『台灣漬 二十四節気の保存食』(種好設計著、光瀬憲子訳、翔泳社)で暮らしを考える。
「レシピ本」という括りにはおさまらない良書だと思う。
正直なところ、いただいたときは、「ああ、また、例のアレね」と思ったのは、帯に松浦弥太郎さんの例の言葉があって、帯の背には「台湾の丁寧な暮らし」とあったからだ。表紙も、ソレっぽいし。
が、パラパラみていくと、ちがう。それこそ、「丁寧」に読みたくなって、じっくりしみじみ浸ってしまった。
二十四節気というのは、かつて日本の暮らしの中にも色濃くあった、いわゆる旧暦に従った暮らしだ。戦後「西暦」といわれるグレゴリウス暦が、すみずみにまで一般的になっても、1960年前後までは、おれの周囲では「旧正月」を祝う風習も姿を少し変えながらもあったし、どこの家庭にもあった「日めくり」には、旧暦の日付が併記されていたし二十四節気に従った生活の言葉などが印刷されていた。
おれの体験では1950年代後半ごろまでは、節句のほかに節気に従ってチョイとしたハレの気分の食事があった。といっても、モチ米を使った餅や餅菓子の類が多かったのだが、「ハレ」は旧暦の行事食の日だったのだ。いまでも、「小寒」「大寒」「立春」など言葉としては残っているが、食の方まではどうだろうか。
それは、見方によっては「農村的暮し」だったといえる。「農村的暮し」と見ていること自体を考え直し、イマを生きる「人間として」の生き方と、食べることや食べ物との関係の中に位置付け直す必要があるのではないかと思っている。そのためにも、この本は、思想レベルから保存食のハウツーレベルまで、たくさんの示唆に富んでいる。
これを、「台湾の丁寧な暮らし」としたのは日本人の側であり、そういう概念でとらえる日本人は少なくないだろう。しかし、この本の内容自体は「丁寧な暮らし」を謳っているわけではない。伝統回帰や自然回帰でもないし、「上質主義」でもない。もちろん、松浦弥太郎さんの思想ともちがう。読後、そこにあるギャップは、なかなか興味深いなあと思ったのだが、それはさておき。
著者プロフィールを見ると、「種好設計」は、「台湾のデザイン事務所。グラフィックデザイン、WEBデザイン、プロダクトデザインなどを手掛けるほか、体験をデザインする「ストーリーテリングデザイン」を提供」とある。この、「体験をデザインする「ストーリーテリングデザイン」を提供」ってのが、大いに気になった。
おそらく、この本も、先人たちの体験を「ストーリーテリングデザイン」したものではないかと思われる。そのことによって、先人の暮しの知恵は、かつてとは環境も生活も異なるイマに生きていくことが可能になる。
たとえば、保存食について「美味しさの蓄積。/新しい発見。/そして/変化という知恵。」と述べる。
保存食というと、とかく観光地の土産物の漬物のような古色蒼然としたイメージが漂うが、そうではない。新しい生が吹き込まれ生き生きとしている。
「暮しの知恵」は、とかく「ハウツー」に矮小化されがちだけど、この本は、もっと深いというか、ハウツーの背後にある普遍のレベル、宇宙に生きる生物としての人間の暮らしから考え、ハウツーと連動している。だから現代の暮らしの中にもデザイン化されるのだ。
たとえば、「立秋」の項は、「干しブロッコリー+干しキャベツ+干しサヤインゲン+干し筍+芥子菜漬け」であり、その立秋の暮らしを語る文章には、「太陽さえあれば」のタイトルで次のような言葉がある。
「万物は水から生まれたと言われますが/一方で水は万物を腐らせるとも言われます」
干し物の「宇宙観」とでもいうか、「料理」はつきつめれば水分のコントロールに至るわけで、それは、人間も食材も宇宙の生物として存在しているということに深く関係する。
おれは、この言葉から、按田優子さんの『たすかる料理』(リトルモア)の中の言葉を思い出した。それは「おかず 乾物と漬物に助けられる」の「乾物」の項にある。
「冷蔵庫が普及していなかった昔から、農作物は、時期が来たら収穫してその後すぐに加工して保存されてきました」と書き出し、「思えば料理に使う食材の大部分は、保存状態からスタートするのです。世界中の料理に共通点があるとしたら、だいたいの料理が塩で味つけることと、スタートラインが乾物や漬物だということなのでは? と思っています」
また、たとえば、「春分」の「古干し大根」の項では、「時間がもたらすもの」というタイトルで、「大根はお酒と同じように/古くなるほど香りが増し、旨味も増します。/これこそが、時間のもたらす価値。/急いでも、できることではないのです」
時間がもたらす価値、それに空間がもたらす価値を、どうとらえるかで、生き方も暮しと料理も変わってくるのだ。
とはいえ、おれは、この本を読んで、ただちに保存食に取り組み「丁寧な暮らし」をするつもりはない。まず、民俗誌あるいは生活誌あるいは食物誌としてこれを読んだ。のびのびとした暮らしの在り方を考えた。
おれのような怠け者は考えるだけで、やろうとしない。だけど、すぐやってみたいものが一つあった。「寒露」にある「丸鯵の醤油炒め」ってやつだ。正確には、丸鰺を炒め、保存するのだ。小さな鯵が山盛り安く売っていると買って、揚げたり、南蛮漬けがせいぜいだったが、これは保存して料理に使える。
マメな人は、もっとたくさんやってみたくなることだろう。
「作り方」の説明は、日本の一般的な料理レシピのように「丁寧」ではない。作り方を読んで、想像はつくが、作り方がよくわからないものもある。それぐらいがいい、だいたい日本の料理本のレシピは細かすぎるし、それに頼る人が多すぎるのではないか。
翻訳の光瀬憲子さんは、台湾と日本の両方の文化に造詣が深くなくてはできない、いい仕事をしている。以前このブログでも他の著書を紹介したことがある、こちら。
2014/07/05
台湾にもある大衆食堂パラダイス。光瀬憲子『台湾一周!安旨食堂の旅』は快著だ!
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2014/07/post-d270.html
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