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2018/12/16

ひさしぶりに、記憶喪失帰宅。

とくに今年になってからは都内へ出かけて飲むことは控えるようにしていた。トシのせいだろう、出かけるだけでもくたびれるのに、酔って混んだ電車に乗って帰るなんて真っ平ごめんという気分が先に立つ。

というわけで、きのうは、赤羽まで来てもらって飲んだ。15時に待ち合わせ。

まずは暖母。ここはつくづくおかしな店で、おもしろい。シャンデリアがぶらさがる昔のアンティークな純喫茶の見た目。喫茶と居酒屋とイタリアンと大衆食堂が混在しているようで、そのどれでもないがどれでもである。たこ焼きもピザも食える。飲み放題メニューもある。中華や日本の麺類だけはないか。とにかく安くて量がある。それに、客層が、これはもう赤羽的としかいいようがないのだろうなあ、「市民」というより「労働者庶民」。

最近おれは、「庶民」を「貴族庶民」と「労働者庶民」にわけてみるとおもしろそうだと思っている。なにしろ、いろいろ「格差」や「不均衡」が激しくなり「分断」もなかなかのもんだからねえ。「庶民」なんて言葉でくくるのは難しくなっている。

それはともかく、暖母で、まずは乾杯。どうやら、夏以来のことらしい。

チョイと酒が入ると元気になる、やっぱり日本酒が飲めるところへ行こう。そうだ、王子の山田屋へ行こうと、1時間ほどで暖母を出た。ついでに一番街のほうをぐるっとまわってみると、まるますは行列ができていた。あいかわらずですなあ。行列の大半は二人連れ以上の貴族庶民風、なかに一人客の労働者庶民風がちらちら。

山田屋はまるますほど混雑はしない。まずは、高千代の辛口をボトルで。あけたあとは、緑川や鶴齢をグラスでちびちび。ますます調子がついて、池袋のアボチョイへ行こうとなった。

アボチョイはけっこう混んでいたが、なんとか座れた。生ビールのナンチャラやらジントニックを飲んで、どんどん酔いが深まる。

出たのは何時かわからない。池袋駅手前あたりから記憶がとんでいる。ひさしぶりに泥酔記憶喪失帰宅だった。

ま、何を話していたか、たいがい思い出せそうだが、どのみち忘れてもよいようなことばかり。と、覚えていなくてはならないことを忘れているかもしれない。酔っ払いはあてにならない。

とにかく、今年も作家は津村記久子だったし(+滝口悠生)、来年は津村記久子攻略が成功することを祈ろう。

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