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2019/08/31

地味で話題になりにくい、燃料と台所のこと。

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前のエントリーの早川でのことだが、かつて燃料店だったのではないかと思われる建物があった。青木食堂やうおよしがある、もはや商店街らしいカタチは失われた通りにあった。前回2006年4月25日に行ったときには、気にもとめなかったのか、青木食堂とうおよしの写真はあったが、ここの写真は撮ってなかった。

だから、どういう状態だったか、記憶の手掛かりがないのだが、たしか、店は開いていて、ほそぼそと何かを売っていたような気がする。

とにかく、今回は、立ち止まって、しっかり見て写真を撮った。

コンクリートの壁の、ESSOのロゴと灯油の文字の看板は、かなり古い。このようなカタチで灯油が売られていたのは、家庭の台所の火が、薪や炭から灯油に替わるころで、かつまだガソリンスタンドが普及する前のはずだから、1950年前半頃のものだろうか。

塩の専売もしていたようで、それを示すホウロウの小さなサインも軒下にあった。1945年の敗戦後は、しばらく薪も炭も販売店は登録制だったはずで、塩の専売も含め、この地域の食生活の要の位置にあったにちがいない。

建物も、屋根のそりぐあいまで、なかなか凝った造りだ。

燃料と料理の関係は、生活と密接にも関わらず、一般的には関心が低い。『大衆めし 激動の戦後史』に収録の「生活料理と「野菜炒め」考」では、戦後のおれの生活体験も交えて、野菜炒めを例に燃料と料理の関係を書いた。もちろん、あまり興味を持たれてないようだ。

二つばかりのテレビ番組から、おれを「野菜炒め研究家」と誤認識したらしく、おいしい野菜炒めが食べられる店だのおいしいつくり方だのの問い合わせがあった。いかにも、いまどきの偏った関心の示し方で、エンターテイメントな面白いネタになる料理と味覚、それも外食店のことばかり、生活の中の家庭の台所や燃料など地味だから眼中にない。

と、考えてみると、おれもまあ、ふだん何気なく過ごしていると、同じような状態だということに気づく。そういうビョーキが、かなりマンエンしている。と、気づくだけでもヨシとしよう。

戦後の薪や炭を使っていた頃、おれのうちが利用していた燃料店が、町のどこにあったか、もう思い出せないのだ。炭は炭俵で配達された。「薪」は、柴木と、いわゆる薪であり、これは父がリヤカーを引いて買いに行っていた記憶がある。柴木は長いから鉈で切り、薪は太いから鉈やまさかりで割って、かまどの近くの軒下に積み重ねた。その手伝いをさせられたことは覚えている。柴木はうちから見える近くの山でも採れたが、炭は奥の山で焼いていた。

ということを思い出そうとしているうちに、燃料店の歴史を知りたくなってネットで調べたのだが、「燃料店」レベルで、ちゃんとまとまったものがない。ますます気になる。

検索していたら、「江戸時代の資源・エネルギー」というPDFがあった。
https://www.enecho.meti.go.jp/category/others/tyousakouhou/kyouikuhukyu/modeling/pdf_cshs/04.pdf

学習指導要綱らしきもので、中学2年を対象学年とした社会教科だ。

………………………………………………

消費社会から循環型社会への転換が求められる現在、具体的な循環型社会への転換方法を考え、互いに自分の意見をまとめ、他者へ伝え、相手を納得させていく事により問題意識を高めていく。

32単元における視点●展開例の趣旨鎖国状態であった江戸時代の庶民の生活を知ることで、当時の人々が循環型社会を形成し、資源・エネルギーを自給自足していた社会を確認する。衣食住全ての分野でリサイクルが基本となっていた当時の状況を確認し、現在と比較することでこれから先、我々が出来ることを考えていく。●単元における展開例の位置づけ歴史的視点を持ちながら、現在の社会への置き換えを行うことで、資源・エネルギー問題を自分のこととして考える力を養っていく。

………………………………………………

とかいうもので、江戸時代が、モデルになる「循環型社会」だったかのように書かれている。

へえ~。

そういう炭と薪の生活が、それは井戸水や汲み取り便所と共にあったのだが、都会地はともかく、当時は人口も多かった田舎町では普通だった。普通の家庭の台所では、江戸時代が続いていたのだ。

