「とは何か」
「食生活」という言葉がしめすように、「生きる」と「食べる」と「食べ物」は、日常で切り離しがたく一体であるのに、80年代以降の中央の出版物やメディアではとくに、「食べ物」だけが切り離されて取り上げられる傾向が盛んだった。
それは、1982年の「おいしい生活」が象徴するような80年代ぐらいからの大きな流れになった、平和な暮らしも経済の発展も生活の質も「よりよい消費」からという思想と深い関係がある。
景気がよかろうが悪かろうが、「いいもの」「いいひと」「いい物語」を追いかけて、メディアの表層を覆った。まだ懲りずに続いているし、というか、ほかの方法が考えられなくなったのか。
そして、いま、新型コロナウイルスによって、「生きる」「食べる」「食べ物」が、世界的規模で同時に大きくゆれている。
こんなときだから、「生活」について、たくさん考えることがある。
すでに何度も書いているが、1970年代中頃に江原恵と「生活料理」にであって以来、「生活とは何か」×「料理とは何か」=「生活料理とは何か」にハマってしまった。
「とは何か」に正解が欲しいわけではない。正解は一つではないし、「とは何か」を問い続けることで見えてくることがある。それを積み重ねていくことで、「これから」の流れが育まれるのではないかという考えの、「とは何か」なのだ。
ほかにも、「近代日本食のスタンダードとは何か」とも言ったりしている。これも正解が欲しいわけじゃない。
「とは何か」を問い続けることで、ああでもないこうでもない、ああでもあるこうでもある、あれこれ考え、一緒の布袋に入れて吊るしておくと、したたり落ちるものがある。「垂れみそ」の原理のようだが。
迂遠のようでも、こうすることで、メディアの表層にあふれる、結論を急いで短絡した軽率で浅薄なオシャベリを回避することができるし、複雑な状況に対処する思考力が育つのだと思う。
ようするに、いつもどんなことも「日頃」の延長にあるのだから、「とは何か」を問い続ける「日頃」が大事ってことだ。
当ブログ関連
2015/06/10
「生活」とは、なんじゃらほい。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2015/06/post-7723.html
2007/04/05
1980年―81年の生活料理の幻
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2007/04/198081_9d29.html
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