう店だ。

そういう普通を書いて「輝き」を読ませるのだ。おれはまず、それがおどろきだった。

最後の「文化」というタイトル。これは、定年退職後の年金暮らしかと思われる男が、どうってことない元は中華屋だった居酒屋で、中瓶のビールと餃子を注文して、餃子を食べビールを飲みほすまでのことだ。いやあ、おどろいた。すばらしい。

一人ひとり違うのが普通なのだ。味覚も食べ方も違う。そこに文化をみなくてはなあ。

「上品」に「品よく」そろえるのが「文化」だと、飲食にもそれを求める流れが強いけど、それは単に見た目や肌触りがよい「均一化」や「均質化」に行き着くだけだ。

もっとも、「個」として扱ってほしくないという人が少なからずいるのだけど。

当ブログ関連
2018/10/08
これが間違えられた「普通」の実態か。

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2018/11/24

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」74回目、佃・亀印食堂。

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今月16日の朝刊に掲載の74回目は、佃の食堂だ。例によって、すでに東京新聞のサイトに載っている。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018111602000185.html

かつての佃島は、江戸開府の頃からどんどん変わってきたようだが、近年の「世界有数のビックプロジェクト」とかいう、もしかすると天下の愚策かもしれない、俗称「ウォーターフロント開発」は、その姿を決定的に変えた。

Dscn9917広かった空を圧迫しながら、高層建築物がニョキニョキ突っ立ち怪物のように押し寄せてくる中に、亀印食堂とその一角は、ここにかつてどんな暮らしがあったかを伝えている。といっても、肩ひじ張ることなく、何気なくゆったり静かに佇んでいるのだ。

おれは1971年秋に転職してから、この界隈によく行くようになった。このあたり、つまり佃島や月島のあたりには、大きな倉庫と工場があって、クライアントの冷凍冷蔵倉庫や冷凍工場などもあったからだ。この地域は倉庫と工場以外は、「屋敷」のようなものはあまりなく、たいがいが木造の小さな家か長屋だった。

といった話は、おいといて。

近年になってからも、なんだかんだ行く機会があったが、行くたびにたいがいここでヤキソバやオムライスなどをつまみに飲んでいた。飲むばかりで、マジメに食べたことはなかった。昔の木造のゆったりした造りの店内は渋く、ほんと、落ち着くのだ。

今回は、看板のうどん、それも最高額の鍋焼うどん800円を食べた。見た目から、まったく気取ってない、普通の鍋焼うどん。冷たい風が吹いている日で、あったかいのが、すごいうまく感じた。

ここから住吉神社は近い。5分も歩かない。江戸の名残の堀が残る住吉神社の裏にも、ニョキニョキの怪物が迫っていた。

鳥居のほうにまわり、隅田川の岸に立って、かつて佃の渡しがあったところを眺めたが、もちろん、そこがそうだったという説明書きなりを見なくては、ただのコンクリートの岸壁だ。

佃大橋が完成したのは1964年の東京オリンピックの直前で、それまであった佃の渡しはなくなった。

おれが上京したのは、1962年だから、まだ渡しがあったのだが、乗ってみようかという気になったことはない。その頃は、永代橋を通る都電を利用して月島のほうへ行くことがあった。そんなときは、当時は隅田川のニオイがひどくて、クサイのやキタナイのはそれほどキライじゃないおれでも、とても渡し船に乗ってみようという気にはならなかったのだ。

とにかく、亀印食堂へ行ったら、あたりを散歩する。いや、あたりを歩いてから亀印食堂へ行くのか。どっちでもいい。

四方田犬彦の『月島物語』を読んでは、月島や佃が「労働者の町」だった頃を思い出したり。そうそう、『月島物語』によれば、吉本隆明の育った家は、亀印食堂のすぐ近くだったようだ。どうでもよいことだから、よく調べたことはない。

亀印食堂が、なんで「うどん食堂」なのか、いつも気にながら、いつも聞くのを忘れてしまう。今回も、聞き忘れてしまった。

そんなことより、いつも店の前の鉢植えが何気なくよくて、ひかれる。看板も暖簾も鉢植えも一体になって、何気なくいいのだ。この「何気なく」がいいのだな。ここでの食事も何気なくいい。

何気なく生き、何気なく仕事をし、何気なく歩き、何気なく飲み何気なく食べる。いいじゃないか。

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2018/11/23

「共生」も「寛容」も容易じゃない。

そういうことだ、「共生」も「寛容」も容易なことじゃない、だけど、いつごろからかねえ、「共生」だの「寛容」が強調されるようになったのは。80年代90年代は、あまりそんな言葉は聞かなかったと思うなあ。とおれが言うと、やっぱり2000年代からかしら。と、彼女が言った。

その前は、どうだったのだろう、「共生」や「寛容」は容易だったのだろうか、それが難しくなったから、「共生」や「寛容」がいわれるようになったのだろうか。

私は昔のことは詳しく知りませんが、難しくなったというより、グローバル化や個人主義などがすすんで、「共生」や「寛容」を以前とはちがうレベルで考えなくてはならなくなったのではないかしら。そう考えたほうがいいような気がします。

テナことをあれこれ話していたのだが、ようするに「共生」も「寛容」も容易じゃないということだった。それは、一人ひとりが成長しなくてはうまくいかないし、だけど、みんなが同じように成長するわけじゃない、この世には「しがらみ」というものもあるしねえ。とくに日本では。

そうそう、そこに「多文化共生ビジネス」が成り立つんですよ。これは必ずしも「多文化主義」ということじゃなくて、シェアエコノミーのようなものも含め、それとやっぱりIT。

そうかあ。

もうおれはトシだから面倒なことは考えたくないし考えられないが、彼女は、これからなのだ。高卒だけで20年近く生きてきたが、40を前に、この9月に新学期が始まる大学に入った。経営学を学んで、これまで世界と絡みながらやってきた仕事の経験を、もっと生かそうという。

前のエントリー、2018/11/19「鬼子母神通りみちくさ市、談話室たまりあ+佐藤亜沙美。」に書いた、滝口悠生の『茄子の輝き』(新潮社)と『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』(新潮文庫)を20日に買って、『茄子の輝き』から読んでいる。帯に津村記久子のコメントがあるが、おれが小説の単行本を新本で買うのは、津村の『この世にたやすい仕事はない』(日本経済新聞社、2015年10月)以来だ。大変なジケンだが、『茄子の輝き』は、なかなかおもしろい、おれの好み、買ってよかった。