あのまま続いていたら、周辺の山はハゲ山になり、燃料のために木を伐りすぎて文明が滅びたともいわれるギリシャ文明の末路みたいになったかもしれない。

いまの消費社会は、かなり歪んでいるから何らかの転換が必要だとは思うが、それが江戸時代をモデルにした「循環型」とは、どうなんだろう。

それに、猪瀬浩平『分解者たち 見沼たんぼのほとりを生きる』(写真=森田友希、生活書院2019年3月)と藤原辰史『分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考』(青土社2019年7月)を読んだあとのおれは、そうは簡単に「循環型」になびかない。

早川で出あった、昔の燃料店らしい建物から、あれこれ考えるのだった。

身近な燃料と台所は、文明と密接な関係があるわけだ。というか、文明そのものだね。そのことを忘れさせる消費社会に生きている。

当ブログ関連
2018/11/12
大革命。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2018/11/post-743c.html

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2019/08/29

根府川、早川-小田原漁港。

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東海道線根府川駅は、近頃「ホームから海が見える」ということで売り出しているようだ。熱海や伊豆方面に行くとき、車窓から見える景色が印象に残っているから、じゃあ行ってみるかと出かけた。

ここ東大宮からは熱海行の直通があるので、乗り換えなしで行ける。10時16分発の電車に乗り、約2時間、飲み食いしているうちに着いた。

出かける前から、根府川からの帰りは、一つ手前の早川で降りて小田原漁港へも行ってみるつもりだった。小田原漁港へは、以前に行ったことがあり、早川駅から漁港までの途中にあった食堂や魚屋も健在かどうか気になる。

あいにくの曇天で、海は曇り空に溶け込んでしまったような、少し残念な眺めだった。めったに海を見ない埼玉県人としては、単純に「青い海」を期待しているのだ。

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根府川駅のある場所は、平地がなく、駅舎は崖の中腹にある。周辺には、休憩できる飲食店もない。そこから海岸線まで降りてみようかと思ったが、地図で確かめると、かなり遠回りしなくてはならない。この天気では、そこまでやることはないだろう、早川へ行けば海岸線を歩ける。1時間も滞在しないで、上り電車で一駅引き返した。

この前早川駅に降り立ったのは、2006年4月25日だった。と、このブログを調べてわかった。前日に牧野伊三夫さんに誘われ、横須賀での「風呂会」に参加し(そこで初めて瀬尾幸子さんに紹介された)、銭湯のちよく飲み泥酔し、おれだけ当時北鎌倉にあった牧野さん宅に泊まり、翌朝まっすぐ帰宅するつもりが、途中で気分が変わり、早川の小田原漁港のあと熱海まで行って温泉に入り帰宅するということをやった。
2006/04/26
横須賀風呂会泥酔鎌倉泊熱海よれよれ中野の夜
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2006/04/post_546b.html

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早川駅は、そのときとまったく同じ佇まいだった。食堂、名前を忘れていたが「青木食堂」も、10年以上の歳月を感じさせな佇まいで、健在だった。その筋向いの魚屋「うおよし」も、そのまま、あった。

うおよしの店頭のアジが、前回は午前中だったから、全身の鱗が金色に光っている状態でたくさんあったが、今回は午後のせいかその量は少なく、それでもゼイゴにそって金色の光が残っていた。それだけでも、東大宮の近所のスーパーのアジでは見られない輝きだ。

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青木食堂に入った。今回気がついたが、ここは洋食中心で、魚料理が食べたいと思っても刺身定食しかないのだった。すじ向かいのうおよしには、焼魚で食べたらうまそうな魚が並んでいるのに、たぶん食堂の客は近隣や漁港関係の人たちばかりで、となれば、魚より洋食なのだろう。

あまり腹も空いていないから、2人で刺身定食2人前はいらない、刺身定食一人前に刺身単品一人前にし、ビールを頼んだ。

刺身は、定食も単品も同じものだった。アジとマグロで、さすがに、アジは新鮮すぎるほど新鮮だった。

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腹ごなしに、漁港と周辺を歩いた。朝早く出かけたであろう、釣り客を乗せた船が帰港する時間のようで、けっこうにぎわっていた。

