産業化と市場化、「かんだ食堂」など閉店の事情。
前のエントリーは5日だったが、その翌日6日、リニューアル仕立ての「ヨッ大衆食堂」のコーナーに「かんだ食堂」をアップした。
そこに書いたように、かんだ食堂は、昨年の3月18日に閉店した。ビルオーナーがビルを売却したことにともなう退去閉店だ。ビルは取り壊され「再開発」される。
http://entetsu.c.ooco.jp/00_syokudou/syokudou_tokyo/akihabara_kanda_syokudou.htm
たしか、かんだ食堂は、この近くで開業し、このビルができた1959年にここに移転したはずだ。4階建てのビルも老朽化しているが、古い中小のビルは耐震構造の問題もあり、建て替えか売却かの選択をせまられている背景はある。
そうであったとしても、中小のビルオーナーの選択肢は限られているし、店子の小規模経営者の選択肢など「無い」にひとしい。
東京は、オリンピックとオリンピック後をにらんでの「再開発」が活発だ。また、いつか通った道が繰り返されいるのだが、麻薬中毒のようにやめられない。
今年1月、拙著『大衆食堂の研究』にも登場した大正7(1918)年開業の、笹塚の常盤食堂が閉店した。店主夫妻の高齢化と後継者がいないことによる。
知っている限り、年内閉店予定の大衆食堂がもう一軒ある。昭和20年代の開業、店主が高齢もあるが、直接には道路拡張のために建物が取り壊されるためだ。この道路拡張は、以前から計画としてあったものがオリンピックを理由に実施された。
小規模経営の大衆食堂は、産業化や市場化の「圏外」に位置していた。いわゆる「生業店」であり、その空間は、近代合理主義的なマネジメントやマーケティングの影響が少ない、生活的存在だった。
そういう小規模経営が街角から消え、生活的空間だったところは産業と市場に組み込まれ、近代合理主義的なマネジメントやマーケティングが支配するところとなる。これが、とくに1980年代以降の「再開発」といわれるものだった。
東京の消費者は、こういう「再開発」に、すっかり飼いならされた感じもある。街は、キレイにスタイリッシュになるし、とても便利、と、失われたこと排除されたこと、その先に何があるか、といったことについては目をつぶり、快適で愉快なことだけを見て過ごす。これも、麻薬的効果か。
いまここにあげた三つの食堂は、経営に行き詰まっていたわけではない。かんだ食堂は、大にぎわいだったし、常盤食堂などはそこより駅に近いほうにチェーン店が何軒かできても生き残ってきたし、年内閉店予定の食堂も駅から10分以上離れていても生き延びてきた。統計はないが、1980年代以降の大衆食堂の閉店は、再開発と後継者難によるものが多いと思う。
世間的には、産業化と市場化が資金力にものをいわせ圧倒しているようだし、産業や市場サイドからの情報が圧倒しているから、小さな生業店などは経営能力も低いのだからなくなって当然という見方もある。
そのように見方や考え方まで産業的市場的になり、仕事の成果に直結する能力や技術などの評価だけが問われ、あるいは仕事の実績や成功を強調したりするが、「人間としてどうか」「暮らしとしてどうか」「街は誰のものか」なーんていう問いかけは、どうなるんだろうね、いいのかね。
とはいえ、産業化や市場化は、すべてを支配できるわけではない。そこが、おもしろい。
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