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2018/11/19

鬼子母神通りみちくさ市、談話室たまりあ+佐藤亜沙美。

きのうの日曜日、わめぞ一味が企画運営する鬼子母神みちくさ市へ行った。古本市、常連の塩爺は、一度死にかけた身なので、寒さを用心し出店していなかった(かあちゃんにとめられたらしい)。そのかわり、ということでもないか、岡崎武志さんがひさしぶりに出店していた。みどりさんは、もうすっかり常連だ。

古本市はざっと見て、13時半からの談話室たまりあトークの会場へ。

今回のゲストは、ブックデザイナーの佐藤亜沙美さんだ。顔を拝見したら、前回、角田光代さんがゲストだったとき、3人がけのテーブルで、おれが座ったのと同じテーブルに椅子一つ空けて座っていた人だった。

おれは、なんちゃってライターだから、あまり出版関係のことは知らない。佐藤亜沙美さんの名前は、今回初めて知った。祖父江慎さんの「弟子」ってことになるのかな、祖父江さんの会社でデザインの仕事に就いていた。ってわけで、かなり手広くブックデザインの仕事をしている、『QJ クイック・ジャパン』のデザインもやっている。

佐藤さんは、絵を描くことぐらいしかできなかった、なんだか迷っているときに、本屋で祖父江さんのデザインを見て「これだ!」と思い、それから祖父江さんのトークなどがあるたびに追っかけ、ついに雇ってもらうことができた。と、話す。

りあちゃんこと小泉りあさんは、本を読まない人だったのだそうだ。映像と音楽。前回、角田さんとのトークで、本を持つようになったばかり。一方、たまちゃんこと姫野たまさんは、すでに文筆で成り立っているほどで、出版社もガッチリついている。

佐藤さんがデザインした本を見ながら、ブックデザインという仕事とその進め方から入った3人の話は、「アメリカンドリーム」を生きている感じだった。「アメリカン」というのは、おかしいかもしれないが、ほかにいいようがない。日本のビジネス環境は、だいぶアメリカンになっているし、もっとそうなるんだろう。「個」の意志・方法・結果の追求、すべては、いわゆる「自己責任」という「アメリカ流」だ。

たまちゃんは、「戦略的」だ。りあちゃんは、たまちゃんは「自分を客観的に見られる」という言い方をしていたが。りあちゃんは、それができないかわりに、この6月に地下アイドルをやめてタレントに、そしてアメリカ公演をして、ストレートに結果を表現するアメリカ人の会場で、何かをつかんだ感じだ。

佐藤さんは、なにしろ出版業界とのつきあいだから、もっとも日本的ビジネスのしがらみがつきまとっているようだが、ニューヨークのブルックリンも見て、10年後の日本(とデザイン界)を考え、世界へ出ていくことも考えているようだ。

そのあたりは3者3様であり、だから話はおもしろいようにまわった。こういう話をもっとあちこちでやれば、本屋へ行ったことのない人は行って本を手にとってみたくなるだろう。りあちゃんも、最後にそういうまとめのような感想をいった。

いわゆる「本好き」や「業界人」の話なんかでは、価値観の押しつけになってしまい、ダメなんだな。それにしても、たまりあの、ある種の、破壊力は効果的だ。リクツを破壊し、グイッと持っていく力。あれは舞台で身につけたコミュニケーション・スキルなんだろうか。

15時にトークが終わって、古本市をざっと見たのち、地下鉄で新宿3丁目へ出た。サンパークの「はやしや」で、落ちつこうと。うまいぐあいに、靖国通りから歌舞伎町方面が見える窓側の席が空いていた。昼めしを食べてなかったので、ハンバーグ目玉焼きライスとビール。

外を見ていると、自然に昔を振り返ることになる。靖国通りのビルはかなり変ったが、かつてよく行った焼肉の東海苑や餃子の大陸は、まだあるし、さくら通りの入口の左側にある「佐野屋」のビルの1階はファミリーマートになったが、もとは酒屋で、さくら通り側で立ち飲みができるようになっていた。そこで、コップ一杯50円のアリスウィスキーをひっかけてから、歌舞伎町の中の飲み屋をまわる。合成酒のアリスがきくから、安く酔っぱらえたのだ。一日おきの泊りこみで歌舞伎町にドップリつかることになった宮田輝事務所のあったビルは建て替えになったが、細い通りをはさんだ隣のビルはまだそのまま残っていて、その4階だったかな?のワンフロアは、うぐいす嬢のトレーニングと控えのスペースだった。とかとか、思いではつきない。

隣の席で、話から風俗関係の仕事をしているにちがいない男と女が、初めてのデートで、酒も飲まずに、二人ともオムライス。そして、男は、このあとホテルへと誘っている。オムライスを食べながら。女、なかなか態度をはっきりさせない。明日の朝9時から用があるし、とかなんとか。おれが入ったとき、すでにオムライスがテーブルの上にあった、そして、おれはこのあと二人はどうなるか気になりながら先に出た。

みちくさ市の打ち上げは、まいどのサン浜名で18時からだった。たまりあと佐藤さんも参加。なんと、石丸元章さんが、10月の初めごろ、脳卒中か何かで倒れたのだそうだ。ツイッターをよく見ていなかったので知らなかった。リハビリで回復するらしい。大事にいたらないようで、よかったが、というわけで、今回は姿なし。ピスケンさんも、古本市で見かけたときは前より顔色はよかったようだが、姿なし。

はやしやで下地ができていたから勢いよく飲み、けっこう酔った。最初は、お笑いの話をしていた。まわりは80年前後の生まれの人たちだったから、90年代以後のことが多かった。70年代までは、テレビは家族で見るものだったが、この人たちぐらいからは、そうではなくなる。テレビ番組も、ファミリーから個人へシフト、お笑い芸人も消長がありながら競争が激化する。こういう動きは、食文化とも関係する。ってなことを考えていた最中だったので、ほほう、やっぱり、と思うことがあった。、

