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2019/05/19

「楽しむとは何か?」

毎号いただいている古い『TASCマンスリー』の整理をしていたら、面白い記事が何本もある。そのうちの一つが、これだ。

2012年8月号に載っている、國分功一郎さんの「生存の外部  嗜好品と豊かさ」という寄稿。最後のまとめが、こうなっている。

……………

 これは今後の私の課題なのだが、哲学は「美しい」については延々と論じてきているのに、「楽しい」についてはほとんど論じてこなかった。「楽しむとは何か?」という問いはこれから哲学が真剣に考えねばならない問いである。この問いは既に述べた通り、社会総体の変革と関わっている。そしてもちろん、一人ひとりの豊かな人間らしい生活につながる問いである。

……………

國分さんは、「贅沢」と「消費」を対比させ、「消費と浪費の違いは明白である。浪費は目の前にあるモノを受け取る。消費はモノに付与された意味・観念を受け取る。このことは消費社会の魔法そのものを説明してくれる。消費は満足をもたらさない。しかし消費者は満足を求めて消費している。消費しても満足が得られないから、更に消費を続ける。こうして、消費と不満足との悪循環が生まれる。20世紀に爆発的に広まった消費社会とはこの悪循環を利用したものである」と述べ、「贅沢」を取り戻すことはモノをきちんと楽しむことであり、それは消費社会の悪循環を断ち切る社会的な意義がある行為だし、「もしかしたら革命的と言ってよいかもしれない」と、「楽しむことには、そのようなすばらしい可能性が秘められている」と高らかに謳う。

そして、ところで、我々は「楽しむこと」を学習しているだろうかと問う。

ここで、國分さんは、グルメブームなどの事例も持ち出しているが、すでに消費そのものを楽しむようになって、「豊かな人間らしい生活」からますます離れてしまった現在の消費者の大勢のことまではふれてない。

そして、とにかく一方では、前のエントリーの「むくむく食堂」のところに書いたように、「自分はそこで何を楽しもうとしているのか」という主体が問われる新しい食堂の出現が見えるようにはなってきた。

『スペクテイター』42号「新しい食堂」に寄稿したおれの文章も、冒頭に『料理人』(ハリー・クレッシング著・一ノ瀬直二訳、ハヤカワ文庫)にある箴言、「人間とは料理をする動物である」「人間とは食事を楽しむ動物である」を引用し、最後は「もっと自由で楽しい食事を!」で終わっている。

ところが、消費そのものを楽しむようになってしまった消費者は、自分はけっこう楽しい生活をしていると思い込んでいる人も少なくない。これは、とくに80年代以降から猛威をふるい続けている消費主義のなかで「楽しむとは何か?」を学習することを避け忘却してしまった結果でもあるだろう。

いまでは、どこで、何を、飲み食いするかの細かいところまで、消費の細分化が徹底している。なんにかぎらず「細分化」が進むところ「生活」の姿は失われる。生活とは、いろいろなコトやコノが細分化されることなくからみあっているものだからだ。そこに「人間らしさ」があるはずなのだ。

しかし、そこへ行ったことがある、それをやったことがある、それを食べたことがある、それを飲んだことがある、といった、國分さんが指摘する意味や観念の「記号」を消費し、さらなる消費を求め、生活は分解されてしまう。

そういう潮流で、長年中心的な役割を担ってきた思想が、「美しい」に関することなのだ。これは飲食のレベルでは「美味しい」ということになる。「美味しい」は「美学」のことであり、消費が楽しくなると、「美味しいが楽しい」にもなるし「楽しいが美味しい」にもなる。現在は、この段階だろう。

だから、そういう大勢に流されずに、それ、ほんとに楽しいのか、楽しんでいるのかという問いかけが、ますます意義あることになる。

だけど、そういう問いかけは、消費を楽しんでいる人たちをしらけさせる。空気を読んでないね、そういうオベンキョウはいいから楽しめよ、と。そういう消費の悪循環に一役買っているのが、さまざまなメディアであり、そのあたりで「仕事」をしている人たちであり、おれもそこから少々の仕事をいただいている。おれの場合、周縁部あるいは外側にいるから、「少々」ですんでいるのだが。それは生活的には困ったことになる立場である。

