いまさら、のようですが…。
五十嵐泰正さんの『原発事故と「食」』(中公新書)が発売になったのは、今年の2月のことだった。「あのころは」と遠くを見る目をしたくなるほど、この話題がけっこう盛り上がっていた。それからもっといろいろに議論が発展するのかと思ったが、そうはならなかった。
一部では、「識者」たちが群がり言論的な話題として消費されておわった感じがあるし、一部では、それぞれの立場にこだわり続け分断の解決に向かうより私怨を深めていったように見えるし、ほかに、あれはなんといったらよいのかシノドスというかフェイクナントカをめぐるジケンは一部の人たちをしらけさせた。
もちろん、おれのしらないところで、いろいろ議論になっているのかもしれないが、どのみち、コトはそうは簡単ではないのだな。
簡単ではないから、ときどきこうやってぶりかえして、「いまさら、のようですが…」といってみるのも、悪くないだろう。
いつごろからか、いつも利用している近所のスーパーには、「福島産」の野菜が普通にならぶようになった。米はないが、もともと福島産はなかったような気がする。
「風評」の払拭には、どれぐらいの期間が(人と金もからめ)かかるものか、その基準というのは、あるのだろうか。また今回は対策として、風評のもとになるデマが、クローズアップされることが多く、デマを叩くことが対策であるような感じもあったが、そのあたり、どうなのだろう。風評対策のあるべき姿に近づいているのだろうか。そういうことが、けっこう気になった。
とにかく一日も早く風評をなくさなくてはならないということで、デマを叩きまくるってことが対策であり、どれぐらいの期間をかけてどのように風評を払拭していくのがよいのか、検討が深まっている感じはなかった。というのは、おれの印象だが。
五十嵐さんの主張である「切り離し」つまり、福島県産を普通のマーケティングとして追求することについては、「風評とデマ」のほうが耳目引いて話題になり、あまり深まった感じがない。
けっきょく「××派」対「〇〇派」の枠組みが前面に出てきてしまう。「××派」対「〇〇派」があっても、それは見て見ぬふりして、オトナの対応でいきましょうねと取引に持ち込むという関係は、あまり見られなかった。といっても、これはインターネット世間の主には「識者」のことで、実際には、ウチの近所のスーパーにも福島県産がならぶようになった。どっかで、誰かさんと誰かさんがいがみあっているうちに。
「食べて応援」については、五十嵐さんは次期尚早だったようなことをいっていたと思うが、おれは、この件についは、もともと農水省がやるべき仕事だとは思っていない。「食べて応援」は、あってもよいが、「民間」が主導する仕事だ。そのへんのケジメのなさというか、デリカシーのなさは、ま、官僚だからね、ということにしておこう。食育基本法にしてもだが、何を食べるかは「個」に属する問題だという基本的な認識が足りない。
ともあれ、検証となれば、どれぐらいの予算措置で、どれぐらいの期間に、どれぐらいの成果を出すつもりだったか、気になるところではある。が、たいして気にしてないか。おれの知り合いには、「食べて応援」に職務で関わっていた人もいる。大きな組織が動いているのだから、そういうこともあるし、大きな組織だから「食べて応援」でよかったのかが問われる。
「まずは生活者・消費者として、2011年3月から自分が何に悩み、憤り、悲しい思いをしてきたのかを振り返ってみること。そのときどきに下した一つひとつの小さな決断が、どういう意味を持っていたのか、あらためて考えてみること。/原子力発電を、肯定するのであれ否定するのであれ、いまこの社会に必要なのは、一人ひとりのこうした省察と、日常的な場でそれを話しあってみることだと、私は強く感じる。」と五十嵐さんは述べている。
ちゃんと向き合えるだろうか。
少し話はズレるが、このあいだ知り合いと飲んだとき、共通の知人で原発事故の後、「西へ」移住した人たちの近況を話し合った。二組の夫婦、一組は子供が二人いる。それぞれ移住した田舎町で、東京にいたときよりうまく商売をしているらしい。もちろん最初は大変苦労したらしいが。「東京にはもどりたくない一心でがんばったって、それはそれよかったじゃないの」と笑った。
ほかにも、原発事故がきっかけで「西へ」移住した知り合いがいる。みな結婚しているし子供がいる家族も、何組か。あの事故がなかったら、東京にしがみついて生きていたかもしれない。彼らは、そうでない方向へ向かった。抱えた不安や不信は、一人ひとりちがうのだ。
とにかく、原発事故については、何も終わっていない。
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2018/03/11
3月11日だから、五十嵐泰正著『原発事故と「食」』(中公新書)を読んで考えた。
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