ふらふら移動し、飲んで、あれこれおしゃべり、瀬戸さんにエロを書いたことを突っ込まれたが、もう雑誌の名前を思い出せない状態。けっこう酔ってから、佐藤さんの夫という方が前に座った。この方は芥川賞作家の滝口悠生さんで、あまり本を読まないおれは、まったく知らないのだったが、ちょっと話しているうちに、なんだか魅力的な人に思え、印象に残った。せっかくの機会だったのに、酔ってしまって、もう限界だった、残念。おすすめの著書を2冊、聞いたのは、酔っていても忘れなかった。

1冊は新潮文庫で手に入りやすい『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』、それから、おれが食がらみのライターってことで、それならこれをぜひといわれたのが『茄子の輝き』だ。おもしろいタイトルだ。

はあ、よく覚えていた。必ず買って読もう。

もう、この話をしていたころは、かなり酔いがまわって、自分が何を話しているかわからないナと気づく状態だった。以前だと、それからさらに飲んで、泥酔記憶喪失状態で帰ることが多かったが、近ごろは、よほど体力低下を自覚しているのか、そこで飲むのをやめて帰るようになった。ちゃんと身体が学習したらしい。

前回のみちくさ市。
2018/09/19
鬼子母神通りみちくさ市、たまりあ×角田光代、東京キララ社。

大事なことは歌舞伎町で学んだ。ってほどでもないが、歌舞伎町と出あってよかった。

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2018/11/17

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」73回目、両国・下総屋食堂。

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これは先月19日の朝刊に掲載のものだ。きのうの本紙朝刊で今月の分が掲載されたから、一カ月遅れということになる。こういうときは、「のんびり行こうゼ」と、いってみる。もちろん、すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018101902000208.html

めったにないことだが、上の配膳の写真、どれぐらいの人が気がついたか。ダンチューなどには、こういう写真が載ることは、ゼッタイにない。

かれい煮は、一般的には、皮の色が黒っぽい茶の「背」を上に出して盛り付けられることが多いはずだ。魚屋などに生で並んでいるときも、そうだ。ところが、これは、白い「腹」を出して盛られていたのだ。

こういうことは初めてじゃないが、メディアに載せる写真として撮るのは、初めてだった。いったん、箸でひっくりかえそうかと思った。ま、「正しい」フォトグラファーやライターや編集者だったら、そうするだろう。

が、やめた。だいたい、なんでこんなことに気が付いたのだ、おれは業界標準の「正しい」ライターになったのか、掲載用の写真を撮るのでなかったら、気にしないでただちに食べ始めるところではないか。

ってことで、そうしたのだ。食べるにも、ひっくり返さず、この向きのまま突っついた。

そのままのリアリティとやらにこだわったわけじゃない。かりに「正統」があるとしても、これも「あり」なのだ、それでいいじゃないか。それに、おれは、正しいみなさんが、とかく「雑」とか「いいかげん」とか見下していることが、けっこう好きなのだ。

しかし、掲載になってみると、やはり、気になった。この写真を見て、なんだ、かれいの盛り付けも知らない食堂か、ライターも編集者も気がつかなかったのか、なーんて人がいないともかぎらない。親切なクレーマーは、新聞社に投稿するかもしれない。ゼッタイ自分は正しいと思い、それを疑わない人は、けっこういる。自分の「正しい」とちがうことに遭遇したとき、まずは自分を疑う、ということはしない。

賢明な読者ばかりだったのか、それともそんなことは、やっぽり普通は気にしないのか、ナニゴトもなかった。

かりに、背を上に盛るのが圧倒的多数だとしても、それは様式のことだ。その、どうしてかできあがった「あるべき様式」からはずれているにすぎないからといって、ただちにマチガイでワルイということにしてはいけないのだ。

たいがいの料理写真は、それぞれの「あるべき姿」をめざして撮影されている。それは、イチオウ「うまそう」でなければならないが、見なれたものが「うまそう」になる確率がヒジョーに高いのではないか。それに「あるべき姿」なんて、普遍的なものじゃない。信じるほうがおかしい。

などなど、このかれい煮の盛り方ひとつから、ああでもないこうでもない、いろいろなことが考えられるのだが、さらに、この写真のかぼちゃ煮も、盛りつけ写真としては、なかなかお目にかかることがないだろう。

が、しかし、このかれい煮もかぼちゃ煮もうまいのだ。おれは、すくなくとも感心しながら、食べた。

おれは、過去に口にした味覚をちゃんと覚えているほうではないが、下総屋食堂の「ごはん」が、とにかくうまい。その味覚と、おかずの味つけが、すごくあっている。と、このとき、あらためて思った。ハーモニーってのかな、トーンってのかな、あるいは波長、そういうものがありますね、それがうまくあっている。音楽みたいだねえ。だから、もしかすると、この「ごはん」あっての、このおかずなのかもしれない。

それに、その味覚は、建物やおかずの見た目ほどは、古い感じがしない。

個人経営の大衆食堂では、こういうことがときどきあって、チェーン店や、調理学校やお店でいわゆる「修業」した人が作るものにはない不思議だな。「修業」などで、あるていど整った方法(様式)の何かを得れば、何かを失うという関係がありうるのだ。

