「カレーを混ぜる、文化を混ぜる」
かつてのフットワークのよさがすっかり失せてしまったおれは、近年の「スパイスカレー」や南インドやスリランカの料理あるいはカレーのブームを、遠くから眺めているばかりだった。
すると、どうしても「食べる」ときの「混ぜる」が料理として欠かせない「汁かけめし」の視点になるのだが、そういう視点からの話題は、ほとんど目にすることがないと思っていた。
ところが、やっぱり、あったのだ。
先日、2回ほど顔を合わせたことがあるferment booksのワダヨシさんが、「カレーを混ぜる、文化を混ぜる」と題した短いコラムに、拙著『ぶっかけめしの悦楽』から一文を引用したということで、『IN/SECTS(インセクツ)』という雑誌を送ってくれた。
ワダさんは、話題の『味の形 迫川尚子インタビュー』『サンダーキャッツの発酵教室』を発行しているferment booksの編集者で、身体的な視点からも「食」や味覚を考えたりする面白い方だ。
早速、そのコラムを読んでみた。
「カレーライスはかけめしが進化したものだ」という『ぶっかけめしの悦楽』からの文を引用しながら、現在の南インド料理やスパイスカレーのブームも、ぶっかけめしたるカレーライスの延長に存在するものという話をしているのだが、単にカレーだけのことにとどまらず、インド音楽の「混ぜる」文化にまで言及している。
そこでは、「食べ物を混ぜない日本人に、インド人側からカルチャーショックを受けた」というM・K・シャルマの『インド・エリートビジネスマンの「日本体験記」 喪失の国、日本』 (文春文庫) からの引用もあったりする。
そしてワダさんは、「カレーを混ぜることと、文化を混ぜることにはさらなる深い関係がありそうだ、とカレーを混ぜつつ思った」のだった。
いやあ、これは、なかなか面白い。
とりあえず、おれは、「日本の「伝統文化」にも、村田珠光の「和漢のさかいをまぎらわすこと肝要」という言葉のように、「混ざる/混ぜる」の文化」がありましてねウンヌンという話と、『ぶっかけめしの悦楽』の帯に「いま時代が動くとき、かけめし再発見」と書いたのだけど、ますますそのことを強く感じていると、御礼のメールに書いた。
するとワダさんから、「混ざる/混ぜる」と人間の肉体や料理の物理性とのかかわりにふれるメールがあって、おれはすっかりコーフンして、脳内は汁かけめし状態になっている。
一昨年の『スペクテテイター』40号「カレー・カルチャー」特集号のときは、「カレーショップは現代の大衆食堂である」というお題をいただいて書いたので、あえて汁かけめしにはふれないように書いたのだが、チョイと正直すぎたかという反省もあって、発酵しきらないモヤモヤが残っていた。
ワダさんには、よくぞ『ぶっかけめしの悦楽』のことを思い出していただき、感謝だ。
どこが「原産」のカレーだろうと、きのうの「ぶたやまライス」だろうと、混ぜまくる日本の食文化、とくに混ぜまくる大衆食文化に息づいているのだ。
最近のミーツもダンチューもカレー特集だが、当然ながら、カレーをめぐる「新しい動き」を知るにはよいが、毎年恒例の消費活動で終わっている。
それはそうと、『IN/SECTS』という雑誌、初めて見たが面白い。小粒ながら文化創造に意欲的な記事が多く、読ませる。こちら。
https://www.insec2.com/
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