漁港の周辺には、蒲鉾づくりの店や、ひものづくりの店があり販売もしている。アジやイワシなどを店頭で干している店もある。

ここ埼玉にはない漁港の空気をたっぷり吸って帰って来た。

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2019/08/28

「肛門都市東京」「生活と分解」。

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猪瀬浩平さんの近著『分解者たち 見沼たんぼのほとりを生きる』(写真=森田友希、生活書院2019年3月)と藤原辰史さんの近著『分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考』(青土社2019年7月)を、とっかえひっかえしながらピンポンのように読んでいて、まもなく読了なのだが(『分解者たち』の方は、一度通読している)、おれのように学知のないものには、なかなか難解のところがありながらも、勝手に解読していると「分解」と「分解者」については興味はつきず、頭の中が分解し発酵かつ腐敗が進行し熱を持っている。

とりあえず、「肛門都市東京」と「生活と分解」というワードを思いついたので、忘れないうちにメモしておく。

東京は排泄するだけの都市なので、「排泄都市東京」でもよいのだが、あまり面白みがない。それに、機能的には「肛門」になるだろう。

でも、「東京者」は、肛門だなんて思っていない、美味しいものを食べるスマートで美しい口だと思っている。そこがまた、いかにも肛門的なのだ。口と肛門は直結しているが、東京は、それを感じさせない。美しい食べ方、美しい言葉、美しい呼吸の、美しい口があるところ。大衆食堂やゲロめしは、そのことを思い出させる。

「生活」というのは、わかったようでわからない言葉であり概念だ。衣食住のなかでも「食生活」は、わかりにくい。そこで、「生活は分解である」と考えてみると、たしかに、かつてはそうだったのだ。いまは、どうなのだろう、「生活と分解」の関係が気になるのだった。

ほかにも、「肛門メディア」という言葉も思い浮かんだし、「肛門ライター」という言葉も思い浮かんだ。「肛門都市東京」に不可欠な権威のための、言葉やイメージや情報などの排泄を担う存在。

とにかく、『分解者たち』と『分解の哲学』のおかげで、糞まみれになっている。おれはフンコロガシ・ライターへ変態しつつあるのだろうか。

当ブログ関連
2019/07/18
スリリングな読書と分解脳。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2019/07/post-81d708.html

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2019/08/24

「生き方」と「ライフスタイル」。

「ライフスタイル」という言葉と概念が、メディアを通じて一般化されるのは、1970年代からだったと思う。

その頃から支配的になった「ライフスタイル論」なるものは、「生き方」とイコールに扱われながら、「労働(あるいは「働き方」あるいは「収入」の得方)」と「消費」のことへ偏向していった。

「生き方」は、ほんらい、自然と人間のあいだにあることだったはずで、「ライフスタイル」と「生き方」は違うことなんだが、その頃から「ライフスタイル」と「生き方」の違いは、あまり問われることなく、イコールの関係になった。 

いまでは、普通に、「ライフスタイル」が「生き方」のようになっている。

「食生活」の「リアリティ」とやらも、体制と大勢としては、そういう枠組みで語られている。「食べること」は「生き方」ではなく「スタイル」になったのだ。

だけど、「食生活」は、かなり「ライフスタイル」に吸収されたとはいえ、「食生活」から「個」を奪いつくすことは、難しい。たぶん、不可能だろう。

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2019/08/23

薄気味悪い「距離感」と「大人」。

なにかというと「大人」をつけたがる傾向は、あいかわらずのようだ。このあいだ上野駅で時間つぶしに本屋に入って見たら、本のタイトルにも雑誌の見出しにも、「大人のナントカ」とあるのが、簡単にいくつも目にとまった。

「大人のナントカ」という言い方が、プラスイメージで流行るようになったのは、いつごろからだったか、チョイと遡って調べてみた。といっても、そんなに真剣に調べてみたわけではないのだが、1995年発行の拙著『大衆食堂の研究』では、「自立編※食堂利用の心得の条 オトナの道」という章をたて、けっこう書いている。そこに「オトナ」とカタカナにしたのは、当時、すでに「大人」が流行っていて、それがけっこうオカシイものだったので、「大人」に揶揄をこめて「オトナ」にしたのだった。

