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2019/12/16

最近の「入谷コピー文庫」と堀内さんのこと。

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知る人ぞ知る「入谷コピー文庫」、創刊はいつだったかなあ、2005年のようだ。ブログの2005/09/15「入谷コピー文庫と谷よしのと女中のウダウダ」に、こう書いている。

https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2005/09/post_3212.html
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入谷コピー文庫、聞いたことないだろう。編集発行、堀内家内工業、知らんだろう。

テーマは筆者の自由で、A4サイズ10枚以上30枚以下で原稿を仕上げ、堀内家内工業に渡すと、それを15部だったか17部だったかコピー製本して配布するという仕組みだ。「30枚以下」と決めてあるのは、それ以上だと「ホッチキスの針が通りませんので」ということなのだな。

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できあがった10数部は、発行人の堀内家内工業に選ばれたものたちの手元に届く。もちろん郵送料も含め、無料だ。おれも何度か書いているし、『大衆めし 激動の戦後史』に収録の「生活料理と「野菜炒め」考」は、入谷コピー文庫が初出で、その時のタイトルは「現代日本料理●「野菜炒め」考」だ。

身銭をきってのこの堀内家の所業、堀内さんがリッチな人なら道楽にすぎないのだろうが、どうだろうか。堀内さんはおれのことを「ビンボーを背中にしょった不器用さ」というけど、彼のビンボーもおれといい勝負なのであり、いや、おれは彼の方がビンボーで不器用と思っているが(なにしろ彼は、おれよりかなり若いのに手紙と固定電話以外の通信手段がない。ブログなどは図書館のインタネットを利用して見ているようだ)、とはいえ、どっちがよりビンボーかを争ってもツマラナイのであり、ようするに二人とも不器用なビンボーであり、おれはただの貧乏人だが、こんな所業を続けている堀内さんは「編集者の鏡」であり「出版人の鏡」なのだ。いや、そういう「職業的」な存在以上に、「人間の鏡」だろう。こういう人こそ「人間の鏡」とよんでいい。

この「入谷コピー文庫」、「知る人ぞ知る」と書いたが、おれは有名人をあげて権威づけるようなことは嫌いなのであげないし、そういう不器用者であるのだが、こんなのたかがコピーをホッチキスでとめた貧乏くさい冊子じゃねえかという姿からは想像できないだろう、とんでもなく有名人のファンがいる。だから、おれのような有名人でも、たまーにしか届かない。

最近届いた2019年10月1日発行の『勝手に忌野清志郎語録』は通刊119号であり、2019年12月3日発行の『みーんなの言葉』は通刊123号だ。つまり10月1日から12月3日のあいだに、4冊も発行していて、おれが頂戴できたのは2冊。

忌野清志郎。おれは、あまり自分の好みや正しさや趣味のよさを吹聴する方ではなく、そういう不器用者であるのだが、忌野清志郎は、けっこう好きであり、ブログにもたまーにそっと静かに清志郎のことを書いていた。だから堀内さんは、これを送ってくれたのだろう。

ロックもパンクもわからねえが、忌野清志郎の言葉は響く。ついでが、清志郎とどっちこっち言えないほど好きなのが峯田和伸だ。カラオケじゃ清志郎の歌はうたったことがないが、「銀杏BOYZの青春時代」は、よくうたったね。もうトシだから、カラオケには行かないけど。

そうそう、それで、最新の123号『みーんなの言葉』は、第一章「生まれけむ」、第二章「生き切るには」、第三章「生きてこそ」であり、この章立てからも、堀内さんの優れた才能がわかるだろう。

この第二章に、おれのオコトバが選ばれていて、だから送られてきたものらしい。そのオコトバは、こうだ。

「政治に限らない、「世のため人のため」を笠に、何かの中心に立ちたい、注目されたい、自分の名や生きた証を残したいなんて野心は、ろくでもないことを残す」

これ、どこに書いたか覚えがなく、ブログを検索してみたが見つからない。もしかしたら四月と十月文庫『理解フノー』かなと思うのだが、もうトシだから、と、なんでもトシのせいにして覚えていない。とにかく、いつも思っていることには違いない。ま、何かの中心に立つことも、注目されることもないのだが、その気もない。

「身を立てる」だの、「世に出る」だのなんて、とくに明治政府が鼓舞して続いている立身出世の封建思想であり、いまどきの「新自由主義」とは相性がよいようで、「自己責任論」と共に大通りで大手をふっているが、そういう思想は、ろくでもないことを残すことは、事例がありすぎて、目も当てられない。

ところで、同じ第二章に、車谷長吉の「小説を一篇書くことは人一人を殺すぐらいの気力がいる」という言葉があって、車谷長吉ならそうであろうと思って、笑って納得した。

「いい仕事のためにイノチをかける」ような言い方は腐るほどあって、腐っているが、「人一人を殺すぐらいの気力」で仕事をする人は、そうはいないだろうし、こういう言い方は車谷長吉のことだから真実味がある。

『勝手に忌野清志郎語録』の奥付に訃報の「ご挨拶」が載っていた。「8月8日に、母、堀内一子が他界しました。88歳でした。この号が堀内家内工業3人で作った最後の号となりました」とある。お悔やみ申し上げます。

東京で暮らしていた堀内恭さん夫妻が、病の父母がいる高知の実家へ介助や介護のために通うようになり、高知で過ごすことが多くなったのは、いつからだったか。もう10年以上たっているのではないか。

最初は、母の一子さんが病の床につき、付き添っていた父も病になり、そして父の方が先に逝かれた、と記憶している。なんにせよ大変な日常が続いていたのであり、堀内さんの身体の状態も悪くなり、その様子は『勝手に忌野清志郎語録』で堀内さんが書いている「はじめに 痛みと希望」からも、ひしひし伝わってくる。

なのに、このように入谷コピー文庫を発行し続けている。

「なのに」ではなく、「だから」かもしれないが。

どのみちおれのようなズボラな怠け者には、逆立ちしてもできないことだし、ちょっとでもやる気がしないことだ。ただ、「入谷コピー文庫」と堀内さんは、希望であることは間違いない。

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