下総屋食堂は、戦前の建物のまま営業している。この連載で、戦前の建物で営業している食堂は2店目だ。1店目は、池袋のなみき食堂だ。

下総屋がある両国は、激しい空襲にあったところだから、「戦災をくぐり抜けた奇跡の大衆食堂」といわれたりするが、オーバーではない。

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2018/11/12

大革命。

近ごろは、あんまり「革命」ということばを聞きもしないし見もしないな。どうしたの、みんなビビっているのか。

80年代前半の中曽根内閣のころから「改革」がハヤリになり「革命」は廃れた、ように見えるが、そうでもないな。

いまの家に引っ越したのは、10年前の10月21日だった。

それで何が変ったって、台所のレンジがガスからアイエイチになったのだ。

それまでは、炎が見える火力を使って料理をしていた。

その火力のもとは、薪が炭や石炭、石油からガスになっても、太古の昔から炎が見えていたのだ。

「火」とは、見えるものだった。

それが、炎がないアイエイチってやつになった。これは「火」のようだが「火」ではない。つまり「火」を使わないで料理をするようになったのだ。

有史以来の大革命に、おれは遭遇した。

「火」は見えないが、「熱」は得られる。

「火」から「熱」へ。

「ファイアー」ではなく「カロリー」。

この「ファイアー」と「カロリー」のあいだには、いろいろありすぎる。電磁波じゃ~とか、波動じゃ~とか。なんじゃそれ。

とにかく、なれるのに、けっこう時間がかかった。とくに炒め物は、最近ようやっと、なんとかなったかな、という感じだ。

そのなんとかなったかな、ってのは、ようやっとアイエイチの前ぐらいになったかな、ということではない。もっとちがう次元の、なんとかなったかな、という感じなのだ。

この比較はヒジョーに難しいが、革命とは、そういうものなのだな。たぶん。

ようするに、「見える火力」と「見えない火力」が、認識できたし自覚できた。まだ、よく理解しているかどうかは、わからない。

おれは革命に参加して、悪くないネ、やりようだネ、ていどの感想は持った。だからといって、これはゼッタイにイイと、ひとにすすめはしない。革命が悪いからではなく、それぞれが判断することだからな。

熱源のちがいが料理の「味」に影響することはたしかだろうけど、それをコントロールする人間の文化があり、さらに食べる文化がある。熱源は科学だが、味覚には文化がからむ。

アイエイチを批判するひともいるし否定するひともいる。そういうひとには、たくさん遭遇した。おれは、素直に聞いていた。まあ、人類が「火」を使いはじめて以来の初めての革命だからねえ。フランス革命やロシア革命どこじゃないわけ。

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2018/11/11

「食べる」を「まじめに考え、もっと楽しむ」。

きのうのテキストにある「まじめに考え、もっと楽しむ」は、西江雅之著『食べる 増補新版』(青土社、2013年)の帯にあるオコトバだ。

とてもよい、すごくよい、と思った。

「まじめに考える」と「楽しむ」は、相いれないような扱いを受けていることがめずらしくない。そして、「食べる」となると、考えることを停止し、しかし脳ミソのなかにためんこんだ知識を総動員してウンチクを傾けたりしながら、テレビタレントのように、誰が見ても「楽しそう」な、大根役者のような教条的な表情とことばを放出する。「オイシイ~」

それもまあいいだろう、おれのしったことじゃない。だけど、もしそのとき「うまい」と思ったら、「うまい」ってなんだ、ワタシの生理か心理か文化かぐらいは、ヒマなときに考えてみるのも悪くない。「うまい」には、たぶんに食文化が関係している。

でも、「食文化とは」となると、なかなか複雑で説明しにくい。実際のところ、説明せよといわれると困ってしまう。生理や心理や社会など、雑多にいろいろな次元のことが関係し、『世界の食文化 16 フランス』(農山漁村文化協会、2008年)を著した北山晴一は「複雑性の罠」といったぐらい、ややこしいのが「食」の分野だ。

だからあまり考えずに、ワタシはうまいものや食べ物について詳しいのヨってな顔をして、これはサイコー、日本一だ、世界一だ、とでも、少しばかり文学的に気どりながら断言しちゃえば、あら不思議それを信じちゃう人も少なくない。世間とは、そういうもので、たいがいのグルメ本とか食べ物の話は、そうして成り立っている。

「食文化とは」についてふれている、適切な本は何冊かあって、先駆者といっていい石毛直道などは、詳しく述べている。彼の食談義はおもしろいのだけど、彼は文化人類学者であり、文化人類学は、「文化」×「人類」だから、その眺めは広大で、いざ学問的立場で食文化を語るとなると、すごく広大なのだ。おれのようなシロートは、もっと整理してくれるとありがたいんだがなあ~と、わが脳ナシ頭をうらむことがたびたび。

ところが、この『食べる 増補新版』は、食文化論の急所を、身近なことにブレイクダウンし「七つの要素」をあげて説明している。

本書の構成は、三つにわかれていて、その「Ⅰ」と「Ⅱ」の一部が「食文化とは」に直接関係する内容だと判断できる。

「Ⅰ」は、「「食べられるもの」と「食べ物」」 「「文化」としての「食べ物」」 「コミュニケーションとしての「食べ物」」 「「食べ物」と「伝統」」の四つにわかれている。

「Ⅱ」は、九つの話があるが、「「ことば」を食べる時代」が、とくに大事だと思った。

小見出しレベルをあげると、こんなぐあいだ。

「人間にとって大切なもの」 「「食べられるもの」と「食べ物」」 「「食べ物」と文化」 「文化とは何か」 「五つのポイント」 「「どのようにか」という文化」 「「どのようにか」食べる」 「七つの要素」 「「昔」ということの曖昧さ」 「「伝統」が意味するもの」 「伝統を「創る」」 「伝統は構成要素の束」 「伝統は「未来」である」 「「食べ物」の話題の変化」「「美味しい」とは何か」「亡食の時代」「「ことば」を食べる」「「ことば」先行型商品の問題」 「「実」にこだわる」

ってことで、「七つの要素」は、①ことば、②人物特徴 ③身体の動き ④環境 ⑤感情・情動 ⑥空間と時間 ⑦人物の社会背景 をあげ、一つひとつ説明している。

具体例では違和感のある記述もあるが、基本的なところは豊富な経験と学識をもとにまとめられているから、とてもありがたい。

せっかく毎日「食べる」のだし、人によっては大いに食べ歩いているだろう、その体験を体験でおわらせることなく、かつ自分本位の認識と理解におわらせることなく、あるていど「客観的な尺度」で考えてみたい。すると、ますます「食べる」が楽しくなるというわけだ。

それに、コイツ、ずいぶんひとりよがりのおかしなことをいっている、ということが自分のことも含めて見えてきて、大いにリテラシーに役立つのだな。

「ことば」を食べる時代」だからこそ、食べるを楽しむために、「まじめに考えて」が不可欠になっている。「食べる」世界は、広大だ。まだまだその広大さに気が付いていない。小さな世界に閉じこもり、食べることでエラそうにするのは、やめにしようぜww