おれの記憶では、「大人」が流行り始めたのはバブル後期のような気がするので、その頃を調べている。

いまのところ「ここからだ」という感じのことは見つかってない。

ただ、1990年に、永谷園の「おとなのふりかけ」がヒットしている。

あてにならないウィキペディアによると、1989年10月に販売されたもので、「当時のふりかけ消費者が12歳を境に急激に減少するというデータをヒントとして、大人にも満足できるふりかけをというコンセプトのもとに開発された商品」だそうで、「1991年(平成3年)には日本食糧新聞社が主催する「食品ヒット大賞」の優秀ヒット賞を受賞」するなどして、ロングセラー商品となった。

この「おとな」は、ちゃんと「こども」に対してのもので、「おとなのおもちゃ」という表現と同種のものだから、それほどおかしなものじゃない。

ただ、何かヒットすると、われもわれもと群がる子供っぽい大人が多いのも事実で、これが流行をプッシュした可能性がある。

おれの記憶にある、おかしな「大人」のブームは、そんなの何もわざわざ「大人」を強調することではなく「大人」のことだろ、というものにわざわざ「大人」をつけ、こういうことをやるのが大人だ、こういうものをもつのが大人だ、こういうよさがわかるのが大人だ、という感じで、たとえば「大人のワイン」とか、バブルで盛り上がった、とてもスノッブな傾向に「大人」をつけた感じだった。

いずれにしても、それらは「大人感」のある消費のことで、たいがい「高級」や「高感度」といったイメージの消費につながっていた。それまでは儲からないといわれていた、文化や芸術などが、その重要なアイテムになった。つまり、スノッブな文化や芸術の香りと高級感を手にすることが、「大人感」だったといえる。

「大人の自立」とは何も関係なく、かえって、これを持っているから大人、こんなことをしているから大人といった、幼稚な権威主義が見られるだけだった。いろいろなモノやコトが、「大人」がつくことで、大人ブランド化した。

そこで、おれは、1980年代以後の消費社会の消費に溺れ、自立を忘れた大人に向かって、「自立編※食堂利用の心得の条 オトナの道」では、自立のための「オトナへの三段階」を書いたのだった。

しかし、ますます、幼稚な大人がはびこった。幼稚な大人がはびこりやすい社会になったというべきか。業的能力と消費能力だけが評価されるようになり、自立の理論や思想や方法などは、どうでもよくなった。

そして、ついに、自立をリードする立場のはずの、政界から報道界から言論文学界からあらゆる分野、その中心は、大人げない幼稚なふるまいと言動ばかりしている人たちがあふれるようになったのだった。いいトシこいた大人が、もう、目も当てられないが、これがもたらしたカオスとアナーキーな状況は、おれは嫌いじゃない。

とはいえ、これはまあ、大人の自立として公共性を担保する能力が問われなくなった社会の、「現代の大人の怪談」ですな。

その怪談が、ますます気味悪く面白くなってきたのは、「大人の距離感」なーんていう言い方が、なんの疑問符もつかないまま、大人の皆さまの世界で普通に使われていることだ。そう、彼ら大人は、いまや、これが大人の距離感というものだよね、うんうんとうなずきあい大人ごっこをしている。距離感というけど仲間内ではベタベタの、「なかよし」だけに通じる、とても微笑ましい大人の関係だ。

それで近頃気になる「距離感」という言葉の使い方や、その態度あるいは思想?のことを書きたかったのだが、用ができたので、またの機会にする。

公共性を担保することを考えない大人たちの「距離感」とは、なんなのだあ。

これは、いうまでもなく、めしの食い方に関係するのだ。

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2019/08/22

来週27日オープン、有山達也展「音のかたち」、面白そ~。

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このあいだ、有山達也さんから展覧会のDMが届いたのだけど、こういう封筒の使い方は初めて見た。表側に告知のデザイン、裏側に宛名と切手とメッセージ。へえ~、こういうやり方もあるんだ。同じ82円。

この有山さんのデザイン、フライヤーも含め、いつものコマーシャルベースのデザインとチョイとちがって、いい。なんていうのかな、「猥雑感」「猥雑味」があるというか。こういうデザインを、おれは「生成系」に対して「分解系」と呼ぼうかなと思っている。(目下、藤原辰史『分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考』(青土社)の影響を受けまくっているからね)

