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2019/10/29

画家のノート『四月と十月』41号、「理解フノー」連載22回目。

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紹介が遅れたが、発行人・牧野伊三夫の画家のノート『四月と十月』41号が発売になっている。

前号は、40号(創刊20年)であり、記念特集として「同人たちのアトリエ訪問記」を組んだ変則的な編集だった。おれは同人の加藤休ミさんと松本将治さんを取材し、「理解フノー」の連載は休載。

というわけで、一年ぶりに、もとの編集になった。同人のみなさんの「アトリエから」も一年ぶりだから、それを読んでいるとなんだか懐かしい。一年のあいだには、いろいろあるなあと思う。

子供が一人から二人になった人、子供が成長し育児や年寄りの世話に追われる人、家族の一人がケガをしたため家業に時間を奪われる人など、時間的な制約が大きくなる中で「制作」のある生活を模索する姿があるかと思えば、倉敷や奄美大島に移住し新しい生活を楽しんでいる様子もある。

平均的にみると、以前より安定度が増加した感じで、それはよいことなんだろうけど、おれにとっては刺激が弱くなった感じがしないでもない。

という中で、表紙の絵を担当した靴職人の高橋収さんが「どうやら最近パンクが気になるらしい」とか、福田紀子さんが「自分が世界をどんなふうに感じて、捉えていて、それがまたどんな世界を創っているかを、また感じて、捉えて……をくりかえす」といったことを書いて、そんな感じの絵があって、ふーん、いいじゃないかと思うのだった。

そうそう作村裕介さんは、左官の親方業をやりながら、あいかわらずモンモンとしているようで、おもしろい。

この一年間で、大きなジケンといえば、昨年の39号で「包丁論」の連載が始まり40号が2回目だった中原蒼二さんが、40号発行のあとの6月20日に亡くなったことだ。今号の「雑報」で、中原さんと35年間の親交があった牧野さんが「さようなら、中原蒼二さん」を書いている。

「生活」つまり「生きる」と、その結果としての「死ぬ」が、やけに生々しく感じられる号だ。

中原蒼二さんの死を伝える水族館劇場のフェイスブックのページには、「存在するものは儚く、みえないものは生きのびる」という文言あった。

おれの連載「理解フノー」は、22回目で「二〇年」のタイトルで書いた。この20年のあいだに、食をめぐる動向とくに「食文化」の動向は、これまでになかった大きな転換期にあると感じていたのだが、自分のまわりでそれを象徴的に実感することがあったので、それについて書いた。

当ブログ関連
2019/07/01
中原蒼二さんが亡くなった。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2019/07/post-0006a0.html
2019/05/09
画家のノート『四月と十月』40号、「理解フノー」連載は特集記事に変更。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2019/05/post-e515c5.html

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