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2019/09/30

明日から消費税10パーセント。

今日で、おれが76歳になった9月が終わる。

明日は10月1日、消費税が8%から10%になる。

消費税、ふりかえってみよう。

最初の導入は、1989年4月1日で、3%だった。バブル真っ最中。1989年って、平成元年だ。消費税は、平成とバブルがもたらした疫病神か。いやいや。

1986年11月、文春ヴィジュアル文庫『スーパーガイド 東京B級グルメ』発売。1988年3月、文春ヴィジュアル文庫『東京・横浜 B級グルメの冒険』発売。1989年4月、文春ヴィジュアル文庫『B級グルメの基礎知識』発売。

1991年、バブル崩壊。内閣府基準では、3月から。

1997年4月から、消費税5%。3%の8年後。

2014年4月から、消費税8%。5%の7年後。

そして今回、8%の4年後。ま、政府・与党は、前回10%にしたかったのだけど、強行できなかった。その後、消費者をうまく飼いならした、ということになるか。

8%になったときも、個人飲食店の閉店があった。閉店というのは、「倒産」とちがって、「自主的」であるから、社会問題になりにくい。今回も、ニュースで報じられているが、10%への報道的通過儀礼という感じだ。

ここに、「B級グルメ本」をのせたのは、いわゆるバブル崩壊後、斑模様のバブルはあったわけで、その一角を「飲食ネタ」が占めていたし、B級グルメは、ますます肥大化した。

いやいや、一角どころか、消費が経済をリードするようになった時代、あそこにこういううまいものがある、あそこにこういう面白い店/いい店があるなどの、消費的な飲食ネタが、バブル崩壊後のバブルを担ってきたともいえるのであり、それは、「B級グルメ」の下支えがあったからだと思う。

飲食ネタバブル。

よく知らないが、日経新聞が「ニンジンの皮もおいしく! 増税に勝つ食べ切り術」なる記事を打ったらしい。「消費増税を前に、無駄なく、賢く食材を使い切る工夫を共有しよう」と。いつか、何度も、見た景色だねえ。

そして、飲食ネタバブルは、終わらない。飲食ネタは、消費経済のために役立っています。消費者を飼いならすのに、とても有効なのだ。ということは、消費税の歴史が示すところではないか。

ほら、今日も、飲食ネタは、楽しそうでしょう。共に楽しみましょう。消費税増税の憂鬱など、どこ吹く風。

飲食ネタは、セツナイ、カナシイ。

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2019/09/23

「生きること」と「食べること」。

「近年ますます「食べる」と「生きる」が関連づけられて語られるようになった」と、きのう書いたけど、それはここ10年ばかりの大きな変化だと思う。とはいえ、まだごく一部の傾向にすぎない。

「食べる」と「生きる」を一つの言葉にすると「食生活」ということになると思うのだが、どうも「食生活」というと言い方そのものが、なんだか財布の中の一円玉を数えるように地味なイメージなのだ。

そもそも「生活」について、「考える人」たちのあいだでも、あまり深く考えられてこなかった。ということについては、考えることが商売の学者のあいだでも言われてきたことだ。日本の学術業界の中心は、生活のような形而下のことは学問の対象として考えてこなかった、なんだか高尚そうな形而上のことばかりを追いかけていたということらしい。

『現代思想』7月号「考現学とはなにか」特集に寄稿した「おれの「食の考現学」」では、1972年に発足した「生活学会」について、江原恵がらみで書いた。「生活料理学」を提唱した江原恵は「食生活学」も提唱していたのだ。

生活学会は、考現学の今和次郎が提唱し初代会長となり発足したが、川添登など中心的な役割を果たしていた人たちを失ったあと低迷し、それから少し盛り返したようだが、どのみちかなりマイナーな存在だ。

しかし、江原恵が「生活料理」を提唱した1975年前後からすると、学会はともかく、近年は料理が生活的に語られるようになったといえる。インターネットとSNSの普及、長く続く生活困難の現実や「生きにくさ」など、いくつかの要因が考えられる。