メディアのヒエラルキーの中心部では、あいかわらず「文学(文芸)」な「美しい」が力を持っている。それは、「「美しい」については延々と論じてきている」哲学の反映かもしれない。おれは哲学も文学も詳しいことは知らないけどね。

「美しい」には憧れが作用する。「憧れ」が求心力となって、消費の構造の中心に座っている。これは確かだろう。

そんな中で「楽しいとは何か?」が可能だとすれば、消費者としてではなく「人間としてどうなのか」という問いかけしかないかもしれない。すっかり消費に飼いならされた中で、いまさら「人間として」なんて、なかなか難儀なことだが。

飲食の実際は、「美しい」話ばかりを消費しているうちに、「人間としてどうなのか」から問いかけなければならないようなことが多くなりすぎて、これからどうなるんだろうという感じでもある。美しい楽しい善意の消費の悪循環の構造は、ほんと、恐ろしい。

國分さんのような学者の立場にいる人たちに大いに真剣に議論してもらいたいと思う。おれは、たいした意味のない安酒を楽しみながら考えるとしよう。おれのばやい、「美食も粗食も贅沢も清貧もふみこえて、庶民の快食を追求」「気取るな、力強く」だからね。

 

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2019/05/16

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」79回目、南浦和・むくむく食堂。

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先月4月19日の掲載は、若い店主の「新しい食堂」の登場だ。去年の6月に、京浜東北線と武蔵野線の乗り換え駅である南浦和に開業した、むくむく食堂だ。

本文はすでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019041902000177.html

この連載で「新しい食堂」の登場は初めてだし、平成が終わる直前だったこともあり、ここ30年の食堂の動向と「新しい食堂」の特徴について簡単にふれたので、むくむく食堂そのものについてはあまり詳しく書けなかった。

だけど、ローカル愛にあふれ、「食べる側と提供する側は単なる「店」と「客」ではなく、この場所で交わる人間関係を大切に、いろいろな人といろいろなことを共有しながら、いい生活文化を育て、共に成長していこうという意識を持っている」といった特徴は、店の外観から店内のこまごまとしたところまで見られる。

こういう食堂がまずいはずはない。そして、「うまい/まずい」や「サービスのよさ」などだけで判断する食堂でもないのだ。

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南浦和は川口と浦和にはさまれ地味な存在だが、新旧が混在しながら新陳代謝も激しく発展している街だ。むくむく食堂がある通りは、南浦和でも古いほうの商店街だったけど、「シャッター街」を通り越し、古い商店は消えていき住宅街化している。

店主は、この商店街で生まれ育ち、食堂を始める前は、実家で衣料品や雑貨などを扱う小商いをしていた。むくむく食堂は、閉店した居酒屋を居抜きで借りて始めた。

夜はまだ行ったことがないが、定食はありながらも居酒屋メニューへシフトしているようだ。昼定食は1000円均一で3種にしぼり、喫茶メニューも充実している。

「単なる「店」と「客」」ではない関係は、これからますます存在価値を高めると思うが、なにより、これまで単なる「客」であった「消費者」の「学習」も必要になる関係だと思う。

「自分はそこで何を楽しもうとしているのか」という主体が問われる。それは、東京を中心とする主流では惰性的に続いている、値段と味や接客などを比較し選択し評価しているだけの、受け身だが「ご主人様」「神様」気取りの消費者とは違う生き方なのだ。「新しい食堂」の出現は、そういう「これから」を示唆している。

むくむく食堂のツイッターもご覧になってください。
https://twitter.com/mukumuku1945

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2019/05/15

ドリス・デイと京マチ子が亡くなったのニュース。

彼女たちが、まだ生きていたのに驚いた。ドリス・デイも京マチ子も、おれが中学生の頃には、すでにセックスの相手にならない、はるか年長の50すぎの女と思っていた。

京マチ子というと思い出すのは、ガキの頃両親に連れられて見た「羅生門」で、あれでおれは女の色気に目覚めたのだ。あとになって「女の色気」といっても、「熟れた女」のそれだったと気づいた。ドリス・デイは最初から、白人女のせいか、当時はたぶん「年増」という言葉は知らなかったと思うが、そういう印象だった。

