東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」83回目、高円寺・タブチ。
ボーとしていても月日は過ぎる、それが年を取るほど速くなるというが、その通りだ。加速度的。この勢いは止められない。気が付いたら、人間の海で溺れ死んでいるのだろうか。
もう9月15日だ、まもなくおれは76歳になる。先月30日、池内紀(いけうち・おさむ)が亡くなった。その活躍ぶりからしても、おれより一回り以上は年上と思っていたのに、まだ79歳だった。75を過ぎたら、四捨五入してもしなくても80代とかわらない感じになる。感覚的に、年齢差がなくなっていくのだ。
どんどん死んでいく人たち。おもしろいぐらい死んでいく。おれより6歳も若い中原蒼二さんも死んじゃったしなあ。ようするに人間も生物だから死ぬのだ。死ぬまで食って排泄するのだ。
東京新聞、先月16日の朝刊に掲載のものだ。すでにWEBサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019081602000174.html
おれの周囲では、高円寺のタブチは有名店だ。おれの知り合いには、貧乏ぐらしをしていたか、している連中が多いからかもしれない。
看板からするとカレーとラーメンが売りのようだが、定食を食べている人たちも多い。
おれにとって、ここのカレー、とくに辛口は、特別だ。というのも、1962年に上京して、初めて、家庭や大衆食堂の黄色いカレーではないカレーを食べたときの、その味覚が、タブチの辛口カレーに「同じ」と言いたいぐらい似ているからだ。
味覚の記憶なんてあまりあてにならないが、色合いは、目に焼き付いている。なにしろ、黄色くない、黒に近い深い焦げ茶色のカレーを見たのも食べたのも初めてだった。
当時は、まだ黒ビールを飲んだことがなく、かなり歳月がすぎてから、初めて黒ビールを飲んだとき、あれっ、これは、あの黒っぽいカレーと似ているなと思った。その記憶が残っていた。
おれが、このカレーを食べたのは、飯田橋にあった「カレーの南海」というチェーン店でだった。
タブチのカレーは黄色いカレーと同じようにじゃがいもなどがゴロッと入っているが、記憶では、カレーの南海のカレーはじゃがいもは入っていなかったような気がする。それは、それまで食べてきた黄色いカレーより、「もっと洋風」な感じがした。
インド風だかネパール風だか、あるいはいまどきのスパイシーなカレーとか、そちらから見れば、タブチのカレーは「日本の昔のカレー」寄りになるのかも知れない。
が、これは「タブチ風カレー」なのであり、カレーの面白さと可能性は、「各人風」「各店風」が一緒に存在していることだろう。そういう「カレー環境」こそ「文化」や「社会」と言えるものではないか、と、近頃、そういう思いが、ますます深まるのであった。
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