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2018/11/10

「共」と「個」×「食」。

きのう、インターネットで拾ったニュース。

河北新報は「<仙台市給食>「野菜高騰でモヤシ料理増えた」 予算目減り、厳しい実態」と、栄養レベルの低下も心配なようす。

いっぽう、天下の日経新聞の「日経MJ」は「全国で高級レストランが続々と誕生しています。高級店に通う食通の富裕層で注目を集めるのが、イノベーティブ料理」と、かつてのバブル後期を思わせる「富裕」ぶり。

「日経MJ」の「MJ」は、「マーケティング・ジャパン」の略。

マーケティングってのは、金のないやつは相手にしない。というか使う金があるやつだけを相手にする。その使う金の多い少ないにあわせて動く。それで市場は成り立っているし、そういう市場が成り立っていなくては、いまの資本主義の世間は成り立たない。

というわけで、マーケティングは、ミもフタもないほど、現状をあらわにする。いったい、この高級レストランへ行ける人たちって、どういう人なのだろう。そういう人たちが、きっとアベノミックスバンザーイなんだろうねえ。

その現状だが、この記事に、ある店で食べた男性客のコメントが載っているけど、40代なんだな。使える金の多い少ないは人によって異なる。ってわけで、アラフォー40代をねらえ!ってことで、たいがいのマーケティングは、ここへ傾れこんでいる。メディアは、40代を注視し、大事にしている。

でも、同じ40代でも、いろいろだ。子供のいるサラリマーンなら、とても無理ね。おれの知り合いにも、丸の内あたりの大会社に勤めていて給料も悪くはないけど、子供が2人いて、これから中学、高校へと向かう。自分への「ごほうび」でも、外飲食は3000円が上限。

ま、とにかく、貧乏労働者には、別のマーケティングが用意されている。メディアは、そういう「選別」の役割も担っている。近ごろのメディアは、経済資産だけじゃなく文化資産とやらも重視し、人びとを選別する。

が、しかし、この世は「市場」がすべてではない「社会」がある。近ごろは、「市場」と「社会」の区別のつかない人が、メディアで名を売っている、いわゆるオピニオンあたりにもけっこういるし、マーケティング屋が社会学者のような顔をしたり、実際に何かしらを売って商売になっていることをして食っているのに金儲けは「悪」のようにいう人もいる。それはまあ、社会が新自由主義の市場原理で動くようになったことも関係するだろうけど、知性ある知的なみなさまが、市場と社会の区別もつかなくなるのは、困ったことだ。

そりゃそうと、その日経MJの記事の見出しには、「おいしさの先へ、食はアート」「「作品」を堪能」だってさ。

うへぇ~、料理は「芸術」とかいっていた、あのバブルのころと同じだよ。「作品」って、そんなに高級でエライのかなあ。

いや、「作品」、けっこうですよ。おれなんか、200円で5尾もパックされているイワシの丸干しを、日々「作品」にするため創造力を働かせているもんね。もう毎日、安い材料で時間をかけず大きな満足や驚きと感動をつくりだす「作品」のため、革新と創造の「イノベーティブ料理」に取り組んでいるんですよ。

ああ、もう書くのがメンドウになってしまったのに、タイトルの「共」と「個」×「食」について、まだ何も書いてない。どうしよう。

前のエントリー「「サードプレース」と苔むす感覚。」の関連なんだが。

これからの「サードプレース」には、「個」と「共」と「食」の関係を忘れてはいけないね。

前のエントリーでは、「職場と自宅」「仕事と私事」をあげたが、もっと深いレイヤーでは「「共」と「個」」になるんじゃないかな。

まだほかに「公人」と「私人」ってのがあって、安倍首相夫妻の縁故主義と公私混同が取り沙汰されたけど、追及するほうは、この「公人」と「私人」という論理にハマってどうにもならなくなった。

近年、いつごろからか、たぶん「自己責任」キャンペーンからのような感じがするけど、「人間として、どうか」という視点が、どんどん後退しているんじゃないかな。公人だろうが私人だろうが、「人間として、どうか」という問いかけがない。

ま、そのことはおいとくとして、「職場と自宅」「仕事と私事」「公人と私人」という枠組みのレイヤーでああだこうだいっているうちは、「食」は、さっぱり深まらないね。

「共」というのは「公共」の「共」であり、「共有」の「共」であり、「共生」の「共」であり、「共食」の「共」だ。「共産」の「共」は、おいておこう。

「個」は、「個性」の「個」であり、「固有」の「個」であり、「個体」の「個」であり、「個人」の「個」であり、「個食」の「個」だね。

平成30年間の食文化上の大ジケンといえば、食育基本法の成立と施行だろう。おれは、一貫して反対だったし、いまでも反対というか廃止にしたいと思っている。

これは「食」と「共」と「個」が関係する大きなモンダイであり、食文化からすれば「共」と「個」のために、食育基本法なんていうものは許されるものじゃない。

だいたい、もうすでに、あの「食事モデル」だって、どうなったの。最初から成り立たないものをモデルにしてたんじゃないのか。だいたい、家族と労働の変化という背景を無視して、広がる「個食」と「孤食」を悪にしたてた食育基本法推進の論陣からして、「家族主義」と「栄養主義」の偏見に満ちていた。

もっと、食文化について「まじめに考え、もっと楽しむ」ことが必要なのだ。

ところが、その食文化となると、「一汁三菜」の伝統だのなんだの「日本独自の食文化」からの、リクツにもなっていないような「和食バンザイ」「和食スゴイ」なリクツが大手をふって、それから「食文化」は口にするけど、なんだか文学的だったりアートだったりするのが食文化であるようなことで、もういいかげんにしてくれ、といいたいね。

書くのが疲れた。トシだなあ。

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2018/11/08

「サードプレース」と苔むす感覚。

近ごろまた「サードプレース」なる言葉を目にするようになった。

この言葉、ま、カタカナ語にありがちのことだが、勝手な解釈がひとり歩きし、イマイチ実態がわからないところがあった。

それぞれが勝手な解釈をして、「いまおれはサードプレースにいる」「ここがおれにとってのサードプレースだ」といったことで、どんどんイメージがふくらむのは、いいことかもしれない。

だけど、職場でも自宅でもないところで、ノートパソコンで仕事をしていながら、「いまおれはおれのサードプレースにいる」なんてツイートされると、それって単なる「ノマド」じゃねえのと思ったりするのだった。