ということだから、おれよりはるか年上であり、いつしか彼女たちは、とっくの昔の人になり、フェイドアウトしていった。

「羅生門」の京マチ子で女の色気に目覚めたおれにしては、その後、小学校高学年から中学生あるいは高校生の頃は、おれのセックスの対象になりそうなのは、香川京子とイングリット・バーグマンとデボラ・カーだなと思っていた。そう、そのおかげで、京マチ子とドリス・デイはかすんだのかもしれない。

と、75歳になったいま、ドリス・デイと京マチ子が亡くなったニュースで思い出したのだった。

ドリス・デイを始めて知ったのは「二人でお茶を」だ。ドーナツ盤のレコードも買った。それから「知りすぎていた男」は何度か見たな。その主題歌?だった「ケ・セラ・セラ」も、ドーナツ盤のレコードを買って何度もかけていたら、いつしかおふくろが家事をしながら口ずさんでいたっけ。

「羅生門」の京マチ子は、とにかく生唾ゴックンだった。三船敏郎より京マチ子だった。

ごめんね、なのに、香川京子とイングリット・バーグマンとデボラ・カーに気が移ってしまって。そもそもあなたたちを「セックスの相手」として見ていたことが間違いだったのです。

こんなおれのことは気にしないで、安らかにお眠りください。

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2019/05/14

仕事と家族と食の70年。

『スペクテイター』42号「新しい食堂」では、冒頭で、編集部の青野利光さんが「食事をする側とそれを提供する側の食に対する意識が、今まさに変容のときを迎えているのではないか」と述べている。これは、この文の前に、「皆さんの話を聞いて感じたのは」とある通り、この特集に登場する店主さんたちの話を聞いて、ということなのだが、飲食店のステージだけに限らず、食事と料理をめぐっては「意識」の変容が、その傾向も含め、よく見えるようになってきた。

『大衆めし 激動の戦後史』は、60年代後半からの、全国自動車道路交通網やコールドチェーンなどのインフラに属する基盤の拡充と食品工業の成長が食文化の変動に与えた影響を見ている。食をめぐる戦後の「下部構造」の激変が、このころにあった。

そのころはまだ、「上部構造」のほうは、家族中心の食事観と「和洋中」の概念が堅固のなかで、「コメ」か「パン」かの闘争があったり、従来の食事観や料理観が問われる「激動」が起きていた。

そのうえに、80年代以後から少しずつ目に見えて広がってきたのが、食をめぐる「意識」の変化だ。

その「意識」の変化には、「新しい食堂」でも少しふれられているが、「幸福観」の変化が関係していそうだとおれは思っていたのだが、さらにその「幸福観」には「仕事や家族の形」の変化が深く関係しているのではないかと気付いたのは最近だ。

『TASCマンスリー』5月号に載っている「仕事を家族の70年」を読んでのことだ。

立命館大学産業社会学部教授の筒井淳也さんが書いておられるのだが、「戦後の仕事と家族ということで言いますと、2015年の時点で戦後70年ですから、当然、その間に仕事や家族の形も大きく変わりました。戦後の歴史を見る場合、私は主に三つの段階で捉えています」と、その三つの段階について述べている。

幸福観や食事観のことについてはふれていないし、仕事や家族に関する「意識」の変化より、産業社会学的に見た「形」の変化や「仕組み」のことが中心であり、最後は「少子化」「未婚化」「介護」「子育て」などの政策の話になっている。

なかなか説得力のある内容なのだが、おれはそれに「食」をからませて考えてみた。

「仕事と家族の形」が、食事や幸福に関する「意識」と密接な関係にあることは、まちがいないだろう。

ってことで、この「仕事と家族と食の70年」というタイトルを思いついたわけなのだ。

おれが「新しい食堂」に寄稿した文章のなかで、「八〇年代、日常の大きな変化」と「“もう一つの場所”のために」の見出しのところは、まさに「仕事と家族の形」が関係している。

「八〇年代、日常の大きな変化」のところでは、「食堂が根をはった日常が大きく動いたのは、一九八〇年代だ。それまでは、たいがい収入差はあっても、成長する工業社会のもとで工場のサイレンに合わせるかのように同じリズム同じ方向を維持し、終身雇用年功序列の同じ出世双六ゲームを競っていた。日常もわりとわかりやすかった。「サザエさん」や「ちびまるこちゃん」の世界だ。」と書いている。