有山さん東京初の個展だそうだ。

有山さんは、去年発売の齋藤圭吾さんがレコードの溝と針などを撮った写真集『針と溝』(本の雑誌社)のデザインを担当したし、かなりのレコード&ヴィンテージオーディオマニアで、かつ最近はどうかな?やっているのかな?バンドを組んでライブもしていた、「音好き」「音楽好き」。

ってこともあってか「音」がテーマの個展だ。

「今回の展覧会で有山は、齋藤との協働による、『針と溝』の世界をさらに進化させたヴィジュアル表現や、レコードの音を作り出すカッティングエンジニアやオーディオ機器を作っている人たちへの取材を通し、「音」の可視化に取り組みます」とのこと。

8月27日からの一か月近い会期のあいだに、トークイベントも3回ほどあり、前回おれも行った、斎藤圭吾さんの『針と溝』展のとき行われた、有山&齋藤の「針と溝をとっかえひっ会」のPart2もある。これは楽しみだ。

『針と溝』といい、「音」の可視化、面白い。

新宿ベルクの副店長、迫川尚子をインタビューした『味の形』(ferment books)という本があるけど、味にも形がある(と、迫川さんは言う)。

そのうち、「味」と「音」が「形」でつながることを、おれは夢見ている。近年のカレーブームとロックのあたりを眺めていると、そんなに夢ではないかも知れない。

「音のかたち」展の詳しい案内は、こちら。
http://rcc.recruit.co.jp/…/exhibition/201908-3/201908-3.html

 

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2019/08/21

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」82回目、立川市・ふじみ食堂

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先月19日掲載の分。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019071902000187.html

今回は、この連載では初めての「ロードサイド型」の食堂だ。それに、立川市の食堂も初めてだし、さらにJR立川駅から多摩モノレール(は乗ったことがあるけど)柴崎体育館駅に降りるのも初めてだ。まったく土地勘のない郊外。

ここを教えてくれた知人は、以前日野市に住んでいて、ときどきクルマで新奥多摩街道を走ったときに寄っていたそうだが、徒歩だとけっこう歩く。もともと「ロードサイド型」というのは、クルマの客が中心の立地であり店舗だから、当然のことだ。

「ロードサイド型」というのは、あまり一般的な用語ではなく、マーケティング屋などが使っていた呼称だと思う。だいたい「立地」をさしていた。

一般的には「ドライブイン」と呼ばれる業態があって、その定義があるわけではないが、ロードサイドでも、店舗の間口が広く、敷地も広く、大型のトラックやバスなども駐車できるスペースがあるイメージだ。

ふじみ食堂のばあい、駐車スペースが乗用車10台分ぐらいが線引きしてあって、大型トラックやバスは止まれない。なので、「ロードサイド型」の食堂と書いた。

しかも、この食堂の周辺だけは、大きなマンションや団地それにスーパーなど建ち並び、駅からの途中の荒っぽい景色と比べ、整った住宅地の「町」のカタチを成しているのだ。近隣の客も多いのだろう、メニューは酒とつまみも充実していた。中華と洋食が中心の食堂で、ガッチリ食べたい客が多いのか、800円台のセットメニューが豊富だった。こざっぱりとした味付けで、ラーメンも食べてみたくなったが、簡単には行けない。

というわけで、駐車場完備以外は、とくに「ロードサイド型」の特徴はない。1965年頃の開店だから、モータリゼーション真っ盛りが進行中であり、鉄とコンクリートの「都市化」のため、東京郊外の幹線道路は建築関係のトラックなどが横行していた時期だ。まもなく「ニューファミリー」市場が成長し、ドライブがレジャーの憧れのアイテムになる。人びとの移動も鉄道からクルマへシフト、郊外の「都市化」がすすみ人口が増える。そういう波の中で、さまざまな「ロードサイド・ビジネス」が成長した。

ふじみ食堂までの新奥多摩街道沿いには、大小さまざまなロードサイド・ビジネスが見られ雑然とした荒っぽい景色をつくっていたが、「マッサージ店」まであって驚いた。

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2019/08/08

「カレーを混ぜる、文化を混ぜる」

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かつてのフットワークのよさがすっかり失せてしまったおれは、近年の「スパイスカレー」や南インドやスリランカの料理あるいはカレーのブームを、遠くから眺めているばかりだった。

すると、どうしても「食べる」ときの「混ぜる」が料理として欠かせない「汁かけめし」の視点になるのだが、そういう視点からの話題は、ほとんど目にすることがないと思っていた。

