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2020/04/11

「塩と食のお話」で「塩にぎり」。

「塩と暮らしを結ぶ運動公式サイト」の「塩と食のお話」のコーナーに寄稿した。
タイトルは「塩にぎり」。
https://www.shiotokurashi.com/shioaji/essay/71115

原稿の依頼があったのは、3月23日で、締め切りは31日だった。

23日頃には、患部が痛くてたまらず医者へ行こうと思っていた。でも1000字ぐらいなら書けるだろうと引き受けた。ちょうど「塩分」をめぐって近頃アレコレ気になることがあり、書きたいことがあった。

すでに書いたように27日には、大宮の町医者へ行き、30日の朝、その町医者から急いで精密検査を受けたほうがよいから総合病院を紹介するという電話があり、午後に紹介状をもらいに行き、帰ってからこの原稿を仕上げて送った。

「ざっくり「塩にまつわる話」」を書いてほしいという依頼だったので、それならこれにつきるね、というものを選んだ。

「塩分」をめぐって近頃アレコレ気になることには直接ふれてないが、とにかく「塩分」を「悪役」にした話しが大手をふっている状況は、あまりいい状態とはいえない。それは、だいたい栄養学や生理学からの一方的な見解によるもので、「塩分」にかぎらず、よくあることなのだが、文化論や生活論への配慮の一片もない。ってえわけで、文化や生活の視点から書いた。

たいがいのことがそうだが、「過剰」はよくないに決まっている。だけど、「丁度よい」とか「適切」つまり「いい塩梅」「いい加減」というのは、一律の基準で仕訳けられものだろうか。

東電原発事故以来、放射能問題をめぐって「エビデンス」という言葉がはやり病のように広がったが、「エビデンス」だけでは分断が深まるばかりで、解決にならないし、とても不機嫌な状態を生み出すという「実態」が残った。

それと似たようなことが、「塩分」をめぐってもあるように感じていた。

いままた新型肺炎コロナウイルスをめぐっても、似たような状況が生まれている。

あまり話を広げてしまうと混乱しちゃうから、「塩分」のことに絞れば、「塩分」が簡単に「悪役」になってしまうのは、いわゆる「食文化」の脆弱が関係するだろう。飲食の話は、にぎやかな割には、深そうでいて浅く、文化や生活の実になっていないということが少なくない。

ここ30年ほど盛んだった「いいもの」「うまいもの」を追いかけるのが「食文化」であるかのような浮ついた動向が、一方的な「エビデンス」の横暴を許しているという見方もできる。

もっと生活の実態に根差した文化から考えたい。という思いを込めて書いたのが本稿なのだ。

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