とくに「サザエさん」の家族は、国民的幸福モデルだったのであり、価値観レベルでは依然として「主流」といえるだろう。それだけに、現実とのギャップは激しくなっている。

筒井淳也さんは、第三段階を一九九〇年代以降としている。

とにかく、仕事と家族の形は、経済と政策に押され変わってきた、それが幸福と食をめぐる意識の変化に及んでいる。

現在の食にまつわる「活況」は、このあたりのことが底流にあると見ておかないといけないだろう。いま「食」に関する意識は、かつてなかった「個」と「仕事」と「家族」のもみあいのなかにある。

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2019/05/13

自分の本が載っているからではない、食の「知」のための一歩、『フードスタディーズ・ガイドブック』。

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食の話は好みや趣味に偏りやすい。どう知識を身につけるか考えよう。その一歩。安井大輔編『フードスタディーズ・ガイドブック』ナカニシヤ出版 →「食と文化・社会、食の歴史、食の思想、食をめぐる現代の危機を知るための、初の総合的ブックガイド。食について考えるうえで欠かせない49冊を徹底紹介」。

ある編集さんから、『フードスタディーズ・ガイドブック』(ナカニシヤ出版)という本に『大衆食堂の研究』が載っていますよ、というメールがあったので、なんだろうと思いながら、大宮ジュンク堂へ行ったら一冊だけあった。

買って、とりあえず近くのいづみやに入ってビールを飲み、パラパラ見た。驚いた、これは、まじ学術的な「フードスタディーズ」つまり「食研究」のための本のガイドブックなのだ。

だってさあ、第1章の最初に登場するのが、クロード・レヴィ=ストロース様の『神話論理Ⅰ 生のものと火を通したもの』なんですよ。

表紙の腰巻には「食をめぐるブックガイド」「食と文化・社会、食の歴史、食の思想、食をめぐる危機を知るための49冊」」とある。本文は4章にわかれ、『大衆食堂の研究』は3章の「食の思想」のところにあるのだ。

おお、あのジャンクな『大衆食堂の研究』が、「食の思想」だと。しかも、評者が、藤原辰史さんだ。

ビールを飲みながら、自分のところだけ読んだ。藤原辰史さんのレヴューが、すごくおもしろい。『大衆食堂の研究』本書を読まずに、これだけ読んどいたほうがよい、という感じ。「読みこなす」って、こういうことか。自分が資料を読み評価するときの反省にもなった。

以前、『汁かけめし快食學』が出たあと、玉川大学の学生から、リベラル・アーツの授業で『汁かけめし快食學』がテキストになっているのだが内容について質問があるというメールがあった。

なんでだ。おれの本を大学の授業のテキストにするなんて間違ってるだろと思ったが、著した本人が想像もしてなかったことが起きるんだなあ。そうそう、おれはそのとき「リベラル・アーツ」って言葉を知らなかったから、なんじゃそりゃ、と思ったものだ。

『大衆食堂の研究』は出版したばかりのころ、本屋で中身を見て買ったのだが読むうちに自分の書斎に置くのもけがらわしくなったと怒って送り返してきた人もいた。同封されていた手紙から、プライドの高いインテリさんのようだった。

本も味覚も、本人の好みや興味と学習しだいということもあるからねえ。

それにしても、おれの書き方は、自分で「ラーメン構造」と名付けているもので、怒らないまでも忌避する人が多いだろうことは承知して書いている。嫌いな人は怒りが増す作用がある。

それに、学術関係の洗練された「専門知」と違い、おれは野良猫や野良犬と同じ「野良知」+「野暮知」なのだ。街の雑菌が書いていることですよ。

「はじめに」では、「本書の切り口」が三つあげられているが、その一つに「食研究の範囲自体をひろげる  必ずしも研究だけに収まらないものも広く含んで読みこなしていく」とあるから、そのあたりで、街の雑菌が書いたものも読みこなしていただけたのだろう。

『大衆食堂の研究』は1995年の発行で、遠い昔のことになったが、20年以上が過ぎて、こんなにおもしろいレヴューをいただけるとは、書いてよかったと、へそ曲がりのおれだが素直にそう思った。

ところで、このブックガイド、まだ全部を読んでないのだが、安井大輔さん編著で、24名の方が執筆している。パラパラと見たところ、49冊の選書は大変だったろうと思われる。

