たらこと明太子。
きのうはひさしぶりにスーパーで買った明太子をおかずにめしを食べた。有名なブランド物ではなく、どうってことない安物だが、うまくて、うまくて、めしをたくさん食べてしまった。
明太子を買うのは一年に一度ぐらいか。めったに買わない。だけど、コンビニでにぎりめしを買うときは、かならず、鮭のほかに明太子かたらこを買う。
たらこもスーパーではめったに買わない。やはり一年に一回ぐらいか。一か月ぐらい前に、ひさしぶりに買った。そのときも、めしがたくさん食えたし、ちょっとあぶって酒のつまみにもした。もう、うまくてたまらん。
鮭とたらこは、ガキのころからよく食べた。めしがたくさん食える、ま、安上がりのおかずだったのだ。よく弁当のおかずにもなったね。
ガキのころは明太子など見たこともなかった。おれにとっては、明太子は、成人後の比較的あたらしい食品だ。
それからガキのころは、生でくえるたらこはなかったね。かならず、あぶった。あぶると、たらこの皮が一面、塩で真っ白になった。もう「塩害」という感じ。たぶん家庭に冷蔵や冷凍が維持できる箱がないころは、塩をたっぷり含んでいたのだ。しかし、焼けた白い塩がふいている、パリッとした皮がうまかった。めしを何杯も食べられた。
とにかく、いまはたらこか明太子を一年に一回ぐらいおかずにするときは、めしが底なしに食える感じだ。そうはいってもトシのせいか、ふだんの倍、茶碗に二杯ぐらいしか食べられない。倍もくえれば十分だ。無理矢理食べれば、もっと食べられそうだが、そこまでしないのがトシってことだ。分別くさい、だらしねえジジイになった。
たらこか明太子さえあれば、何もいらない。
いつごろからか、飲食店を評価するのに「コスパ」という言葉が流通するようになった。あれは、どういう基準なのだ。「コスト・パー・フォーマンス」ということなら、キチンと数値化できなくてはならないと思うが、そうではないようだ。かなり、いいかげんなんだな。いいかげんは好きだけど、いいかげんだということを自覚して、あまりエラそうにしなければよいのに、なんだかエラそうなのがいけないね。
たらこも明太子も、1グラムで、めしを何グラム食べられるか計算できそうだ。そうすれば、どんなにコスパがよいか、はっきりするにちがいない。
めしがたくさん食べられるおかずこそが、まちがいなく「うまい」のだ。そう確信してしまおう。なにしろ数値化できるのだからな。
生たまごぶっかけめしのばあいも、たまごのグラム数とめしのグラム数で計算できるだろう。もしかすると、たまごのほうがグラム単価が安そうだから、こちらのほうがコスパはよいかもしれない。だけど、チョイとたらすしょうゆの値段も計算しなくてはいけない。
栄養価まで含めたら、生たまごぶっかけめしのほうが有利のようだ。
でも、どうしてもがまんならないほど食べたくなるのは、たらこと明太子だ。
たらこのあぶり加減を、いろいろ考えて、いろいろ変えて楽しむ。あぶるときは、うちはメインがIHなので、オーブントースターでやる。なかなか加減が難しい。
むかし、炭火やストーブであぶったときは、網の上でひっくりかえしては加減を見られたが、オーブントースターのばあいは、そうはいかない。
たらこの大きさも計算し、何分にするか考え、セットしたあとは透明の窓からのぞきこんで、あぶられて表面の皮の色が変わる様子を、ジッと見る。見ているうちに生唾が出てきて、がまんならず開けてしまう。
オーブンの中は熱源の赤色で変わっているから、外に出して見ると、イマイチのことがある。もう一度セットする。
ときどきによって、レア、ミディアム、ウエルダンと焼き加減をえらぶ。
楽しい。うまいめしが食える。酒もたくさん飲める。
これだって、立派な料理なんだな。
さて、こんどは、いつ、たらこか明太子を買うことになるか。楽しみだなあ。
ううううう、考えるとがまんならない。明日、買っちゃおうかな。
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