「ナポリタン」ってのはね。
もう、ほんとうに、飲食ネタは花盛りだけど、デタラメが多すぎやしないかという話をしていた。まあ、売れれば天下、という時代だからなあ。
ナポリタンにかぎらず、まいどのワン・パターンなんだが、「プロの味」だのなんだのって。そりゃまあ、プロはプロでやっているでしょうけど、そういう話がにぎやきになるのは、いつごろからのこと? わりと新しいんじゃないの。「B級グルメ」が話題になりはじめた、1980年代の後半の「B級グルメ」の本などでは、ナポリタンなんかたいして話題になっていないよ。だけど、どんどん食べられていたよ。
おれが、おふくろがつくるナポリタンを食べていたころは、ってのは中学から高校のころのことで、小学校のころはハッキリ思い出せないのだが、もしかすると小学6年生のころには食べていたことがあるかもしれない、つまり1950年代後半ぐらいか。
そのころ、おれのまわりでどのていどの人たちが「ナポリタン」を食べていたか知らないし、友達と話題になったこともなかったが、とにかく、スパゲッティは売られていたし、高校の山岳部の合宿(1958年~61年)でもナポリタンをつくって食べたよ。
なにがいいたいかというと、「プロの味」だのなんだの関係なく、たぶんスパゲッティ麺メーカーやケチャップメーカーの包装の作り方や広告宣伝のおかげじゃないかと思うんだが、どんどん人びとの生活の中で勝手につくられていたのさ。
そういうことをまったく無視するように、飲食店の「プロの味」ばかりが流布される。それって、ナポリタンにかぎったことじゃないが、「歴史修正主義」じゃないの。ってか、飲食のことについては、まっとうな歴史とは何かすら疑わしい。これなんていうんだろう、「似非歴史主義」とでもいうんかなあ。「似非科学」は問題になるわりに「似非食文化」は話題にならない。そういう「劣化ループ」ね。
と、飲食ネタのいいかげんさを正そうとするようなことをいうと嫌われるから、やめておこう。みんなは「いい話」がほしいだけなのさ。
はあ、「崑崙」のナポリタンとミートソースは、よく食べたなあ。
とにかく、飲食ネタを、エラそうな、かっこいい話にするのはやめようぜ。ナポリタンってのは、貧乏くさい生活の中で、あれをすすりこむようにズルッズルッと食べると貧乏くささを抜け出せそうな、バタくさい「洋風幻想」を一瞬あたえ、うどんのような腹ごたえを残してくれる、まあ愛しいやつだったのさ。
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