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2019/11/12

産業化と市場化、「かんだ食堂」など閉店の事情。

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前のエントリーは5日だったが、その翌日6日、リニューアル仕立ての「ヨッ大衆食堂」のコーナーに「かんだ食堂」をアップした。

そこに書いたように、かんだ食堂は、昨年の3月18日に閉店した。ビルオーナーがビルを売却したことにともなう退去閉店だ。ビルは取り壊され「再開発」される。
http://entetsu.c.ooco.jp/00_syokudou/syokudou_tokyo/akihabara_kanda_syokudou.htm

たしか、かんだ食堂は、この近くで開業し、このビルができた1959年にここに移転したはずだ。4階建てのビルも老朽化しているが、古い中小のビルは耐震構造の問題もあり、建て替えか売却かの選択をせまられている背景はある。

そうであったとしても、中小のビルオーナーの選択肢は限られているし、店子の小規模経営者の選択肢など「無い」にひとしい。

東京は、オリンピックとオリンピック後をにらんでの「再開発」が活発だ。また、いつか通った道が繰り返されいるのだが、麻薬中毒のようにやめられない。

今年1月、拙著『大衆食堂の研究』にも登場した大正7(1918)年開業の、笹塚の常盤食堂が閉店した。店主夫妻の高齢化と後継者がいないことによる。

知っている限り、年内閉店予定の大衆食堂がもう一軒ある。昭和20年代の開業、店主が高齢もあるが、直接には道路拡張のために建物が取り壊されるためだ。この道路拡張は、以前から計画としてあったものがオリンピックを理由に実施された。

小規模経営の大衆食堂は、産業化や市場化の「圏外」に位置していた。いわゆる「生業店」であり、その空間は、近代合理主義的なマネジメントやマーケティングの影響が少ない、生活的存在だった。

そういう小規模経営が街角から消え、生活的空間だったところは産業と市場に組み込まれ、近代合理主義的なマネジメントやマーケティングが支配するところとなる。これが、とくに1980年代以降の「再開発」といわれるものだった。

東京の消費者は、こういう「再開発」に、すっかり飼いならされた感じもある。街は、キレイにスタイリッシュになるし、とても便利、と、失われたこと排除されたこと、その先に何があるか、といったことについては目をつぶり、快適で愉快なことだけを見て過ごす。これも、麻薬的効果か。

いまここにあげた三つの食堂は、経営に行き詰まっていたわけではない。かんだ食堂は、大にぎわいだったし、常盤食堂などはそこより駅に近いほうにチェーン店が何軒かできても生き残ってきたし、年内閉店予定の食堂も駅から10分以上離れていても生き延びてきた。統計はないが、1980年代以降の大衆食堂の閉店は、再開発と後継者難によるものが多いと思う。

世間的には、産業化と市場化が資金力にものをいわせ圧倒しているようだし、産業や市場サイドからの情報が圧倒しているから、小さな生業店などは経営能力も低いのだからなくなって当然という見方もある。

そのように見方や考え方まで産業的市場的になり、仕事の成果に直結する能力や技術などの評価だけが問われ、あるいは仕事の実績や成功を強調したりするが、「人間としてどうか」「暮らしとしてどうか」「街は誰のものか」なーんていう問いかけは、どうなるんだろうね、いいのかね。

とはいえ、産業化や市場化は、すべてを支配できるわけではない。そこが、おもしろい。

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2019/11/05

「ザ大衆食」のサイトのリニューアルが少し進んだ。

いつごろだったか、SNSは、おれのテーマや目的とはあまり相性がよくないなと気が付き、やはり初心にかえって「ザ大衆食」のサイトを充実させようと思ったのだが、なにしろ2002年の4月から、ちゃんとしたツリーのシステム構築なんぞ考えずに、思い付きの成り行きのクリック地獄でやってきたものだから、もうゴチャゴチャしすぎてどこから手を付けてよいやら状態だった。

めんどうだから放り出したり、またやってみたり、いじっているうちに、どうやら突破口が見えてきた。とりあえず、「ザ大衆食」の中の「ヨッ大衆食堂」のページだけは、トップからリンクをたどれるようにし、それぞれの大衆食堂までにいたる中間の「もくじ」にあたるところまでは、整理がついた。と、自分では思っている。

あとは、それぞれの大衆食堂のページをつくり、もくじとリンクでつなげばよいのだ。

しかし、しばらくのあいだブログにチョチョッと書いては、サイトの方は放っておいたから、ずいぶんたくさんの大衆食堂のページをつくらなくてはならない。

おれは蒐集癖はないし、大衆食堂全国制覇!なんてことは趣味じゃないから、成り行きで入った食堂ばかりだが、それでも、「もくじ」を見てもらえばわかるが、東京新聞の連載が7年も続いたりで、なんだかんだけっこうな量になった。

これを、アーカイブスとして活用できるようにすればよいのだが、そこまでする意欲も根性もない。

ま、でも、作業はすすめやすくなったから、コツコツやるとしよう。

しかし、これ、「ヨッ大衆食堂」のコーナーだけなんだよなあ。まだほかに4つもコーナーがあるし。

生きているうちにやれるのか。

それにしても、すいぶんたくさんの大衆食堂がなくなった。でも、ほかの壊滅状態の物販の小規模経営店に比べたら、よく残っているともいえる。

こちら、ご覧ください、クリック地獄!

