読書と食事は似ているようだ。
今年は新年早々に入れ歯を壊してしまい、前歯の上下それぞれ数本だけになった。新たに入れ歯をつくるには、金がかかるが、もう「後期高齢者」といわれるトシであり、そういう新たな投資をするだけの肉体的な価値がないような気がしてそのままにしている。ほんとうのところは、金がないだけだけど。
したがって、入れ歯にせよ奥歯がない状態にかなり慣れてはきたが、前歯だけでは、「噛む」のはなんとかなっても、「咀嚼」はかなりぐあいが悪い。時間がかかるし、時間をかけても前歯だけでは咀嚼は不十分のままで、面倒だから飲み込んでしまう。
身体の仕組みのことは、よく知らないのだが、現象として、大便の回数が増えた。つまり、よく咀嚼しないと、消化吸収も短時間に不十分のまま、肛門に至るらしいのだ。うんこがゆるいわけじゃないが、食べ物が、さっさと身体の中を通過してしまい、血肉になる割合が少なくなっている感じだ。
それから、米よりパンや麺類の小麦食品を食べる割合が増えている感じがする。記録はとってないが。自然に食べやすいものを選ぶようになっているのかもしれない。
そんなことを気にしていたら、読書と食事は似ているような気がした。
食べたものが食べ物であれ知識であれ、咀嚼が大事だということだ。咀嚼が悪いと消化吸収も悪くなるし、食べやすいものばかりを食べていると、偏りが生じる。
たくさん本を読んでいる人が、その内容をよく把握あるいは理解しているかというと必ずしもそうではない。これは咀嚼が不十分だな~と思われるものが、書評として載っているのを、けっこう見かける。書評などを商売にしているひとは、急いでたくさん読まなくてはならないのだろうか。自分の咀嚼や消化の能力をこえて読むということもありうる。表現だけは巧みでも、まるで下痢便のようなレヴューが、インターネットや新聞雑誌などに載る。ま、インターネットの素人の投稿に下痢便のようなものが増えるのは、全体の投稿数からみれば自然のことだろうが。新聞雑誌の場合は、イチオウ編集者もいるわけだし、どういうことなのかわからない。
これも統計はないのだが、全体的に読解力のレベルが下がっているのではないだろうかと思うことがある。それは咀嚼力の問題でもあるだろう。
食べ物の場合の咀嚼力は、奥歯が決定的に大事だと、奥歯の入れ歯が無くなって気がついた。読書の場合の奥歯に相当するものはなんだろう。
少なくとも読解力の向上をリードするような作家や書評家は、少ないような気がする。亡くなった、あのひとやあのひとやあのひと…のような書評は見かけない。出版界のメインストリームも言論界のメインストリームも貧弱だ。編集者は、どう考えているのだろうと思うが、いまどきの出版社は人材を育てる余裕はないだろうしなあ。とにかく売りやすい食べられやすいものへと傾くのも仕方ないか。
知識は豊富でも、なんだか論理が稚拙で短絡しているのだな。無邪気ともいえるし、乳離れしてない。オッパイの飲みすぎか、離乳食の食べすぎか。
というわけで、おれは食べ物は食べやすいものを食べていても、読書のほうは離乳食は避け、食べ応え噛み応えのあるものをジックリ咀嚼しながら読むよう心掛けている。
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