ところが、やっぱり、あったのだ。

先日、2回ほど顔を合わせたことがあるferment booksのワダヨシさんが、「カレーを混ぜる、文化を混ぜる」と題した短いコラムに、拙著『ぶっかけめしの悦楽』から一文を引用したということで、『IN/SECTS(インセクツ)』という雑誌を送ってくれた。

ワダさんは、話題の『味の形 迫川尚子インタビュー』『サンダーキャッツの発酵教室』を発行しているferment booksの編集者で、身体的な視点からも「食」や味覚を考えたりする面白い方だ。

早速、そのコラムを読んでみた。

「カレーライスはかけめしが進化したものだ」という『ぶっかけめしの悦楽』からの文を引用しながら、現在の南インド料理やスパイスカレーのブームも、ぶっかけめしたるカレーライスの延長に存在するものという話をしているのだが、単にカレーだけのことにとどまらず、インド音楽の「混ぜる」文化にまで言及している。

そこでは、「食べ物を混ぜない日本人に、インド人側からカルチャーショックを受けた」というM・K・シャルマの『インド・エリートビジネスマンの「日本体験記」 喪失の国、日本』 (文春文庫) からの引用もあったりする。

そしてワダさんは、「カレーを混ぜることと、文化を混ぜることにはさらなる深い関係がありそうだ、とカレーを混ぜつつ思った」のだった。

いやあ、これは、なかなか面白い。

とりあえず、おれは、「日本の「伝統文化」にも、村田珠光の「和漢のさかいをまぎらわすこと肝要」という言葉のように、「混ざる/混ぜる」の文化」がありましてねウンヌンという話と、『ぶっかけめしの悦楽』の帯に「いま時代が動くとき、かけめし再発見」と書いたのだけど、ますますそのことを強く感じていると、御礼のメールに書いた。

するとワダさんから、「混ざる/混ぜる」と人間の肉体や料理の物理性とのかかわりにふれるメールがあって、おれはすっかりコーフンして、脳内は汁かけめし状態になっている。

一昨年の『スペクテテイター』40号「カレー・カルチャー」特集号のときは、「カレーショップは現代の大衆食堂である」というお題をいただいて書いたので、あえて汁かけめしにはふれないように書いたのだが、チョイと正直すぎたかという反省もあって、発酵しきらないモヤモヤが残っていた。

ワダさんには、よくぞ『ぶっかけめしの悦楽』のことを思い出していただき、感謝だ。

どこが「原産」のカレーだろうと、きのうの「ぶたやまライス」だろうと、混ぜまくる日本の食文化、とくに混ぜまくる大衆食文化に息づいているのだ。

最近のミーツもダンチューもカレー特集だが、当然ながら、カレーをめぐる「新しい動き」を知るにはよいが、毎年恒例の消費活動で終わっている。

それはそうと、『IN/SECTS』という雑誌、初めて見たが面白い。小粒ながら文化創造に意欲的な記事が多く、読ませる。こちら。
https://www.insec2.com/

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2019/08/07

『暮しの手帖』に、ぶたやまかあさんとぶたやまライスが登場。

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暑いからね、ということで、ほったらかしのブログだが、まずは、このことを書いておかなくてはならない。

先月末発売の『暮しの手帖』8-9月号、第5世紀記念特大号に、ぶたやまかあさん家族とぶたやまライスが登場した。

その見出しからして、こんなアンバイだ。

ハードルを下げれば
楽しく続けられる。
今日も一日のごはんを
「やり過ごす」ために。

ぶたやまかあさん。会社員、やり過ごしごはん研究家、40代。

この記事は、第5世紀1号記念企画「第1特集 ちゃんと食べてゆくために」の最初のテーマ「わたしが台所に立つ理由」の一つだ。

ぶたやまさん家族、勤め人の夫と子供3人の全員が登場、そして、「ぶたやまライス」をつくって食べる。

「ぶたやまライス」とは、ツイッターでも人気のぶたやまさんのやり過ごしごはんの代表作。いわゆる「汁かけめし」の亜種であるワンプレートクッキングであり、一つのプレートにごはんとおかずを盛合わせるのだが、ぶたやまライスらしい法則性がある。

