川原真由美「山と地図となにか」展×若菜晃子トーク。
川原真由美「山と地図となにか」展が、今月23日から2月4日まで、吉祥寺のキチムで開かれている。
http://www.kichimu.la/file/kawahara2.htm
昨年末に川原さんからメールをもらって、ただちに予約しておいた若菜晃子さんとのトークがきのうあって、行ってきた。
吉祥寺、とおーい。距離的にも文化的にも。
きょねん初夏のころだったかな、同じキチムであった、斎藤圭吾×有山達也トークで川原さんと会って、山の話で盛り上がった。そのとき、山は好きでやっていることなので仕事にする気はないのだけど、最近山の仕事がくるようになって、それはそれでやっぱりうれしいというようなことを川原さんがいっていた。
おれは、むかしから趣味を仕事にする気はないが、それでくうほど仕事をするのでなく、楽しんで小遣いをもらう感覚ぐらいのことならいいんじゃないかなあと思いながら、まったく仕事にならないよりいいよね、なんていう話をしていた。
これ、きのうとおとといの「プロとアマ」のことにも関係ある。
トークでも、好きな登山と仕事とのかねあいのことが話題になった。
若菜晃子さんは、登山をする人ならたいがい知っている山と渓谷社で、『wandel』編集長や『山と渓谷』副編集長を経て独立、「山」をこえて、いろいろ活躍しているが、一昨年発売の『街と山のあいだ』が好評だ。
つまり若菜さんは編集者で、山を仕事にしてきた。編集も山もベテランだ。
川原さんは、2011年ごろから山に興味を持ち、山へ行くようになった。東京藝術大学美術学部デザイン科を卒業、イラストレーションやデザインそれに美大で講師もしている。
ついでだが、若菜晃子さんは、美術同人誌『四月と十月』でおれの理解フノーの連載がスタートしたとき編集を担当していて、メールでやりとりはあったが、お会いしたことはなかった。
川原さんは、そのころすでに同人であり、のちに同人は退いたが、おれは古墳巡りなどで会うことがあり、川原さんが山を始めてからは、おれも以前は山岳部やら登山に没頭していたことがあったので何かと山の話になるのだった。
トークは、「゛山と自分のあいだ゛になにが見えるか?」と題して行われた。
やはり、川原さんは、山はあまり仕事にしたくないようなことをいった。それには、仕事場と自宅が同じだから年中仕事に囲まれている、そこから抜け出す場が山だという事情もあるのだが、「山を描く」ことがある種の葛藤になる事情もある。それは、そこに見える山を、紙の上に写せばよいだけじゃすまない、ということに関わる。そのへんは「美術家」である川原さん独特の事情があるのだな。
一方、若菜さんのばあいは、自分の著作に自分で描いた山のスケッチを使っている。それは、文章を書くように描いたもので、色もつけないし、色をつけた絵を描いたことはないし、とくに「美術」をめざしたものでもない。それが、川原さんも「いい感じでおさまっている」というぐあいに仕上がっている。
若菜さんは、山へ取材に行くと、ほかの登山者に「好きなことが仕事でいいですね」といわれる。するともちろん口には出さないが、「だったらやってみろよ~」といいたくなるぐらい、時間があったら海へ行きたい、「仕事」で山また山の日々なのだった。
でも、二人とも山は好きだ。
この「好き」というのは、単なる「趣味」とは違うようだ。「趣味」と「好き」は、ビミョーに異なることがある。というのが、「山と自分のあいだ」と題したトークが浮かび上がらせた、いちばんおもしろいところだった。と、おれは思った。
なぜ山に登るのだ、そこに山があるからだ、というのはよく話になることだけど、もう一つ「山と自分のあいだ」を考えることで、見えてくることがある。川原さんは、「いろいろなことがつながっているということがわかってきた」というような言い方をしていた。
そのあたり、なかなか充実した内容だった。
「好き」を仕事にする、「趣味」を仕事にする、「プロ」と「アマ」、いろいろな言い方をするが、ようするに、すべては、「生きること」「どう生きるか」につながっている。街にいようが山にいようが。
お二人は登山という教養について語っていたようだった。
「仕事」とは違う視線を持つこと。
自分とひと、自分と自然、そのつながり。「自分と自然」というと、たしかに街より山のほうがみえやすいということはあるかもしれないが、自分の身体も自然だということを忘れやすい。
高い山やすごい山をめざす必要もない。頂上は、ひとそれぞれにある。
街を歩いている延長線上に山はある。街と山はつながっている。古墳も山。
大きくいえば、宇宙は全部つながっている、と、山の上で満天の星を見たとき、おれも思ったなあ。
川原さんの展示は、額装した「立派」なものではないけど、その気軽な感じからクソマジメさ加減が伝わってくる。なかでも、登山をするひとはよく五万分の一の地図などの、自分が歩いた登山道に色をつけるなどして眺め楽しむわけだけど、その印したところだけをトレーシングペーパーにトレースしたものが「作品」になるのは、川原さんらしい彼女しか描けないものだからだろう。おれは、これが、いちばんよかった。
とにかく、そのトレースの線が、ビミョーにふるえているような川原さん独特の、「繊細」といってしまうとツマラナイ線が、絵になっているのだった。
はあ、おれも、山行のたびに自分の歩いたところを赤鉛筆で地図になぞったのだが、その線だけを写しとって作品にするなんてねえ。おれがやったら笑われるだけだ。そのように、この作者だから作品になるということがある。
トークを聴きながら、自分が「意識して」山登りを始めたころ、それからと、四月と十月文庫『理解フノー』に書いたように登山をアキラメたときのことなどを、いろいろ思い出していた。
おれは、「山と自分のあいだ」も何も考えずに登っていた。それでも生きているし、自分の登山には満足している。
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