「プレース」であるから「場所」であって「場」ではないのだろうが、どうも「私事の場」でもない「仕事の場」でもない、中間的な場が「サードプレース」ではないのかと思ったりした。

自宅でも職場でもない「第三の場所」ってだけのことなら、昔から存在した、地域密着の大衆食堂なんてそういうものだったし。いま、「サードプレース」というなら、もっと何かあるだろう。

スペクテイター42号「新しい食堂」に寄稿した「結局、食堂って何?」の最後の見出しは「"もう一つの場所"のために」になっている。

そこでは、鎌倉の立ち飲み「ヒグラシ文庫」店主の中原蒼二さんが、著書の『わが日常茶飯 立ち飲み屋店主の御馳走帳』に書いていることを引用した。中原さんは、2011年3月11日の東日本大震災と東電原発事故の体験から、「家と仕事先だけではなく、もう一つの場所が必要だ」と切実に感じ、それを「自分で作ろう」と開業を思い立った。

これも文面だけ見ると「場所」になるのだが、「もう一つの場所」で得られる人間関係のことをぬきにしては意味がなくなる。

「場所」には、いろいろなことが関係しているのだ。「サードプレース」たりうるには、いくつかの条件あるいは要素それと機能が必要なのだな。それは、私事と仕事の中間になりうることのようだ。

と、最近の20代の若い人たちと話していて気が付いた。仕事でもないし私事でもない、だけど自分が生きるうえで必要なことや大切なことがあるのだ。友達と好きなことをやったり、とか。

消費社会では、いわゆる中央につながる大きなシステムで暮らしていると、仕事と私事だけで成り立つ生活もある。だいたい、そういう生活が拡大して、「コミュニティ」が分解してしまった。いまでは、「コミュニティなんていらないね」という人もいる。仕事とカネと私事がうまくまわっていれば、そうなってしまう社会もある。

それを「人間として、どうか」と考える人もいるのだな。

「売り」と「動員」にあけくれる「コミュニケーション」に疲れる人もいる。そんなのは「プロモーション」で「コミュニケーション」じゃないだろうと考える人もいる。

おれは「世代論」なるものは、あまり関心はないのだが、ジジイになると、そういうことに鈍感になるのもたしかだ。ま、ほんとうはトシのせいではないだろうと思うが、「人間として、どうか」と考えるフレッシュな感覚にコケが生えているようだ。

えと、何の話だったかな。

埼玉は、「サードプレース」的に面白くなりそうなところが、いくつか生まれている感じだし、まだ生まれそうだ。東京=中央に熱をあげるより、自分たちで何かやろう、自分たちで何とかしていこうという、DIYやインディーズのカルチャーを2,3年前ぐらいから感じていたのだが、けっこう腰の座った動きのようだ。もちろん、飲食がらみ。

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2018/11/06

「食べる」と「生きる」。

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「体育会系」と「文化系」という言い方がある。「体育会」という言い方からすれば、もとは大学のスポーツ系と文化系のサークルの分類からきているのかな。

「体育会系」というと、たいがい「無教養」で「無知性」で「野蛮」で「品がなく」て「思考停止」の「精神主義」の、ようするに「バカ」という感じに使われることが多いようだ。「スポコン」なんていう言葉もある。

対して「文化系」ということらしいのだが、こちらはとても「知的」で「品があり」「教養がある」という感じになっている。

という差別的なイメージのふくらみは、たいがい、かつてのメインカルチャーの活字文化を握ってきた、「文化系」がつくりあげたものだと言っていい。「文化系」は、じつに陰湿なのだ。自分たちの文化的思想的リードのまずさも、誰かのせいにしてしまう。

その陰湿さは、最近の新潮社の『新潮45』問題をめぐる、カタの付け方にもあらわれている。もうカタがついているのかな?

「体育会系」なら、新潮社の社長が出てきて、過ちをおかした普通の会社の社長たちがみっともなくもよくやるように、頭下げるなり土下座するなりして「からだ」で謝罪を表現するところだが、『新潮』に権威ある文学者の「文」をのせてチョンにしようとしているようにみえる。

あわれなのは、権威ある出版社という権力構造に利用されるだけのモノカキ屋、か。

そのモノカキ屋が商売に使う「言葉」。

「体」と「文」をめぐる、差別的な言動や確執、これはどうやら漢字導入後の日本語からきているらしい、とみることができそうだ。

「食べ物と「食べる」と「生きる」は密接で生活の根本なのに、長いあいだ「文」のリーダー格であったらしい文士や作家とか文化人とかは、もっぱら趣味や文学として「食べ物」をあつかってきた。それが、いわゆる近代のオピニオンの風潮であり、一般人のあいだにも広がった。そこで70年代、あえて「生活料理」という造語が生まれた、ということは『大衆めし 激動の戦後史』に書いた。

どんどん「食べる」と「生きる」ぬきの「食べ物(うまい物)」話が広がった。

ところで「文」の人たちは、なぜこうも、「食べる」と「生きる」から離れ、「食べ物」を趣味や文学としてだけあつかうようになったのだろうか。

これは、なかなかおもしろいことだ。

2018/11/03「「文化」と「カルチャー」。」の「カタカナ語の氾濫は日本語批判である」の関連だが。

表意文字の漢語が入って、それまでの和語から生理である「音」が犠牲になった、明治以降その生理的に欠陥のある日本語教育をつづけてきた。ということのようだ。

「そもそも言葉は第一義的には知的なものではなく、多分に生理的なもの」なのだが、ゆがんでしまったのだなあ。そういう言葉で教育されてきた、おれもあんたもあんたも、ゆがんでいるわけだが。「文」屋がエラそうにしているのも、「文」屋をやたらあがめたてまつるのも、そういうゆがみだ。

とくに明治以降の「文」の人たちのあいだでは、「食べる」と「生きる」から「食べ物(それも、とくにうまい物)」を離して語るようになった、それは生活的でも生理的でもなく、とても知的に気取った作業だったのですね。そして、大めしをワッシワッシとかっこむことは、低次元の生理的な食べ方で、品がなく野蛮なことにされた。

