元旦、西日本新聞、北九州食堂物語のスタート。
2019/12/02
5年ぶりの北九州。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2019/12/post-6d6cf4.html
に書いた、昨年11月28日29日の北九州は、このためだった。
元旦の西日本新聞に、カラー見開きで「北九州食堂物語」が載っている。これは、3日から始まる連載「北九州食堂物語」の一回目。その左端に「遠藤哲夫さんと食べ歩き」の記事があり、おれが登場しているというわけなのだ。
「西日本新聞北九州本社です。北九州市の食堂にまつわる記事を発信したく考えております。その取材過程で、遠藤哲夫様の著書を読み大変感動しました」という連絡をいただいたのは、11月13日のことだった。
北九州市のPR誌『雲のうえ』5号「食堂特集」は、もう10年以上前のこと、2007年10月の発行で、おれは文を担当しているのだが、それをご覧になった記者さんから。
連載のスタートにあたっておれに登場してほしい、ついては北九州に来て、一緒に食堂をまわってもらえないかと。
最終的に、『雲のうえ』に掲載の食堂の中から、北九州の食堂の特徴を語りやすい「まんなおし食堂」と「赤ちゃん食堂」選び、それに、気になっていた若い人が始めた新しい「水玉食堂」を訪ねることにして出かけたのだった。
おれは食べ飲み、しゃべるだけ。記事は、担当の27歳の記者の方が書いてくれた。
まんなおし食堂も赤ちゃん食堂も、まったく変わることなく健在だ。水玉食堂には、若い力の可能性を感じた。変わらない力、変わる力、どちらも必要なのだ。
カンジンの「食堂物語」は、黒崎の「エビス屋昼夜食堂」が大きく載っている。かつて労働者の街として繁栄した黒崎、24時間営業の背景には三交代勤務が普通だった街の歴史がある。いまでは、寂しすぎるほど衰退しているが、街が終わっているわけではない。そこには働き生きる人びとがいるし、24時間営業の食堂も続いている。
24時間のルポ。テレビなら「密着ルポ」とか大げさに打ち出すだろう。時間帯によって、お客さんが変わる。お客さんが語る言葉から、この街や人びとの暮らしと歴史が浮かび上がる。
ひとや何かを指して「おわった」「おわっている」などと簡単に決めつけて、何者かになったつもりらしい評論家的な傾向があるが、たいがい光のあてかたが間違っているのだ。モノゴトを見えなくするだけだ。
むしろ、そこに一人でも生きている人がいるかぎり、何もおわってはいないという視点が必要なのではないか。そのことで、見方や考え方が磨かれ、可能性が開ける。
ネタになりにくい、「とるに足らない」とされた存在。いつもは新聞や雑誌などで話題にされることがない「地味な存在」。話題になるときはエンターテイメントな消費か負の語りにしかならない、そういうふうにパターンにはめられ色付けされてしまった。しかしそれですましてはいけない街や人びとの生きる姿が、ここにはある。
「食べること」から見える真実。
若い記者の取り組みに、大いに期待。
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