「油っぽいお肉とさっぱりした酢漬けの野菜さえあれば、あとは何をのせても良し」というもの。これ、じつは、米のめし料理の基本を押さえているし、汁かけめしと大いに関係あることなのだ。そのことについてふれていると長くなるから、またの機会に書くツモリとして。

ぶたやまさんの、「大事なのは、毎日のごはんをやり過ごすことだから」という言葉と、「豚こま肉をゆでて、ポン酢をかける。人参はラペにし、ピーマンはグリルで焼く。私は決して器用ではありませんが、シンプルな作業ならムリなく同時進行できます。人参を切っていて時間がなくなったら、明日のスープに使えばいい」という考え方と方法は、かなり面白いと思うし、いろいろな可能性を秘めていると思う。

おれも最初の頃は、「やり過ごし」ということについては、よくわかっていないところがあったが、日々の暮らしにとっては、すごく大事なことで、ここで間違うと「呪い」にかかることになる。

料理に限らず、さまざまな「呪い」にとらわれやすい環境がある。自分は能力のない人間だ、自分の仕事も人生もツマラナイものだ、自分の住んでいるところはツマラナイまちだ、などなど「呪い」にかかりやすい。そういうことにまで、「やり過ごし」は効きそうだ。人によって程度のちがいはあるだだろうが、「呪い」からの脱走も可能ではないか。「まちづくり」とか「少子高齢化」とか、そういう社会的課題にまで、使えそうな「哲学」というか「思想」というか。

「シンプルな作業ならムリなく同時進行できます」については、野菜炒めなどを対比させ、具体的に述べているのだけど、なかなか深い。詳しくは、本誌を読んでもらうとして、とくに料理につきまとう「共時性」と「経時性」のさばきかたは、これまた、いろいろな作業につきまとうことで、とても面白い。

ところで、「わたしが台所に立つ理由」には、ぶたやまさん家族のほかに、二つの家庭が登場する。新聞社写真部に勤めるおとうさんと妻と子供一人、もう一人は、画家の牧野伊三夫さんで、おれが「理解フノー」の連載をしている美術同人誌「四月と十月」の発行人だ。

「台所に立つ理由」というと、チョイと堅苦しいが、日々のことには、それぞれが「個」の「事情」というものを抱えながら、あたっているはずだ。食事についていえば、その日その日によって異なる「個」の「事情」を抱えながらつくるひとはつくり、食べるひとは食べるのだ。

企業的組織的になるほど管理がつきまとい抑圧は強まり、「個」の「事情」は薄められ平均化や標準化されるし、「家庭料理」については相変わらず戦前からの「良妻賢母」モデルに組み込まれた抑圧が機能しているが、家庭では、家庭によりけりだが、「個」が比較的自由に表出しやすい。ぶたやまかあさんのように「私はいつも、自分が好きな味を貫いています」といったことが可能だ。

しかし、その「個」の「事情」が、さまざまにメディアにあふれるようになったのは、新しい。「とくにSNSの普及で、台所の料理の担い手が直接発信できるようになって、状況は大きく変わりつつある」と、おれは『現代思想』7月号に寄稿した「おれの「食の考現学」」に書いたが、従来の紙メディアでは、牧野伊三夫さんのような画家や文化的(クリエイティブ?)な職業の人たち、著名な方々など、あるいは飲食がらみの各種業の人たちなど、その仕事や肩書で耳目をひく人たちが登場し、チョイ「上」な「美しい」「上質な生活」を語ることが多かった。そういうところでは、「やり過ごしごはん」といった、生活の地声のようなものは、なかなか聞こえてこなかった。

それから、これだけいろいろなメディアがあるのに、住み分けがすすんでいて、それぞれが小さな水たまりに棲息し、越境やまじわることが少ない。例えば、牧野伊三夫さんと、共働き勤め人のぶたやまかあさん家族が同じテーマで並んで登場するなんてことは、「珍事」のたぐいだったと思う。交わることのない編集や制作、交わることのない読者、交わることのない生活が、割と広く存在した。

これからどうなっていくかわからないが、『暮しの手帖』の第5世紀の1号目にぶたやまかあさんが登場したことは、生活的に、希望がもてるような気がしている。

ぶたやまかあさんの記事に関して、ツイッターに、こんな感想があった。

からすねこ
@karasuneko_cat
ぶたやまかあさんの暮しの手帖入手。ゴハン作り大変だけど、ぼちぼちでいいよってユルさで良かった。暮しの手帖ってすごくストイックなイメージで、キチンと頑張らなくちゃって感じだけど。
午後10:25 · 2019年7月27日·Twitter for iPad
https://twitter.com/karasuneko_cat/status/1155107047072919554

