「米食かパン食か」ではないのだが。
先日、午後1時すぎに都内の古い大衆食堂に入ったら、いいダーク・スーツを着た若い男二人と女一人が一つのテーブルにいた。その隣の席があいていたので、おれはそこに背中合わせで座ったのだが、自然に三人の話が耳に入る。
三人は25、6歳だろう、同期入社で、二年ほど地方へ転勤させられ最近(たぶん秋の異動でだろう)東京へもどったようだ。沖縄以外に支店や営業所があって、一人(女)は新潟の某市、一人は山陰の某市、もう一人は判断できなかった。転勤先の食べ物とコンビニの話をしていたが、24時間交代勤務の会社のようで、5時間コアタイムのフレックス制のコアを何時にとるのがいいか、ひとしきり話していた。やっぱり食事を中心に勤務時間を考えたほうがよいとか、夜勤務を中心にして朝の退勤にするのも変わった生活ができていいようだとか話していたのだが、女が突然(のようにおれには聞こえた)「とにかく炊飯器でごはんを炊けるようになったからうれしい」といった。
一人暮らしのようだが、これまでごはんを炊くことをしてなかった、というより、ごはんを炊けなかったようだ。台所のない寮のようなところにいたのか。あれこれ考えてみるが、話の内容からは、よくわからない。仕事で疲れたときはコンビニに寄るのもめんどうになるから、ごはんが炊いてあると安心だ、というようなことをいっていた。
疲れてコンビニに寄るのもめんどうになる労働を想像してみた。そういう生活の炊飯器でごはんを炊いておける「うれしさ」を想像してみた。
きのうの関連になるが、『大衆めし 激動の戦後史』では、「米とパン」「米と麦」について、けっこうふれているが、「米かパンか」「米か麦か」ではなく、戦後の米とパンや麦について、主にどんな経緯と言説があったかを書いている。
ようするに実態としては「米かパンか」ではなく、米もパンもうどんもそばもであり、米も麦もなのだ。ということは、『ぶっかけめしの悦楽』と『汁かけめし快食學』でも書いていて、庶民レベルの日常では雑穀中心の五穀が「主食」であり、そこに汁かけめしの必然と可能性があったし、米が全国的に庶民の日常の食べ物になるのは昭和30年代以後のことだと書いている。
ところが主な言説となると、「米食かパン食か」になってしまう。二項対立の比較で、「主従」「上下」「優劣」をつけたがる。どっちを食べるとバカになるかという話まで出て、いやはや、だ。
そういう思考回路は、いろいろなところに働いていて、粋と野暮だって、粋と野暮は対極にすぎないのに、対立軸であるかのように、粋が上位で野暮は下品にされる。そもそも、米食とパン食も、米と麦も、対極ですらない。
「主従」「上下」「優劣」をつけたがるクセの背後には、長く続くタテ型社会の一元的価値観がある。多元的価値観は、なかなか受け入れらない。結果、二項対立の一択になるという、いたるところにある図式だ。
そうなのだが、「米食かパン食か」につていは、独特の背景がある。
米は、タテ型社会の頂点に君臨してきた天皇家と深い関係にあること。
米は貨幣に代わる機能を有していた時代が長かったこと。
つまり米は、普通の「主食」である前に、「特別」だったのだ。「特別」であり「投機」の対象にまでなって、普通の食品としての供給を損なうこともあった。米が普通の食品として庶民の日常に定着したのは、戦後のことで、まだ日は浅い。もしかすると食パンの広がりと10年もちがわないかもしれない。
そして、現在、パン食のパンの原料の麦は、ほとんどといってよいほど輸入、しかも、ほとんどといってよいほどアメリカ産であることだ。
さらにさらに、戦後の米作が日本の農業と地方経済に占めていた位置がまた「特別」だった。
だから日本の「主な」方々は、キーッとなって、「米食かパン食か」の話に短絡しやすい。例によって「伝統」をふりかざす。ああ、混迷。
消費金額で、米とパンが同等かパンが上回るようになっても、大都市の消費者は、日本の米の生産者ともアメリカの麦の生産者とも向き合っているわけではない。「金」を間においた関係でしかない。それと大きな「日米関係」ってやつが立ちはだかる。
こうなると、五十嵐泰正さんの『原発事故と「食」』が述べているように、「食べる/食べない」の不毛の対立を乗り越えるために、問題を整理し切り離して個別の対策が必要だと思うが、でも、たぶんこれまでの流れからすれば、どうにもならないんだろうなあ。という感じのほうが強い。
「主従」「上下」「優劣」の価値観は捨てられないのか。「金」を間においた関係は変えられないのか。もっと生産の現場と向き合えないのか。
いったい、どうしたいのか。
どうしたいのか。
グルメと酒に酔っているうちに、どこかへ転がっていくのだろうか。うへへへへ
| 固定リンク | 0