五十嵐泰正さんの『上野新論 変わりゆく街、受け継がれる気質』(せりか書房)に帯文を書いた。
すでに書店に並んでいるようだけど、明日25日発行。
著者の五十嵐泰正さんというと、『みんなで決めた「安心」のかたち ポスト3・11の「地産地消」をさがした柏の一年』(亜紀書房2012年)『常磐線中心主義(ジョーバンセントリズム)』(河出書房新社2015年)『原発事故と「食」』(中公新書2018年)などのイメージだろうけど、本職?は、筑波大学大学院人文社会科学研究科准教授という肩書の人で、専門は「都市社会学」であり、長い年月「上野」と関わり「上野の研究」をしていたのだ。
おれが五十嵐さんと初めて会ったのは2005年3月24日だった。上野に関係することで、上野で会ったのだ。
そのときすでに五十嵐さんは「グローバル化時代における上野を中心とした「下町」地域のまちづくりについて」の研究に取り組んでいて、本書にも加筆修正収録されている「グローバル化の中の「下町」」や「池波正太郎の「下町」」などを発表されていた。
その後も、『戦後日本スタディーズ③「80・90」年代』(紀伊国屋書店2008年)『多文化社会の〈文化〉を問う 共生/コミュニティ/メディア』(青弓社2010年)などに、本書にも加筆修正収録されている論文が発表された。
それらを、五十嵐さんに頂戴したり自分で買ったりして読んでいた。このブログに感想も書いている。これが、「論文」とはいえ、すごく面白い。はやく一冊の本にならないかな~と、待ちに待った。そして、やっと、できた。
うれしい~。
あまりによろこんで舞い上がり、五十嵐さんから帯文を書いてほしいとの依頼があったとき、よく考えもせず引き受けてしまった。
あとでよく考えたら、五十嵐さんのまわりには、もっとすごい人たちがたくさんいるのだ。一緒に帯文を書いている本橋信宏さんのように話題の有名人もいる。なのに。
ただのフリーライターで門外漢のド素人でネームバリューもないおれが帯文を書くなんて恐れ多い。と、ちょっとだけ思ったが、おれのようなものに帯文を頼むなんて五十嵐さんらしくてよいかなと思い、グイッと書いた。入れ込みすぎてリクツっぽく長くなってしまった。
おれたちは、世間に広く通用している「紋切り型」にはまりやすい。自分だけはそうじゃないと思いながらはまっている。五十嵐さんの著作は、そのあたりを事実を積み上げながらやわらかく壊して、異なる人たちが共に考える方向を示してくれる。そこが魅力だと思う。
その魅力の核心部分を一つあげれば、「いい加減を鍛える」だ。
上野や街や東京や都市や、あるいは池波正太郎や「下町」などに関する「紋切り型」は、「食」に関する「紋切り型」とも地続きなのだ。ということに気付く。
この本を読んで、分断を促進する「紋切り型」を捨て、いい加減を鍛えよう。社会とは好きでもないやつと暮らすところなのだから。
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