当ブログ関連
2019/06/08
『暮しの手帖』100号、「家庭料理ってどういうもの?」。

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2019/08/04

このままでは終わらない。

このままでは終わらない。何が?って、いろいろあるが、とりあえず、このブログは、こうやって書いているし、このままでは終わらないってことさ。

だけど、終わりになりそうだった。とにかく、書く気がおきない、その気にならない。やはり性欲がなくなってしまったからだろう。イロケがなくなったら、書く気なんかおきないものだ。

そうそう、とにかく、長い梅雨でバテバテだった肉体に、一気に暑い暑いが襲いかかり、もうのたうちまわる力もない。隣の年老いた猫が、うちのウッドデッキの木陰でデレ~っとしているのだが、そんなかんじなのだ。

それでも、仕事があるから、一昨日は都内へ行ってきた。帰りの電車で今夜は何を食べようかなあ~、ソーメンにしよう。駅近くのスーパーで、ソーメンとストレートのつゆと、しょうがと、みょうがとおおばは家にあるからよいが、ごまが欲しいな、そうだ、豚肉の冷しゃぶサラダもつくろう、などと食欲をふるいたたせ、東大宮に着いた。

暑い、暑い。遠雷もきこえる。暑い、暑い。頭はボーとしている。

駅近くのスーパーへ行って、まず何を買ったのか、忘れたが、カンジンなソーメンとつゆを買い忘れた。スーパーを出てから気がついた。何をボーっとしているのだ。ま、途中の安売りドラッグストアかコンビニにあるだろう思って、まずドラッグストアに寄ったら、いつも使っているソーメンとつゆが置いてないのだ。うちは、そんなに高級なものを食べているわけじゃないが、置いてない。ストレートのつゆがないのだ。濃縮だけ。しょうがねえなあと、その近くのコンビニに寄ったが、やはり濃縮のつゆしか置いてない。こうなると、ボーとした頭は、それでもいいじゃないかという柔軟性を欠き、惰性的思考停止的にいつものやつにしか考えがまわらない。

で、家に一度寄って、買ったものを置き、よく利用している駅と反対方面にある近くのスーパーへ、ボーっと歩いて行った。そこへ行けば、必ずあるのだ。

よーし、これで万全だ。と思っていたのだが、いよいよつくるだんになると、しょうがを買い忘れているのに気がついた。うわ~、しょうがのないソーメンなんか、しょうがねえなあ、と、帰宅途中のツマに電話をするとうちに一番近いコンビニのそばだという。それなら、チューブ入りのしょうがでいいや、買ってきて。

ということで、なんとか、ソーメンをうまく食べた。

とにかく、ただでさえやる気が出ないでいるのに、暑くて暑くて、もう衰弱気味だ。

そうして、ブログもこのまま終わるのかなあ、終わってもいいかなあ、こんなふうにおれの人生も終わるのかなあ、と、ボーっとしていると、なにもかもどうでもよくなる。どうだっていいじゃないかの気分が肉体になる。

そんなふうに日々すぎているのだが、けっこういろいろなことがあって、じつは面白いことがあるのだ。

それを書くと長くなるから、めんどうだし、今日はこれぐらいでやめておこう。

しかし、なんだか、構成を考えなくてはならない本の企画が二つあって、その前にもう一つあって、だけどそちらはあまり気が進まないからほってあるのだが、新しい話の二つは、けっこう面白そうでやる気になっている。だけど、この暑さを蹴散らす性欲が足りなくて、どうにも構成が考えられない。

おれより6歳も若い中原さんは死んじゃうし、おれもいつまでも生きていられるわけじゃないから、さっさと企画をまとめて書き出さなくてはならないのだが、どうもイロケが足らんのだなあ。文章はイロケで書くのだからなあ。このままで終わらないといったって、性欲は、とっくの昔に終わってらあ。食欲は細くなるし、残るはネムケだけだ。永遠の眠りにつくには、イロケもクイケも邪魔、ネムケさえあればよいというわけだ。

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