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2019/11/03

『台灣漬 二十四節気の保存食』(種好設計著、光瀬憲子訳、翔泳社)で暮らしを考える。

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「レシピ本」という括りにはおさまらない良書だと思う。

正直なところ、いただいたときは、「ああ、また、例のアレね」と思ったのは、帯に松浦弥太郎さんの例の言葉があって、帯の背には「台湾の丁寧な暮らし」とあったからだ。表紙も、ソレっぽいし。

が、パラパラみていくと、ちがう。それこそ、「丁寧」に読みたくなって、じっくりしみじみ浸ってしまった。

二十四節気というのは、かつて日本の暮らしの中にも色濃くあった、いわゆる旧暦に従った暮らしだ。戦後「西暦」といわれるグレゴリウス暦が、すみずみにまで一般的になっても、1960年前後までは、おれの周囲では「旧正月」を祝う風習も姿を少し変えながらもあったし、どこの家庭にもあった「日めくり」には、旧暦の日付が併記されていたし二十四節気に従った生活の言葉などが印刷されていた。

おれの体験では1950年代後半ごろまでは、節句のほかに節気に従ってチョイとしたハレの気分の食事があった。といっても、モチ米を使った餅や餅菓子の類が多かったのだが、「ハレ」は旧暦の行事食の日だったのだ。いまでも、「小寒」「大寒」「立春」など言葉としては残っているが、食の方まではどうだろうか。

それは、見方によっては「農村的暮し」だったといえる。「農村的暮し」と見ていること自体を考え直し、イマを生きる「人間として」の生き方と、食べることや食べ物との関係の中に位置付け直す必要があるのではないかと思っている。そのためにも、この本は、思想レベルから保存食のハウツーレベルまで、たくさんの示唆に富んでいる。

これを、「台湾の丁寧な暮らし」としたのは日本人の側であり、そういう概念でとらえる日本人は少なくないだろう。しかし、この本の内容自体は「丁寧な暮らし」を謳っているわけではない。伝統回帰や自然回帰でもないし、「上質主義」でもない。もちろん、松浦弥太郎さんの思想ともちがう。読後、そこにあるギャップは、なかなか興味深いなあと思ったのだが、それはさておき。

著者プロフィールを見ると、「種好設計」は、「台湾のデザイン事務所。グラフィックデザイン、WEBデザイン、プロダクトデザインなどを手掛けるほか、体験をデザインする「ストーリーテリングデザイン」を提供」とある。この、「体験をデザインする「ストーリーテリングデザイン」を提供」ってのが、大いに気になった。

おそらく、この本も、先人たちの体験を「ストーリーテリングデザイン」したものではないかと思われる。そのことによって、先人の暮しの知恵は、かつてとは環境も生活も異なるイマに生きていくことが可能になる。

たとえば、保存食について「美味しさの蓄積。/新しい発見。/そして/変化という知恵。」と述べる。

保存食というと、とかく観光地の土産物の漬物のような古色蒼然としたイメージが漂うが、そうではない。新しい生が吹き込まれ生き生きとしている。

「暮しの知恵」は、とかく「ハウツー」に矮小化されがちだけど、この本は、もっと深いというか、ハウツーの背後にある普遍のレベル、宇宙に生きる生物としての人間の暮らしから考え、ハウツーと連動している。だから現代の暮らしの中にもデザイン化されるのだ。

たとえば、「立秋」の項は、「干しブロッコリー+干しキャベツ+干しサヤインゲン+干し筍+芥子菜漬け」であり、その立秋の暮らしを語る文章には、「太陽さえあれば」のタイトルで次のような言葉がある。

「万物は水から生まれたと言われますが/一方で水は万物を腐らせるとも言われます」

干し物の「宇宙観」とでもいうか、「料理」はつきつめれば水分のコントロールに至るわけで、それは、人間も食材も宇宙の生物として存在しているということに深く関係する。

おれは、この言葉から、按田優子さんの『たすかる料理』(リトルモア)の中の言葉を思い出した。それは「おかず 乾物と漬物に助けられる」の「乾物」の項にある。

「冷蔵庫が普及していなかった昔から、農作物は、時期が来たら収穫してその後すぐに加工して保存されてきました」と書き出し、「思えば料理に使う食材の大部分は、保存状態からスタートするのです。世界中の料理に共通点があるとしたら、だいたいの料理が塩で味つけることと、スタートラインが乾物や漬物だということなのでは? と思っています」

また、たとえば、「春分」の「古干し大根」の項では、「時間がもたらすもの」というタイトルで、「大根はお酒と同じように/古くなるほど香りが増し、旨味も増します。/これこそが、時間のもたらす価値。/急いでも、できることではないのです」

時間がもたらす価値、それに空間がもたらす価値を、どうとらえるかで、生き方も暮しと料理も変わってくるのだ。

とはいえ、おれは、この本を読んで、ただちに保存食に取り組み「丁寧な暮らし」をするつもりはない。まず、民俗誌あるいは生活誌あるいは食物誌としてこれを読んだ。のびのびとした暮らしの在り方を考えた。

おれのような怠け者は考えるだけで、やろうとしない。だけど、すぐやってみたいものが一つあった。「寒露」にある「丸鯵の醤油炒め」ってやつだ。正確には、丸鰺を炒め、保存するのだ。小さな鯵が山盛り安く売っていると買って、揚げたり、南蛮漬けがせいぜいだったが、これは保存して料理に使える。

マメな人は、もっとたくさんやってみたくなることだろう。

「作り方」の説明は、日本の一般的な料理レシピのように「丁寧」ではない。作り方を読んで、想像はつくが、作り方がよくわからないものもある。それぐらいがいい、だいたい日本の料理本のレシピは細かすぎるし、それに頼る人が多すぎるのではないか。

翻訳の光瀬憲子さんは、台湾と日本の両方の文化に造詣が深くなくてはできない、いい仕事をしている。以前このブログでも他の著書を紹介したことがある、こちら。
2014/07/05
台湾にもある大衆食堂パラダイス。光瀬憲子『台湾一周!安旨食堂の旅』は快著だ!
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2014/07/post-d270.html

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