小正月。出足不調?
15日、昔なら「小正月」。いまでも「小正月」というが、都会では小正月の気分はない。
昔なら、というのは、おれがガキの頃だが、元旦から小正月を経て旧正月まで一か月ほどのあいだ「正月気分」だった。そのことは、四月と十月文庫『理解フノー』にちょっとだけ書いている。わが家の「正月気分」は、大人たちが集まってやる「かるたとり」つまり「百人一首」だった。
何か特別のことがあるわけではないし、特別のものを食べるわけではない。雪に閉じ込められた生活で食品は限られ動きはままならず、ひたすら餅を食べ続ける。子供たちは「かまくら」を掘り、その中で、やっぱり餅を焼いて食べる。
大きな行事といえば、「篝火」とよんでいたが、いわゆる「どんど焼き」で、これは小正月か旧正月の日で、神社によってやる日が違っていた。おれの町内の神社は小正月の日だった。
明治の終わり近くに同じ町内で生まれた父によれば、小正月の篝火は「左義長」ともいわれ、子供たちが左義長の唄をうたいながら町内をねり歩き神社に集まったという。という話をしながら、その唄を口ずさんでいたが、どんな唄だったか思いせない。
おれが子供の頃には、そういう左義長の風習はなくなっていたし、「左義長」という言葉も父以外から聞くことはなかった。一晩中火を絶やさない「篝火」だけが続いていた。
「かまくら」もおれ自身は10歳ぐらいからやらなくなったし、中学に入る頃には、町内ではほとんど見かけなくなった。そして、おれが高校を卒業する年、つまり1962年の旧正月に「雪まつり」をやるようになり、近年その会場で大人が主体で「かまくら」をやるようになったらしい。
それはそうと、今年は4日から3日間ほど風邪で寝ていた。風邪がごときで苦しくて床についたなんて、いつ以来か記憶にない。ここ20年ぐらいは、「風邪気味?」はあっても、それですんでいた。
なんとなく、ヨタヨタ離陸するオンボロ飛行機という感じか。コツコツ本の原稿を書く準備はすすんでいるが、まだエンジンがかかった感じはない。
| 固定リンク | 0