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2019/07/02

『現代思想』7月号に「おれの「食の考現学」」を書いた。

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去る6月28日発売の『現代思想』7月号は、「考現学とはなにか」という特集だ。

『現代思想』なんて、学者や研究者が、なんだか小難しそうなことを書いているぐらいのイメージしかなく、10年に1冊ぐらいしか買ったことも読んだこともない雑誌だった。

そういう雑誌の編集さんから、突然メールで原稿の依頼があったのは、4月の中頃だった。考現学特集をやるから、「食の考現学」ということで書いてもらえないかということだった。

え~、おれ、考現学なんか関係ないよ、だいたい「学」なんか縁がないし~と思ったが、編集さんは、おれの仕事を一ファンとして読んでいるというし(社交辞令だったかもしれないが)、大衆食を食べ歩き、採集し、歴史とも関連させていく試みは考現学を思想としてとらえていく方向性ともリンクしているかと考えているとかおっしゃるし、必ずしも今和次郎に言及する必要もなく「遠藤さま流の考現学的なるものを」というし、締め切りまでは一か月以上あるし、じゃあやってみるかという気になってしまった。

最初は、よーし、どうせやるなら「食の考現学」を真正面から論考してみようじゃないかと書きだしたが、たちまち自分の知識の無さに死にそうになり降参、エッセイに切り替え、おれ流の「おれの「食の考現学」」にしたら、割とスラスラ書けた。

これで考現学とリンクしているのかどうか判断がつかないほど、考現学については知識もなく、編集さんに原稿を送ったら、よろこんでもらえた。

まるで暗闇で鼻をつままれた感じだったが、掲載誌をいただいて見たら、諸先生方にまじって、それなりにうまいこと収まっているし、諸先生方が書いたものがすごくおもしろい。そうか、考現学とは、いま、こういうものかと、ガゼン興味がわいたのだった。

何度かこのブログでもふれてきたが、「食」をめっぐては、その言説も含め、ここ十年間ぐらい大きな変化の中にあると感じている。自分の仕事をふりかえりながら、自分の仕事と「食」の「いま」を考える、いい機会になった。

おれの文章は、「はじまり」「「食」と「考現学」の出あい」「料理は生活だ」「大衆食堂のメニューを集める、考える」「主張する個と生活」になっている。

実際のところ、とくにSNSの普及で、「主張する個と生活」は、すごいおもしろいことになっているが、いつものことで計画的に割り振って書いていないから、最後に簡単にまとめ的に書いただけになってしまった。さらに最後は、アジテーションみたいになっている。

とりあえず、そういうことです。

この特集のサブタイトルは、「今和次郎から路上観察学、そして<暮らし>の時代へ」になっている。そう、<暮らし>をめぐって、これからもっといろいろあると思う。目が離せない。

詳しい目次は、こちら青土社のサイトで。
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3308

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