とにかく、漢字文化の日本語教育のおかげで、言葉は知的で品がなくてはダメ、ってことになったわけだよ。この抑圧は強いね。おれのように下品で野暮な男は、負けそう。

知的であり品があることが、「文」を通じて、とても大切にされるようになった。肉体労働は見下される。

ところが、1980年代、平成になってから、「食べる」と「生きる」が一緒に大いに語られるようになった。そこには「からだ」や「いのち」という言葉もよく使われている。

それなりの背景があるのだが、それはともかく、「ビーガン」や「ベジ」などの言葉が、普通になってきたのをみるにつけ、カタカナ語の氾濫は、言葉は知的でければならないとして生理としての「音」を犠牲にしてきた漢字文化への「ノー」であるというのは、なんとなく、わかる。

音楽、じゃなく、ミュージックの分野では、ビジネスの分野以上にカタカナ語が多いようだし。

「食べ物」と「食べる」と「生きる」がつながって、生活の中の言葉が豊かになっていくのだろうか。そこに、カタカナ語が、昔からあるふりをしておさまっていくのだろうか。「マカロニサラダ」や「ライス」のように。

「体」と「文」のあいだは、どうなっていくのだろう。

気取るな、力強くめしを食え!ってことですよ。

これ、カタカナ語にすると、どうなるのだろう。

画像は、『太陽』1994年10月号。「作家」たちは、大いに「食べ物」を語ったのだが。

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2018/11/05

平成の食カルチャーと「デフレ」。

きのうは「平成の食文化」と書いてみたが、きょうは「平成の食カルチャー」と書いてみた。

平成の食カルチャーに与えた衝撃つまりインパクトをキーワード的にあげると、きのうの「エコロジー」「ファジー」のほかにいくつかあるが、下半身直撃のインパクトといえば、なんといっても「デフレ」だ。

ってわけで、資料をいろいろ見ていたら、きのう書いたことに関係する話があった。

2000年ごろから、「デフレ時代の生活術」として「「手づくり」ブーム」が注目された。それは、じつは、従来の「手づくり」とはちがうカルチャーを持っていたのだが、いろいろな新しい展開を見せている。たとえばスペクテイター42号「新しい食堂」にも見られるように、シロートが飲食店を開いたり、いろいろな分野に進出しているのだ。

これには、平成の食カルチャーに大きな影響を与えた「インターネット」も関係している。おれがパソコンを買ったのが2000年暮れで、翌年の2月に「ザ大衆食」のサイトを開設したころは、インターネットが急速に拡大していた。ホームページも新しい手づくりメディアであるのだけど、デフレとインターネットと手づくりが交差し、食カルチャーは変容していく。「餃子ブーム」も、その一つだ。

それはとにかく、そのきのう書いたことに関係することだが、2001年ごろの「手づくり」ブームをリードしていた雑誌に、マガジンハウスが発行し「シロートが発信する雑誌」といわれた月刊誌『MUTTS』がある。

その編集長だった秦義一郎さんが、こんなことを言っていた。

以下引用・・・・・・・・・・・

工業社会の時代には、価値の規準は一つ。食でいえば、グルメ評論家の山本益博氏の意見に大勢が追随します。今は、一人一人に固有の規準があって、それはウマイとかマズイではなく、自分の好み。それを自由に料理で表現できるようになっているのです。雑誌で素人が変な料理を披露しても、昔なら無視されるのが、今は1万や2万の賛同者や模倣者がいて、ウマイと言ってくれる。どんなに趣味が悪くても、賛同者はいて、それを認めないといけない時代。一人一人のアイデンティティを認める個人主義が、ようやくこの国にも始まったのかなと思いますね。

・・・・・・・・・・・・・・・

「一人一人のアイデンティティを認める個人主義が、ようやくこの国にも始まったのかな」

そして10数年がすぎた。

『MUTTS』のような、シロートが発信する雑誌など必要ないほどインターネットが普及し、日々、いろいろな「変な料理」がたくさん登場し、たくさん「いいね」がついたりする。飲食店でも、店主の個性や生き方と提供する料理やサービスのギャップが小さくなっている。

一方で、そういう「変」を認めない人たちもいる。なにより飲食店や食べ物選びでは「外れ」をひきたくないという考えも根強い。冒険や失敗を避けたい気持は、デフレで、ますます強まったともいえる。昭和に支配的だった一つの価値観一つの方向を向いて「質」を求めるヒエラルキーの構造は、もはや全体を支配するほどではないが、大勢であって、均質化均一化も進行しているのだ。

個人主義の歴史は浅い。「個性」を認めあうことについては、まだ子供のレベルともいえる。

そのあたりでもみあっている。

当ブログ関連
2015/05/31
1995年、デフレカルチャー、スノビズム。

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2018/11/04

平成の食文化と「エコロジー」「ファジー」。

バブル真っ盛り平成のしょっぱなに流行っていたのは、ディスコだけじゃない。「エコロジー」と「ファジー」がブームだった。

どちらも、70年代後半ぐらいから、学術業界方面では話題になっていたが、80年代後半には、大手ナショナルブランドの大量生産商品の名前や広告に使われるほどになった。ファッション業界は「エコカラー」のファッションを売り出し、家電業界では「ファジー」な電化製品を開発した。

「エコロジー」と「ファジー」というが、本来の意味以上に、じつにいろいろなことが絡んでふくらみ、食文化への影響も半端じゃなかった。いまでいう「マクロビ」などは、このあたりのことをぬきには考えられないし、いまでも、いわゆる「和洋中」という盤石に見えた近代日本食の大きな構造をゆさぶり続けている。

「食堂が根をはった日常が大きく動いたのは、一九八〇年代だ。それまでは、たいがい収入差はあっても、成長する工業社会のもとで工場のサイレンに合わせるかのように同じリズム同じ方向を維持し、終身雇用年功序列の同じ出世双六ゲームを競っていた。日常もわりとわかりやすかった。「サザエさん」や「ちびまるこちゃん」の世界だ。」

と、スペクテイター42号「新しい食堂」に書いたのだが、みんなが同じ一つの価値観に向かってイケイケの工業社会は、70年代中ごろからの2回のオイルショックもあって、かなり雲行きがあやしくなっていた。