「料理」という言葉は、「食」や「食べる」より、かなり概念が絞られるが、「食」も「食べる」も、「そのフィールドはとてもつもなく広く、見えにくい」と「おれの「食の考現学」」に書いた。「「食」に関するコンテンツは花盛りだが、「生活」や「文化」と「消費」のあいだの混乱も多い」

「食べる」についていえば、あいかわらず、消費的な情報や知識が氾濫している。メディアに絡んでいる商売人も素人も、そちらに流されがちだ。

「もしかしたら他の読者はもっと押しつけがましくてもわかりやすくて、ほらここで笑ってくださいね、ってものが好きなのかなあ。そういえば私も新人の頃「クサいの描けばうけるよ」って言われて、わざと話をクサくしたこと、あった。で、ちゃんと、アンケートそこだけ上がった。ああ、そうか、それが現実かあ」

これは、業田良家『自虐の詩』上(竹書房文庫ギャグザベスト、2004年初版16刷)の巻末「解説インタビュー」で内田春菊が語っていることだ。

こんなにも感動的な名作な『自虐の詩』が、「もっとドカッと売れるって信じて」いたのにそうでなかった。なぜだ、「読み方はその本人に主導権があるべきだと思うのよ」と言ってから気がついた。

食べるについても、同じようなことが続いている。

食べること生きることは、本人に主導権があるべきだと思うのだが。

氾濫する押しつけがましくわかりやすく消費されやすい価値観については、ケッとか言ってすましておけばよいのに。

現実は複雑であり、自分もその複雑な一つを構成しているにもかかわらず、単純化された正と反、二択の話をふっかけられると、それにノリよくのっかってしまうことが多いのですね。

それはもう、なんでオレオレ詐欺にひっかかったりするんだバカヤローと思っても、実際に被害にあった人の話を聞くと、とても巧みな話し方で、うーむ、これならひっかかるのも無理ないかと思わざるを得ないような状況とも似ている。

ま、食べることについて書いている人たちの一般受けしているキャッチーな「手口」を研究してみるのも悪くないかもしれない。たのしく有意義な読書のためにも。

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2019/09/22

『たすかる料理』按田優子の推薦図書。

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「按田餃子」の按田優子さんによる『たすかる料理』(リトルモア、初版1月で2月には2刷り)は、かなりおもしろい。その画期性は、おれの『大衆食堂の研究』のはるか上をいくね。いわゆる「料理本」のたぐいになるだろうけど、単なる実用書でもない、生きること食べることに関する、なかなか教養深い書で、こういう傾向のものがなかったわけではないが、やっぱりなかったといえる。

『たすかる料理』(リトルモア)の最後には、「ふろく」として「按田優子の推薦図書」が載っている。このブログでその紹介をするつもりだったのに、すっかり忘れていたことを、按田さんと会って思い出した。

推薦図書は、「食べ物と体のヒントになる本」として、按田さんの紹介文付きで10冊あげられているのだが、そのラインナップがおもしろいのだ。

順番にあげてみよう。

『冷蔵庫いらずんのレシピ』按田優子著、ワニブックス
『ビダハン「言語本能」を超える文化と世界観』ダニエル・L・エヴェレット著、屋代通子訳、みすず書房
『雲南の照葉樹のもとで』佐々木高明編著、日本放送出版協会
『横井庄一のサバイバル極意書 もっと困れ』横井庄一著、小学館
『闘魂レシピ』アントニオ猪木著、飛鳥新社
『健康自主管理のための栄養学』三石巌著、阿部出版
『オナラは老化の警報機』荘淑旂著、祥伝社
『秘伝 発酵食づくり』林弘子著、晶文社
『内臓のはたらきと子どものこころ(みんなの保育大学)』三木成夫著、築地書館
『男前ぼうろとシンデレラビスコンティ』按田優子著、農山村漁村文化協会

最初と最後が按田さんの書で、この紹介文を読むことで、按田さんの生きる思想を知ることができる仕立てになっている。もちろん、その生きる思想は、食べる思想でもあるのだが。

