「生活」の始まり。
ことしのいつだったか、鬼子母神通りみちくさ市の古本フリマで買った『ナリコの読書クラブ』(近代ナリコ/彷徨舎2008年11月)を読んだ。
『彷書月刊』連載「ハルミン&ナリコの読書クラブ」の近代ナリコ執筆分2001年8月号から2008年7月号に加筆修正し、近代ナリコと浅生ハルミンの対談「わたしたちってなぜ?」がまとまっている。
近代ナリコの書きっぷりが、文体も内容も自由闊達解放的で、読書の楽しみを広げるおもしろさがある。こういう書評?は、いいなあとおもう。メインストリームとは立ち位置が異なる『彷書月刊』だったからできたのかもしれない。近代ナリコも対談のなかで「こういうふうになんの制約もなく書ける場所、他にないので」といっている。
取り上げられている本の傾向はいろいろだが、「「生活」と「芸術」と」というタイトルは、西村伊作『装飾の遠慮』(大正11年・文化生活研究會)についてだ。
引用も含めて、このように書かれている。
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「近頃、生活と云ふ言葉がよろこんで多く用ゐられます。生活のためといふことは、たゞ人々が其日其日衣食して暮すと云ふ事以外に意味を有つて居るようです」
とあるように、ひろく日本人の関心が「生活」に向けられはじめたのは明治の末頃だったようです。文化学院の創立者であり、また今日の一般的な居間中心の住宅をいちはやく取り入れた伊作は、「生活」と「芸術」の調和をめざした大正のモダニスト。そのおこないのすべては彼の理想とする「美しい生活」のため。
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おれとしては、西村伊作が述べていること、なかでも「生活のためといふことは、たゞ人々が其日其日衣食して暮すと云ふ事以外に意味を有つて居るようです」と、近代ナリコが「ひろく日本人の関心が「生活」に向けられはじめたのは明治の末頃だった」というのにすごく興味をひかれた。
そこんとこを、もっとよく調べてみたいし「暮らし」と「生活」のあいだが気になるのだった。
西村伊作は「明治風の西欧趣味を嫌い、アメリカの中産階級の合理的で堅実な生活を手本としていたようで」と近代ナリコは述べている。となると、『食道楽』の著者、村井弦斎が思い浮かぶ。彼も渡米しアメリカの影響を受けている、そのあたりの生活文化的な時代背景はどうだったのだろう、西村伊作と共通する何かあるのか。
近代ナリコは最後を、「『暮らしの手帖』が提唱するくらいの「美しい暮し」なら、懸命に努力すれば近づけそうな気もしますが、伊作の激しい徹底ぶりにはとてもついてゆけない。「生活」と「芸術」の調和、などという問題について本気で考えていたら、それこそまともな暮らしがままならなくなってしまいそうだと思いました」と結んでいる。正直でいい。
だいたい、普通の「まともな暮らし」「まともな生活」をおいといて、「美しい暮し」「美しい生活」なんていってもねえ。
近ごろは「丁寧」が印籠語のように使われるが、「丁寧」とは何を基準に考えているのか、その思考レベルはすごく雑で丁寧でもなんでもないのが目立つ。ま、ようするに、印籠語のハヤリ言葉なのだ。「美しい暮し」も、そんな感じがある。そういう言葉を使って何者かになったかのような気分にひたることは、「丁寧」に始まったことじゃない。
「美しい暮し」も、表現レベルや作業レベルでは丁寧で美しそうにしているけど、思考レベルではアヤシイものが多い。だけど、上っ面の表現にごまかされやすい。そして、すごくハイアートのようだけど内容の薄っぺらな表現になれていく…と劣化ループは続く。
おれは、近ごろ、「丁寧」は「カワイイ」のエセ大人バージョンではないかと思っている。
とにかく、「生活」や「暮らし」を、その言葉が多く用いられるようになったころから調べてみよう。
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