で、工業社会を支えてきた科学技術の背骨のような思想として、「デカルト主義」その「要素還元主義」が見直されたり批判にさらされる一方で、「エコロジー」や「ファジー」などが、いままでとちがう、これからの価値観として注目され話題になった。それを、大手のマーケティング屋が商売に利用することで、ブームにまでなったのだ。

大手のマーケテイング屋が商売に利用するからには、それなりの目算があってのことだが、マーケティング屋は同時に、従来の一つの価値観に向かったマーケティングも怠りなくやっていた。それは「品質至上主義」ともいえるもので、バブルのころには「いいものをつくれば売れる」という、工業社会の遺訓のようなものを引きついでいた。

「グルメ」の分野でいえば、80年代前半に料理評論家として売り出した山本益博さんに追随するような風潮だ。長いあいだの集団主義は、そうは簡単には変わらない。一つの価値観に向かっての、ステレオタイプや善悪二元論や二項対立といった右往左往は、いまだって続いている。

平成になったからといって、昭和の工業社会の一元的な価値観がいきなり変わるわけじゃないのだな。ましてや、高度成長という成功に酔ったことがある文化だ。それが親から子に伝えられ、平成になってからも「プロジェクトX」なんてのもあったしなあ。

「サザエさん」「ちびまるこちゃん」型の世界観は続いている。それは、個人主義が未成熟で、家族という集団の中の個人主義ていどのものだったことが関係していたようだ。

その個人主義が、しだいにエコロジーやファジーと絡み合い、自立性を獲得していく。そこには、これまでの「和洋中」とはちがう「第三世界」の文化と料理が見られることも多い。「第三世界」の文化と料理は、スーパーの陳列棚まだ変えてしまった。

一方で、工業社会の流れの「いいものつくれば売れる」の教条主義は、本来は対極にあったはずの「エコロジー」や「ファジー」と絡み合い、その品質至上主義はマクロビ食品や純米酒といった先祖がえりのような「本物主義」と仲良くしたり、「フード左翼」でありながら「フード右翼」である複雑な関係が生まれていく。まさに「ファジー」なんだねえ。

乱交状態のようないろいろな絡み合いで平成の食文化は、多様化し複雑化するのだが、その根っ子をさぐると、「エコロジー」と「ファジー」が出てくるというわけなのだ。

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2018/11/03

「文化」と「カルチャー」。

今日は「文化の日」だそうだ。

もとは明治天皇の誕生日で「明治節」といったものが、戦後の「民主主義の時代」にあわせて「文化の日」になったとか。そうやって戦前も生きのびている。日本料理界にも、天皇家の御威光を笠にきている人がいますな。

「文化」のかわりに「カルチャー」という言い方があって、近ごろは、「カルチャー」がよく出回っている。

おれの体験では、70年前後か、「サブ・カルチャー」や「カウンター・カルチャー」あたりから「カルチャー」を使うようになったが、それ以外で「カルチャー」を使うことはあまりなかった。

70年代ぐらいから、カタカナ語の氾濫がすごくなり、「ビジネス」は普通に流通するようになったし、そのビジネスのステージでは「コンセプト」や「ポリシー」や「クリエイティブ」や「ロイヤルティ」、それから「アイデンティティ」なんてのが広がり始めたし、食品の商品名もカタカナでないと売れないといわれた。多様化が進行する80年代は、さらにすごいことになった。

けっ、カタカナ語なんか使ってかっこつけやがって、と、おれは思いながらも、仕事では、けっこう使っていたね。なにしろマーケティングの手法は、ほとんどアメリカ伝来だから、仕方ないのだ。

でも「文化」については、「文化」で通すことが多かった。

が、しかし、どうも、だんだん、「文化」がエラそうにしているのがハナにつくようになった。「文化の日」の「文化勲章」なんて、その頂点といえるだろう。

まだ、けっ、カタカナ語なんか使ってかっこつけやがって、と思っていたころ、「カタカナ語の氾濫は日本語批判である」という主張を読んだ。たしか、1990年代後半、「一流」といわれる大学の言語学の教授が、そのようなことを言っていたのだ。その言葉が気になったので、メモに残っているが、何に書いてあったかのか、教授の名前もわからない。

とにかく、それを読んで、なるほどねえ、そういう見方もあるのか、知らなかったよと思った。

日本語の漢字は、表意文字だから「音」は犠牲になっている、欠陥言語だというのだ。

そういえば、漢字を使うと、なんだか格調高くエラそうだ。官庁の文章は昔から漢字が多かったぞ。大昔は漢文だったしな。ようするに見栄っぱりのために、身体的な「音」を犠牲にしている。

現代の詩人のなかには、やたらにひらがなを多用する傾向があるが、あれは、エラそうな漢字に対する批判とみれなくもないな。

とか、いろいろ考えて、忘れていたが、近ごろ、「文化」と「カルチャー」をめぐって、このことを思い出した。

とくに、「文化」の「文」が意味を持ちすぎている、やたらエラそうだ。なんでもやたら「文化」をつけて、「貴族」ぶって、「賎民」を見くだしている。おれのような野暮な賎民は、「カルチャー」のほうが、はるかに解放的で民主的でよい。

しかし、2018/10/25「おれの平成食文化誌。」にも書いた「憧れの文化」は、貴族的文化の象徴である天皇の御威光のもと、まだまだ続くのだろうな。

カタカナ語もいいことばかりじゃない。

たとえば、「コンプライアンス」なんてさあ。NHKだの、いい大会社が、「コンプライアンス推進」なんていうけど、ようするに「法令遵守推進」をいわなくてはならないほど腐っているわけだ。それが「コンプライアンス」なんていうと、おれたちかっこよくやっているもんね、なーんていうイメージへのすりかえで腐臭がなくなってしまう、それをねらっているんじゃないの。

とにかく、近代日本食は、漢字とカタカナとひらがなをテキトウに使ってきたから、こうまで多様化したともいえるわけだ。普及には、「ことば」が、ものをいうからね。もう食べ物の名前からして、すごい雑多雑種で、これ「日本文化」というより「日本のカルチャー」ね。というぐあいに、「カルチャー」を、どんどん使おうかナ。

「文化の日」が「カルチャーの日」になったら、おもしれえな。

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