このブログにも時々書いているが、近年はインターネットで大学の紀要などに載った論文や卒論などが見られるし、食についてはいろいろな分野で研究がすすんでいる様子がわかる。一方、とにかく、飲食については、飲み食いして文章を書ければ誰にでも書けることもあって、インターネットも含め供給過剰気味に多いし、野放図状態で玉石混交のカオスだ。

「食」と簡単にいうが、体外の宇宙と体内の宇宙の接点にあり、もちろんウンコまで食の一環であり、幅広い研究分野が関係する。

研究者でなくても、食に関わっている人たち、もっといろいろな「専門知」や「野良知」が入り混じりながら食について考えていかなければならない現実だ。なにしろ「生活」の根本に関わることなのだ。そして、近年は食の様々な場面で、課題・難題が多い。狭い「学術村」や「出版村」などで権威・権力争いや派閥争いをしている場合じゃなく、まさに「知のネットワーク」が必要なんだなあ。

こういうガイドブックが出ることで、さまざまな「知」が混ざりあい、これからの食に関する見識の基礎が積み重なっていくのだろう。そういう出発点のような気がする。「あとがき」によれば増改訂もあるようだ。

こちら、安井大輔さんの「日記」に目次などの案内があります。『フードスタディーズ・ガイドブック』(ナカニシヤ出版、2019年3月)
https://daisukey.hatenadiary.jp/entry/2019/03/26/164525?fbclid=IwAR3qXnlcFzSs9ivJ-R2qKCD55E3NaIuW2o230-fpbnh9jiqA-CL11XPmmcY

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2019/05/11

慣れ切った、自分の視角や視点を疑う。

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そこへ行けば、それがある、それは調べようもあるし、調べればわかる。ところが、わかっても行くにはハードルが高い。だから「いくつ征服したか」が勝負になる。そういう類の、あそことか、あそことか、行きました。ってのは、まあ、耳目を引くが、カネとヒマがあれば、誰でもあるていどはやれる。

その場合、ネタのよしあしや、対象の希少性や数がポイントになるのがほとんどだが、視角や視点はステレオタイプでウケのよい惰性的なものが多い。たいがいの「飲食ネタ」は、そういうものだ。

旧来メディアもちろん、ツイッターも、インスタも、フェイスブックも、「キャッチー」な飲食ネタであふれている。いくらメディアが増えても、目先の表現を変えたていどのもの。「丁寧」とか「鋭い」とか「まっすぐ」とか「淡々」とか…。

別に、そういうことに意義をとなえるつもりはない。大いに楽しみ競うがいいだろう。

が、創造性をめざすなら、たとえば、この画像のような「裏景色萌え」を画像におさめるのは、けっこう創造的で難儀なことだと思う。

ここに都市の一つの真実がある。と見ることもできる。

ある種の「考現学」ともいえるか。その派生といえる「路上観察学」なるものもあるが、たかだか「路上」やその延長の視角や視点にすぎない。

そこへいくと、たとえば、こういうのは、どうだろう。というのが、この画像だ。

新宿の某ビルの便所から撮った。

おれはやる気はないが、これからの可能性には、こういう視角や視点が必要なのではないか。

慣れ切った、自分の視角や視点を疑うこと。

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2019/05/10

昨日の補足。『クレヨンで描いた おいしい魚図鑑』。

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加藤休ミさんの作品に『クレヨンで描いた おいしい魚図鑑』(晶文社2018年1月)がある。これが、なかなか面白い。食文化を考えるヒントにもなる。

「魚図鑑」というと、普通は生物学的な図鑑だが、これは、「おいしい」がついているところが大いにちがう。表紙の絵は、ツナ缶の中身であり、本文では「ビンナガマグロ」のところに、この絵が載っている。

そして「ビンナガマグロ」のところには、漢字表記や学名などのほかに、こんな説明がある。

「ビンナガマグロはスズキ目サバ科マグロ属に分類される魚の総称です(世界の熱帯・温帯海域に生息)。だけど日本では、ツナといえばマグロの油漬け缶詰。この、ちびっ子からお年寄りまで愛されるツナ、じつは魚図鑑の世界でもこれほど形の変わる魚はほかに見当たりません。(以下省略するが、コンビニのツナサンドなど朝昼夜の飲食の場のツナの活躍が紹介されている)」

