食堂のおばさんの「石けり」遊び。
ある食堂で糠床の話になった。食堂のおれと同じ齢のおばさん、客が四人。糠床をだめにしないで長持ちさせるのはけっこう難しい。この食堂の糠床は四十年ほどは過ぎている。
女の客の一人が「かんます」と言った。「かんまわす」だったかもしれない。「糠床を、かんま(わ)す」という感じだ。
すると食堂のおばさんが、「おや、あなた、どこのひと、わたしは「かんます」で育ったんだよ」と言った。女の客は、北区の隅田川沿いで育った。食堂のおばさんは墨田区の京島の育ちで、そこからチョイと南へ下ったところにある食堂へ嫁いだのだった。
いわゆる「下町」のことだ。そのあたりじゃ「かきまわす」という「東京言葉」は使わないで「かんま(わ)す」だというのだ。
という話をしていたら、おばさんは京島の子供時代を思い出して、「石けり」の話を始めた。
おばさんは食堂の客席を担当している。厨房と客席のあいだに、食事の上げ下げをするカウンターがあって、その端に小さな三段の引き出しがついた小箱があり、そばに鉛筆と小さなメモ帳と古い文鎮や昔の重い栓抜きがある。
そこがおばさんのホームポジションで、客が来ると、鉛筆とメモ帳を持って注文を書き取り厨房の主人に通す。注文を通したメモは、文鎮の下に置かれる。食べ終わった客は、おばさんに勘定をする。勘定が終わったメモは、ホームポジションの足元にある糠床の上のアルミのお盆に載せられる。
アルミのお盆は見るからに古く、おばさんが四十年ほど前に嫁に来た時には、すでに使い込まれていた。おばさんはアルミ盆と糠床を引き継いだ。
おばさんは、手のひらにのる小さなメモ帳に子供の頃の「石けり」遊びの図を書きながら、話がとまらない。
おれも子供の頃は、生まれ故郷の田舎町で石けり遊びをした。いくつかやり方があって、ほんとんど忘れていたが、おばさんの図を見ながら少しずつ思い出していた。
だけど、おばさんの図は、どんどんいろいろな線が書き込まれ複雑になっていく。一番上に横線が引かれ「上り」とある以外は、おれの知らない世界になった。都会の子供は、ずいぶん複雑なルールの石けりをやっていたのだなと思った。
「ゴムとびもやったね」「やった、やった」
「男の子も女の子も、大きい子も小さい子も、一緒に遊んだよ。たいがいの家は子供が何人かいて、いつも一緒だったからね、男の子も女の子も一緒に遊んだよ」とおばさんは言った。
ところで、「かんま(わ)す」について、おれの田舎でもそんな風に言っていた記憶があるので、ネット検索してみたら、仙台、福島、長野、栃木、群馬、埼玉などの方言に登場し、新潟でも使われていた。東京の東北地域と、その延長線上の地域が関係しているのかもしれない。味覚も関係あるかな。
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