この10冊のうち、按田さんの本を除き、書名すら知らなかった。『雲南の照葉樹のもとで』の編著者佐々木高明の本は、なにしろ「照葉樹林文化論」がにぎやかだったこともあり、何冊か読んだことがあるぐらいだ。

「食の本」は、ごまんとあって、いろいろな選び方があるけど、こういうラインナップになるのは、珍しいと思う。

「生きることは食べること」「食べることは生きること」など、近年ますます「食べる」と「生きる」が関連づけられて語られるようになったけど、その二つがシックリ包括されている感じの著述や実践は少ない。

按田さんは、著述でも実践でもシックリいっている、数少ない人といえるだろう。しかも、「按田餃子」のビジネスとしても成功しているのだから、ま、ビジネスとしての成功は、そこに現代の「流れ」を見るべきだろうけど、早すぎもせず遅すぎもせず、それにのれたのは、このラインナップに見られる、視野の広さと思想の柔軟性によるのかもしれない。

って、ことで、では、按田さんは、これらの本についてどういう紹介の仕方をしているかについては、面倒なので書かない。これからの「生きる」と「食べる」に関心がある人は、ぜひ読んでみてください。

当ブログ「按田優子」関連
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ku:nel クウネルの「料理上手の台所」、いいねえ。
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スペクテイター42号「新しい食堂」。
2019/04/16
充実泥酔。ありがとうございました、ヒグラシ文庫8周年トーク。
2019/04/30
ヒグラシ文庫8周年トーク・イベントのテープ起こしです。

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2019/09/20

社会問題にならない社会問題、新しいステップの分社化、89歳ママの様子を見に。

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昨日は、ひさしぶりに、仕事ではなく、飲みに都内へ行った。

いろいろあったことも大事にはならずにおさまる流れにあり、事業の現況とこれからについて話を聞いた。株式会社をもう一つ設立し、ひとつの事業をそちらに移管、さらに営業形態を変え別事業も拡張ということで、なかなか力強いですなあ。いまどきは、なにごとにも拘泥しないで、自ら変態し、ファンキー&フレキシブルに展開しなくてはな。

いろいろあった一つに、豚コレラみたいにある生物がからむ騒動があった。これはすでに実態としてはアチコチで騒動が広がっていて、社会問題のはずなのに、社会問題化されてないということがあって、ほんと、いまの日本というか日本人はフシギだ。豚コレラも、そうだけど、豚も日本人も大丈夫か。

一部のマスコミは事態をキャッチしているらしいし、ちょっとだけニュースになったのだが、なかなか社会問題化するのが難しいようだ。被害の当事者や関わる人たちが、口を開かない。被害を口にすると、自分が大きな火の粉をかぶることになりかねない。という、昨今の日本においては、普通になってしまった、問題を明るみにすることによって被害者がさらに被害を受けるという、これはまあ、なんと言いますか、黒でも騒がず白とみなし、あるいは白を黒だと言い、近頃の日本ではもう不条理が空気みたいなものだからね。

と、おれも、いろいろ「忖度」して、煮え切らない書き方をしている。豚コレラ問題も、なんだかモヤモヤしているけど、あれは東京の人間から見たら、タニンゴトに近い感覚なんだろうなあ。東京の人間が騒がないと、社会問題にならない。千葉県人や埼玉県人が騒いだぐらいじゃな。

だけど、これは、「美しい東京」のど真ん中で起きている、その美しいイメージをぶち壊しにしかねない、だから社会問題化しないようにしたいという気づかいもあるようだ。上品で美しい気づかいだ。死人が出るようなことじゃないし、このままダンマリで収束させるつもりなのだろうか。収束させられるのか。

てなことを「国際問題」と共に語り合いながら飲んだのであった。

そして、目的の酒場へ。このために行ったのだ。しかも、両手に花で。

89歳のママが、この夏は一度も店を開けなかった、心臓が悪いからどうしているのかと心配していたら、先日またのれんが出た。じゃあ会いに行こう、と。

体調が悪くて入院し、暑い夏は休んでいたとか。酒はやめたし、医者の言う通りにしていたら、少しやせたという。たしかにやせて、前みたいに動くのがしんどそうでないし、かえって健康そうになった。