本の後のほうには、普通の図鑑の絵のような魚も載っているが、この本はもう「魚食文化図鑑」とでもいえそうなものだ。そして、普段の普通の生活に即している。言い方を変えれば、生活感がある。

ここには、きのうの話にも出ている「さんまの塩焼き」の絵も載っている。きのうの話のさんま焼きは、『今日のごはん』(偕成社2012年9月)のもので、これは食事の膳にめしや味噌汁などと描かれている。そのさんまも、この絵のようなもので、ありふれた安い普通のさんまがモデルになっている。加藤さんは自分で焼いて描いている。

魚の姿を知らない人が増えているといわれるが、さんま、あじ、いわし、さば、たい、いか、えびなどなど、魚屋の店頭で見られるものある。だけど、それらは「食品」として流通しているもので、死骸であり、生きている状態のそれらを見たことがある人は、かなり少ないだろう。

おれも、そんなにたくさん見ているわけではないが、生きているときは鱗が輝き、食品の状態とはかなり見た目の印象がちがう。その「生物」を見て「うまそう」と思うとしたら、見る人の食文化が大いに関係しているといってよいのではないか。

四月と十月文庫『理解フノー』には、「ウマソ~」という掌編があり、おれが親しくしていた山奥の民宿の「熊獲り名人」のおやじが、山で熊に出あい、鉄砲は持っていなかったが、「ウマソ~」と追いかけ落ちていた木の枝で叩き殺してしまう話が載っている。その熊獲りの生活ぶりも少し書いたが、生きている熊を見て「ウマソ~」と追いかけるのは、その日頃の熊を獲り食べる生活をぬきには考えられない。

生きている魚の場合、どうだろうか。まだ話を聞いたことがないが、「ウマソ~」と海中の魚を追いかけることがあるのだろうか。水族館の魚を見て「ウマソ~」と思う人は、どれぐらいいるのだろう。鯨の場合など、どうなのだろう。どこでどう「ウマソ~」になるのだろうか。そのあたりは、それぞれの食文化と大いに関係がありそうだし、料理文化にも関係するだろう。どこかで「ウマソ~」になる/なった。

自分は、ある食品を、いつどうして「うまそう」と思うようになったか、なかなか面白いと思う。

料理で「うまそう」をふきこむように、絵にすることでまた「うまそう」をふきこむことができる。その素材が、ありふれたものであっても、普通の缶詰であっても、料理をする人しだい、絵を描く人しだいなのだ。この一冊、ほかにも、加藤さんの食べ物や食事(あるいは生活)を、ありふれたクレヨンで描くクレヨン画からは、「うまそう」に描かれているからこそ、そういう食文化も読み取れる。

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2019/05/09

画家のノート『四月と十月』40号、「理解フノー」連載は特集記事に変更。

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4月と10月に発行の美術同人誌『四月と十月』40号が、先月発行になっていたのであった。

おれは同人ではないが、「理解フノー」という連載をしている。だけど、今号は、40号の20周年を記念した「特別企画」が組まれることになり、おれの連載は休み。

特別企画は、「同人たちのアトリエ訪問記」ということで、何人かの執筆者が手分けをして、同人みなさんのアトリエを訪問するものだ。

おれも、連載のかわりに二人の同人の方のアトリエを訪問することになった。編集室の指示のままに、加藤休ミさんと、松本将次さんを担当した。どちらも、同人の中では「異色」の存在といえるだろう。

加藤休ミさんは、高校を卒業すると上京し、美術系の専門教育に類するものは、どなたかの「弟子」になることも含め一切なく、独立独歩独学で「クレヨン画家」になった。クレヨン画というと、せいぜい小学生までの子供が描くものと思っていたおれは、なぜ、どうしてクレヨン画家なのか、そこのところを知りたいと思っていた。

松本将次さんは、やはり美術系の専門教育に類するものは関係なく、大学を卒業すると印刷会社の営業に就き、絵は好きで描いているだけの、いわゆるアマチュアの「日曜画家」だ。「アトリエ」といえるものはないのではないか、家族もいることだし、外で会うことになるのではないかと思っていたら、やはり、新宿の「はやしや」で取材をすることになった。サラリマーマンしかも印刷の営業というのは、なかなか激務だ。日曜ぐらい好きなゴルフでもやりたかろう、なのに絵も描く。なぜなのか、なにか楽しみがあるのか、楽しいのか。怠け者のおれは、そのあたりが知りたかった。

