生活細細―ジェネシスを追え。
「細細」は「ほそぼそ」でもあり「こまごま」でもあり「さいさい」でもあるが、その言葉のひびきを含めて、「生活」と相性がよい。と思うのは、おれの生活が、そんなぐあいだからというわけでもないだろう。
いつものスーパーへ行ったら、一人の20歳ぐらいの女性が、一袋100円のバナナを選ぶのに陳列棚のそれを一つ一つ取り上げては見比べていた。棚の全部を比べそうなぐらい、じっくり選んでいるのだ。
その容姿にほれぼれとしながら見ていると、彼女は選ばずにバナナから離れ、近くにあったパプリカへ移動した。パプリカは赤と黄が別の段ボール箱に入って並んでいたのだが、黄には興味がないらしく、赤のそれを、また一つ一つ取り上げては見比べている。これを「丁寧」というのか。
ようやっと一個を選び、備え付けのビニール袋に入れ、手にしていた店の買い物かごに入れると、またバナナにもどった。やっぱり選んでいる。何をチェックしているのか、わからない。きっと「こまごま」したことを比べているのではないかと思うが、それが彼女の生活なのだろう。
帰り、近くの公園を通りぬけた。ご老人が、といっても、75歳のおれと同じくらいかもしれないのだが、公園の水道から、大きなポリタンクに水をくんでいた。夕方、ときどき見かける。水を一杯にしたタンクは手押しぐるまのようなものにのせ、運んでいる。それも彼の「こまごま」とした生活なのだろう。
よく利用する安売りのドラッグストアへ行ったら、前はなかった「タマネギレタスサラダ」という、カット野菜の袋詰めがあった。
ドラッグストアは生鮮物は置かないが、袋詰めに加工したものは置いているし、その品種は増える一方だ。やはり置けば売れるのか。と考えながら手に取ると、袋には「こまごま」としたことが印刷されている。
「タマネギ、レタスが美味しい♪/タマネギレタスサラダ」「洗わずにそのまま/お召上がり頂けます」「原材料産地/玉ネギ(中国産)/レタス(茨城県産)/紫玉ネギ(アメリカ産)/製造日・・・/消費期限・・・・/内容量100g」「要冷蔵」、ここまでが表。
裏は、100gあたりの栄養成分表示や商品に関する表示義務に従ったものが表になっている。加工者は、レタスの産地、茨城県の食品メーカーだ。
ほかに「冷水でさっと洗って頂きますと、/よりおいしくお召上がり頂けます。」の見出しに「・野菜をカットする手間がかからないので、包丁やまな板などの洗いものを減らします。/・素材ばムダなく利用でき、ゴミを削減できます。」と、「ほそぼそ」「こまごま「さいさい」の生活を、巧みにゆさぶる。さらに「お好みのドレッシングをかけてどうぞ!」と。
棚の値段を見たら98円だ。うーむ、1g約1円か~と思いながら、買ってしまった。
無洗米が出たときに、「米ぐらい研げ」という声もあった。食育基本法が採決される前は、その機運を盛り上げるためもあって、日本人の食がどんなに「堕落」しているか、エライ先生たちがあげつらねた。
長いあいだ、生活を支配していたのは「道徳」で、「家事」に属する食事の支度や料理も「道徳」つまり「こころ」の持ち方が問題だった。「米を研ぐ」のも「こころ」の問題だった。家事や食事のことは道徳と説教、子供には躾だった。そこで「堕落」が問題になった。
「丁寧」に「手を抜かない」は、「方法」ではなく「こころ」のありようとして問題にされた。便利なものを使うと堕落する。便利で簡便な生活は、堕落だ。
堕落は悪だ。そもそも、堕落は、「悪」か。
生活は、時間と空間と金のコントロールであり、それぞれの実情にあった方法をとることだ、という「哲学」は「道徳」からは生まれない。
いまは無洗米どころか「レトルトごはん」が、種類も棚も増えているし、「カット野菜」も当初はコンビニ商材という感じだったがスーパーマーケットやドラッグストアでも棚が増えている。
何か月か前に買い置いた、「チキンラーメン」のカップを食べた。お湯をさし3分待って、フタをはいだら裏に、世界初の即席めん「チキンラーメン」の発明者で、世界初のカップめん「カップヌードル」の発明者である、安藤百福のことが印刷されていた。
彼は1910年生まれで2007年に亡くなった。チキンラーメンの発明は1958年、カップヌードルが1971年。きょねん、彼をモデルにした、連続テレビ小説「まんぷく」が放映された。
味の素を発明した池田菊苗は、1864年生まれ、うま味成分グルタミン酸ナトリウムを主成分とする調味料の製造方法を発明し特許を得たのが1908年。その50年後にチキンラーメン登場というわけだが、味の素の発明がなかったら、即席めんだけでなく多くの加工食品がこうはうまく軌道にのらなかっただろうし、味の素からチキンラーメンにいたる流れは、明治維新どこでろではない革命を、世界規模で生活にもたらした。
その大河ドラマは、NHKの大河ドラマどころじゃない。NHKの大河ドラマは、戦国時代や明治維新など、サムライたちが主人公のドラマばかりやっている場合じゃないのだが、ま、そのあたりに「生活」を道徳で制御しようとしてきた、事大主義の悪癖が見られる。
最近、また『ジェネシスを追え』(スティーヴ・シャガン、水上峰雄訳、新潮文庫)を読んだ。この本、1980年の発行すぐに買い、何回も読んでいるが、何回読んでもおもしろい。教訓にも満ちている。
なんといっても、扉にある、トーマス・ジェファーソンの名言だ。
「文明諸国を互いに結びつけている第一のものは、金であって、道徳観ではない。」
それはともかく、「ジェネシス」とは、ナチが発明した石炭に水素添加反応でガソリンなどの燃料を合成する製造仕様の暗号名だ。小説のなかでは、アメリカ人が「マーガリン」と呼ぶバターもつくれる話が出てくる。
1950年代後半だったか、マーガリンが普及しはじめたころ、マーガリンは石油からつくっている、実際に油臭いというウワサが流れた。味の素も石油からつくられているというウワサもあった。実際に、以前このブログにも書いたが、石油タンパクの商品化はオイルショクで取りやめになったが、実現手前までいっていた。
企業名は消滅してしまったが、例の「モンサント」をめぐる動きが思い起こされる。現実は小説より、はるかに複雑だ。
それに、食品も料理も「化学」であり「化学反応」なのだ。道徳ではない。
当ブログ関連
2003/01/14
石油たんぱく
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