89歳は、昭和5年、1930年生まれだ。戦中戦後をどうやって生きてきたか、もう何度か聞いた話もあるが、いつも新しい話が加わる。貴重な体験談で、いつも録音しておきたいなと思いながら、やらないで、ただ聞くだけで帰って来る。どうもおれは、プロのライターになり切れてない。なり切るつもりもないが。

今日になって、脳ミソをしぼって思い出したわずかなことを、ノートにメモした。

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2019/09/17

発売中『dancyu』10月号で、辰巳のアジフライ。

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去る6日に発売になった『dancyu』10月号は「揚げもの」特集で、おれは茅場町の老舗割烹「辰巳」の、昼のアジフライ定食を取材して書いている。

このブログを見ている人は記憶があるかもしれないが、おれはかつて、「アジフライは正三角形に近いほど旨い」という冗談仮説を検証すべく、「アジフライ無限的研究」と称するアソビをやっていた。

今回の『dancyu』からの依頼は、そういうことにまったく関係なく、締め切り切羽詰まってからのもので、お盆休みの最中でいつもの一軍クラスのライターさんの都合がつかなかったから大部屋ライターのおれがピンチヒッターに立った、という感じであった。

そもそもおれが「大衆食堂」とはクラスが違う「割烹」の取材だなんて、「邪道だろ」ということがあるかもしれないが、そういうことなら、白身魚に価値を置く割烹が、大衆魚の青魚のアジを、しかもフライで出すなんて、アリか?ということにもなるだろう。そういうギャップを越境するのは、なかなかおもしろいことだし、実際に、この取材はおもしろかった。

とにかく、かつて「アジフライ無限的研究」と称して、あちこちのアジフライを食べたが、「割烹に足が向いたことはない」と書き出し、次のように続けた。

「昼の定食とはいえ、割烹といえば和食、揚げものは天ぷらだろう。おそるおそる店主に尋ねた。店主は笑い、「邪道だろ、ですよね」。実際に30年ほど前、お客さんの要望で始めた頃は、そん感じだった。評判がよく今ではアジと帆立のフライだけ夜も出している」

そのアジフライは、やはり割烹なりの考え方でつくられているのだが、それは本誌を読んでもらいたい。

本誌には掲載されてない、店舗の全景の写真をここに載せておこう。中休み中なので、のれんは下がっていない。

昭和24年築の建物を、昭和26年に辰巳の初代が買い、手を入れながら使い続けている。本文の文字数が400字弱しかないので書けなかったが、初代は、明治生まれの女性が素人で始めたのだ。そういうこともあってだろう、いまの三代目は外で6年ほど修業したとはいえ「和食=日本料理」の伝統や格式、そのハッタリにしばられている感じがない。

素人から始まった都内の有名割烹は、開高健や池波正太郎などグルメな文士が褒め上げていた店などがあるように、有名料亭で修業したかどうかで料理が決まるわけではない。それはまあ、どの雑誌に書いているかでその書き手の文章が決まるわけではないのと同じなのだ。ただ、選択に自信のない人たちが、「有名かどうか」を気にするだけだし、そういう人はけっこういるし、そういう人を相手に仕事をしている人たちもいる。

辰巳は、そういうのとはチョイと違う割烹なのだが、それは「兜町」という立地が無関係ではない。辰巳の住所は茅場町だが、道路一本へだてて兜町だし、周囲のビルには証券会社の看板が並ぶ。

この地域は、おれも70年代には最低月イチは飲んでいたが、「株屋さんが多い」ことで、かなり特殊な地域なのだ。

「舌が肥えている人が多い」とか「口がおごっている人が多い」とかいわれることもあったが、それより、今回の取材でわかったことは、飲食に対する金の使い方が違うってことになるようだ。

「うなぎ」と「天ぷら」と「やきとり」がないと飲食商売は成り立たない地域。うなぎは「のぼる」、天ぷらは「あげる」、とりは「とぶ」…株にからんだゲンかつぎだ。金融という現代的なビジネスだが、根っこは賭博だから、どんなに計算しつくしても、食べ物にまでゲンかつぎがおよぶ。

