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2019/05/09

画家のノート『四月と十月』40号、「理解フノー」連載は特集記事に変更。

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4月と10月に発行の美術同人誌『四月と十月』40号が、先月発行になっていたのであった。

おれは同人ではないが、「理解フノー」という連載をしている。だけど、今号は、40号の20周年を記念した「特別企画」が組まれることになり、おれの連載は休み。

特別企画は、「同人たちのアトリエ訪問記」ということで、何人かの執筆者が手分けをして、同人みなさんのアトリエを訪問するものだ。

おれも、連載のかわりに二人の同人の方のアトリエを訪問することになった。編集室の指示のままに、加藤休ミさんと、松本将次さんを担当した。どちらも、同人の中では「異色」の存在といえるだろう。

加藤休ミさんは、高校を卒業すると上京し、美術系の専門教育に類するものは、どなたかの「弟子」になることも含め一切なく、独立独歩独学で「クレヨン画家」になった。クレヨン画というと、せいぜい小学生までの子供が描くものと思っていたおれは、なぜ、どうしてクレヨン画家なのか、そこのところを知りたいと思っていた。

松本将次さんは、やはり美術系の専門教育に類するものは関係なく、大学を卒業すると印刷会社の営業に就き、絵は好きで描いているだけの、いわゆるアマチュアの「日曜画家」だ。「アトリエ」といえるものはないのではないか、家族もいることだし、外で会うことになるのではないかと思っていたら、やはり、新宿の「はやしや」で取材をすることになった。サラリマーマンしかも印刷の営業というのは、なかなか激務だ。日曜ぐらい好きなゴルフでもやりたかろう、なのに絵も描く。なぜなのか、なにか楽しみがあるのか、楽しいのか。怠け者のおれは、そのあたりが知りたかった。

お二人とも、最初から酒を飲みながらだった。

加藤さんがクレヨン画を選んだのは、上京して貧乏ぐらしの中だったので、安い画材であるクレヨンしか選べなかったからだ。そして、加藤さんがいう「いまの域に達した」のは、2012年出版の『今日のごはん』の焼いたさんまの絵あたりからだという。おれのような美術素人には、クレヨン画には見えない、おれの知るクレヨン画を超えている、そういう絵が多い。

加藤さんとは、その焼いたさんまの絵を中心に、盛り上がった。「クレヨンで食べ物を、どれだけおいしそうに描けるか」

おれが面白いと思ったのは、焼いたさんまの絵にしても、モデルは、料理撮影だったら使われることがない、スーパーなどで売っている安い細身でスマートな普通のさんまなのだ。それが絵では、すごくうまそうに見える。

料理撮影などのモデルになるさんまは、背の方に厚く肉がついて脂がのり、まさに「秋刀魚」の名の通り刀の刃のように反って立派な姿をしている。うまそうなさんまとして使われるのは、それが普通だ。うまいさんまのウンチクとなると、こういう話になるだろう。

だけど、加藤さんは、特別うまそうに見える素材を選んでいるわけではない。まったく普通だけど、描けばうまそうに見える。

これは、なかなか興味あることだった。

アトリエには、加藤さんがライブペイントで8時間かけて描いたまぐろの頭の部分の、大きな絵が貼ってあった。とてもクレヨン画には見えない。それが、なかなか活きがよさそうで、うまそうなのだ。そのことにも、興味がひかれた。

「うまい」には生理が関係するが、「うまそう」は空腹や満腹の特別な状態でなければ普通は人間の文化のことだ。それに、食品というのは、もともとは動物植物を問わず「生き物」であり、人間の手に掛かって死骸になり、商品として耐えられるものだけが「食品」とよばれる「食べ物」になって流通する。だけど、流通している食べ物すべてが、そのまま食べられる物とはかぎらない。たいがいは、なんらかの料理や加工がほどこされる。

では、この過程で、どのように「うまそう」が関与するか、そこに食文化と自然のあいだがある。と、かねてから考えているが、「虚実皮膜の間」みたいなことで、なかなか難しい。

加藤さんの絵を見て話をしているあいだに、そのあたりのことが、少しひらめいたし、同時に、「食の文学」とか「食と文学」とかは話題になるし、知ったかぶりまで横行しているけど、「食の美術」や「食と美術」については、まだそんなに関心が高い感じはしないと気付いた。だいたい、「食文化」を口にする人たちが、どれぐらい、絵などの美術的表現に食文化を見ているだろう。

「食文化」なんていうと言葉の世界がエラそうにしているが、絵と言葉では対象へのアプローチも表現の方法もまったくちがう。

「うまそう」の存在が、ますます面白くなるのだった。

アトリエ訪問の取材には、「取材のぞき」といって同人の方が参加する企画もあった。おれは「取材のぞき」大いにいいですよ、一緒に大いに飲み話しましょうという姿勢で臨んだが、加藤さんの取材のときには、同人の高橋収さんがのぞきにきてくれた。しかも、さらに同人以外の方ものぞきにきて、総勢7名で、缶ビールの空き缶と空いた清酒の瓶が豪勢に並んだ。

ほかの取材では、こういうことはなかったようで、高橋さんの報告が、この号の後ろにある「雑報」のところに、おれと加藤さんが話している写真と共に載っている。「完全に新年飲み会のつもりで行きましたが、ビールをはさんでの取材は意外?と真面目な絵画談義で大変参考になりました」と。

おれは「絵画談義」ができるほど絵に関する知識はないが、いま書いたように食べ物がからんでいたので、話がはずんだのだろう。

松本さんの取材では、「プロ」と「アマ」について考えることがあり、松本さんの記事でも少しふれたが、「産業的観念と尺度」だけが横行するようになった。これはとくに1980年代以後のことだと思うが、そのことについては、またそのうち。

いま脂がのってきている加藤休ミさんの絵本はぜひ手にしてほしいし、クレヨン画の概念がぶち壊されるに違いない原画も見てほしい。

もちろん『四月と十月』40号もね。詳しくは、こちら。今号の表紙は、同人の瓜生美雪さんの作品です。
http://4-10.sub.jp/

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