お二人とも、最初から酒を飲みながらだった。

加藤さんがクレヨン画を選んだのは、上京して貧乏ぐらしの中だったので、安い画材であるクレヨンしか選べなかったからだ。そして、加藤さんがいう「いまの域に達した」のは、2012年出版の『今日のごはん』の焼いたさんまの絵あたりからだという。おれのような美術素人には、クレヨン画には見えない、おれの知るクレヨン画を超えている、そういう絵が多い。

加藤さんとは、その焼いたさんまの絵を中心に、盛り上がった。「クレヨンで食べ物を、どれだけおいしそうに描けるか」

おれが面白いと思ったのは、焼いたさんまの絵にしても、モデルは、料理撮影だったら使われることがない、スーパーなどで売っている安い細身でスマートな普通のさんまなのだ。それが絵では、すごくうまそうに見える。

料理撮影などのモデルになるさんまは、背の方に厚く肉がついて脂がのり、まさに「秋刀魚」の名の通り刀の刃のように反って立派な姿をしている。うまそうなさんまとして使われるのは、それが普通だ。うまいさんまのウンチクとなると、こういう話になるだろう。

だけど、加藤さんは、特別うまそうに見える素材を選んでいるわけではない。まったく普通だけど、描けばうまそうに見える。

これは、なかなか興味あることだった。

アトリエには、加藤さんがライブペイントで8時間かけて描いたまぐろの頭の部分の、大きな絵が貼ってあった。とてもクレヨン画には見えない。それが、なかなか活きがよさそうで、うまそうなのだ。そのことにも、興味がひかれた。

「うまい」には生理が関係するが、「うまそう」は空腹や満腹の特別な状態でなければ普通は人間の文化のことだ。それに、食品というのは、もともとは動物植物を問わず「生き物」であり、人間の手に掛かって死骸になり、商品として耐えられるものだけが「食品」とよばれる「食べ物」になって流通する。だけど、流通している食べ物すべてが、そのまま食べられる物とはかぎらない。たいがいは、なんらかの料理や加工がほどこされる。

では、この過程で、どのように「うまそう」が関与するか、そこに食文化と自然のあいだがある。と、かねてから考えているが、「虚実皮膜の間」みたいなことで、なかなか難しい。

加藤さんの絵を見て話をしているあいだに、そのあたりのことが、少しひらめいたし、同時に、「食の文学」とか「食と文学」とかは話題になるし、知ったかぶりまで横行しているけど、「食の美術」や「食と美術」については、まだそんなに関心が高い感じはしないと気付いた。だいたい、「食文化」を口にする人たちが、どれぐらい、絵などの美術的表現に食文化を見ているだろう。

「食文化」なんていうと言葉の世界がエラそうにしているが、絵と言葉では対象へのアプローチも表現の方法もまったくちがう。

「うまそう」の存在が、ますます面白くなるのだった。

アトリエ訪問の取材には、「取材のぞき」といって同人の方が参加する企画もあった。おれは「取材のぞき」大いにいいですよ、一緒に大いに飲み話しましょうという姿勢で臨んだが、加藤さんの取材のときには、同人の高橋収さんがのぞきにきてくれた。しかも、さらに同人以外の方ものぞきにきて、総勢7名で、缶ビールの空き缶と空いた清酒の瓶が豪勢に並んだ。

ほかの取材では、こういうことはなかったようで、高橋さんの報告が、この号の後ろにある「雑報」のところに、おれと加藤さんが話している写真と共に載っている。「完全に新年飲み会のつもりで行きましたが、ビールをはさんでの取材は意外?と真面目な絵画談義で大変参考になりました」と。

おれは「絵画談義」ができるほど絵に関する知識はないが、いま書いたように食べ物がからんでいたので、話がはずんだのだろう。

松本さんの取材では、「プロ」と「アマ」について考えることがあり、松本さんの記事でも少しふれたが、「産業的観念と尺度」だけが横行するようになった。これはとくに1980年代以後のことだと思うが、そのことについては、またそのうち。