客が金を使ってくれれば、店もそれなりにいいものを仕入れられる。老舗の割烹ともなれば市場の仲買いとの付き合いも長く、同じ仕入れ金でもいいものが手に入る。

それやこれやひっくるめて、この地域の食文化が成り立っている。ってことになるか。

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夜のおまかせセット4200円の献立は、「お通し」「造り」「煮もの」「天ぷら」「酢のもの」とある。これが、いわゆる「和食=日本料理」の標準献立ってことになるだろう。

もちろんアラカルトもあって、ポテトサラダもあるし、居酒屋使いもできる。大衆食堂で飲むようなわけにはいかないが、株屋さんたちに囲まれて、割烹料理を食べて飲んでみるのもいいかもね。

こういう飲食店は、「中クラス」ということになり、なかなか商売が難しいのだけど、食文化とくに料理文化の、けっこう大事なところを担っている。店主はたいがい料理長であり、裁量権の幅が、割と自由になるからだ。本人しだいで、料理法やメニューの工夫の可能性がある。

大衆食堂の場合、自由であっても、経済的に幅が限定されざるを得ない。格式ある料亭になると、格式や序列などにしばられて自由が制限される。

最後の写真は、入り口に何気なく飾られた祭り提灯。店内の壁には、押絵羽子板。店主は、地元っ子だ。

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2019/09/15

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」83回目、高円寺・タブチ。

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ボーとしていても月日は過ぎる、それが年を取るほど速くなるというが、その通りだ。加速度的。この勢いは止められない。気が付いたら、人間の海で溺れ死んでいるのだろうか。

もう9月15日だ、まもなくおれは76歳になる。先月30日、池内紀(いけうち・おさむ)が亡くなった。その活躍ぶりからしても、おれより一回り以上は年上と思っていたのに、まだ79歳だった。75を過ぎたら、四捨五入してもしなくても80代とかわらない感じになる。感覚的に、年齢差がなくなっていくのだ。

どんどん死んでいく人たち。おもしろいぐらい死んでいく。おれより6歳も若い中原蒼二さんも死んじゃったしなあ。ようするに人間も生物だから死ぬのだ。死ぬまで食って排泄するのだ。

東京新聞、先月16日の朝刊に掲載のものだ。すでにWEBサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019081602000174.html

おれの周囲では、高円寺のタブチは有名店だ。おれの知り合いには、貧乏ぐらしをしていたか、している連中が多いからかもしれない。

看板からするとカレーとラーメンが売りのようだが、定食を食べている人たちも多い。

おれにとって、ここのカレー、とくに辛口は、特別だ。というのも、1962年に上京して、初めて、家庭や大衆食堂の黄色いカレーではないカレーを食べたときの、その味覚が、タブチの辛口カレーに「同じ」と言いたいぐらい似ているからだ。

味覚の記憶なんてあまりあてにならないが、色合いは、目に焼き付いている。なにしろ、黄色くない、黒に近い深い焦げ茶色のカレーを見たのも食べたのも初めてだった。

当時は、まだ黒ビールを飲んだことがなく、かなり歳月がすぎてから、初めて黒ビールを飲んだとき、あれっ、これは、あの黒っぽいカレーと似ているなと思った。その記憶が残っていた。

おれが、このカレーを食べたのは、飯田橋にあった「カレーの南海」というチェーン店でだった。

タブチのカレーは黄色いカレーと同じようにじゃがいもなどがゴロッと入っているが、記憶では、カレーの南海のカレーはじゃがいもは入っていなかったような気がする。それは、それまで食べてきた黄色いカレーより、「もっと洋風」な感じがした。

インド風だかネパール風だか、あるいはいまどきのスパイシーなカレーとか、そちらから見れば、タブチのカレーは「日本の昔のカレー」寄りになるのかも知れない。

が、これは「タブチ風カレー」なのであり、カレーの面白さと可能性は、「各人風」「各店風」が一緒に存在していることだろう。そういう「カレー環境」こそ「文化」や「社会」と言えるものではないか、と、近頃、そういう思いが、ますます深まるのであった。

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