いま脂がのってきている加藤休ミさんの絵本はぜひ手にしてほしいし、クレヨン画の概念がぶち壊されるに違いない原画も見てほしい。

もちろん『四月と十月』40号もね。詳しくは、こちら。今号の表紙は、同人の瓜生美雪さんの作品です。
http://4-10.sub.jp/

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2019/05/07

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」78回目、入谷・ときわ食堂。

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10連休が終わったのでブログを再開する。

ってことではなく、このブログは、ニフティのココログってやつだが、これが記事作成などの管理ページを「リニューアル」したのが、いけなかった。

もう一か月以上も前のことだったと思う。以前にも何かの「リニューアル」があったとき、かえって悪くなって、また前にもどすということがあり、嫌な予感がしていた。やっぱり酷いことになった。そして、ユーザーからは前にもどせとか、罵詈雑言がとんだ。

しかし、「不具合」を直しながら強行された。記事作成の仕方が変わったうえに、不具合はなかなか無くならない。という状況下で、新たな投稿は、ストレスになった。ストレスは嫌だ、ブログに命をかけているわけでないし。それでもポツポツ新規作成をしていた。

不具合は、かなり改善されたようだ。だけど、明らかに、以前より手数がかかるようになった。ココログ側は、そうは思っていないらしい。あるいは手数がかかっても、こちらのほうが「優れている」とするワケでもあるのだろうか。でも以前のようにサクサクいかないのだし、なれたとしても、とくに画像をアップする場合の作業ステップは増えているから、それを考えると更新の意欲が低下する。

とにかく、10日という大連休が明けた、ということを記念して、まずは、すでに先々月になってしまった、3月15日掲載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」をアップすることに。

すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019031502000209.html

ときわ食堂は現在何店舗あるのだろう。数えたことはないが、これで7店目だ。暖簾分けで増えた食堂の場合、いわゆる「フォーマット」がないから、それぞれ違う。それでも、どこの店でも「ときわなら安心」という感じではある。それが同じ暖簾のメリットか。

この入谷のときわ食堂は、何度か行っている。2011年3月11日の大地震のあと、年中無休の鶯谷駅前の信濃路も休まざるをえなかったときも、ここはやっていた。大混雑だった。

Dscn0120 行くたびにメニューが増えている感じだ。確か空白が多かった壁を、手書きの大きな短冊が埋めていく。見た感じ、夜の飲み客が好みそうなものが多い。夜は来たことがないが、飲兵衛で賑わっているのかもしれない。

何を食べても安定のうまさなのだが、おれはフライ類が気に入っているので、A定食にした。コロッケと魚フライで、魚はアジだった。フライ類のメニューも多いから、人気なのだろう。

食べ終わるごろ、店の人が書いていた「初かつお入荷」の短冊が出来あがった。それを見たとき、入谷は「初かつお」という言葉が、自然で似合う街だなと思った。それは、まあ、入谷に対する観念的な思い込みがあるからだろうけど、歴史のある土地ほど、そういう観念的なイメージがつきまとうようだ。

入谷といえば、このときわ食堂は入谷1丁目の言問い通りにあり、この通りを浅草方面へ500メートルもいかないうちの同じ並びに「入谷食堂」がある。すでに、この連載でも載せている。

入谷食堂は入谷2丁目になるが、その裏のほう、金美館通りの大正小学校の隣あたりには、「大衆食堂」の看板の「清月」がある。清月は、マクロビ系というか、自然・健康・安全を意識する食事を用意し、値段のほうは少し高めにしても、量がけっこうあるあたりが大衆食堂らしい。

入谷のあたりは、この3軒の大衆食堂のほかに、いわゆるレトロな洋食屋や洋食が食べられる喫茶店などがあって、個人経営の食堂の密集地なのだ。今は昔と比べると、かなり減っていると土地の人はいうが。

とにかく、狭い地域に、「ときわ」「入谷」「清月」という大衆食堂が3軒あるだけでも、珍しい。そういうわけで、どんな人たちが大衆食堂の利用客なのかも含めて入谷が気になっているのだが、通うのが大変だから、なかなかその正体がつかめない。

そういえば、入谷食堂から近いライブハウス「入谷なってるハウス」も、すっかりご無沙汰しているなあ。

ときわ食堂の夜も行ってみたいなあ。

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