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2020/06/25

「近代」と「現代」。

昨日の橋本務は、「「ロスト近代」についてお話する前に、まずモダン(modern)とは何か、簡単におさらいしておきましょう」と、以下のように書いている。

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日本語では、モダンは「近代(的)」とも「現代(的)」とも訳され、使い分けられています。「近代」とは、封建社会から脱皮した資本主義社会(あるいは市民社会)、とりわけその商業-工業段階(産業社会)を指します。同時に、その社会の理想となる諸価値、科学・進歩・啓蒙・普遍などが流布していく過程を意味します。一方、「現代」とは、時代現象として捉えた場合の現在を意味し、同時に、現在の社会関係のなかに未来へ向かう進歩の一契機を見出して、それを時代の特徴とするものです。つまり、近代の諸価値を体現するものを「近代(的)」と呼び、また、評価の定まらない新しい社会現象については、「現代(的)」と呼んで使い分けているようです。
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「近代」と「現代」の違いが、わかりやすい。

おれがマーケティングの仕事(主に食品メーカーの)に就いた1970年代初頭は、まだ、「市場調査」というと「需要予測」が中心的な業務だった。

この「需要予測」は、60年代中頃までの、供給が需要を上回っている状態での考え方と方法が惰性的に続いていたといえるのだけど(業種によって違いがあったようだが)、すでに「生産過剰」と「マーケティングの革新」がいわれていて、「需要予測」の方法も含め、マーケティング全体が変わろうとしている最中だった。

73年のオイルショックを境に、マーケティングは激しく変わり続けた。川上(メーカー)志向から「川下(顧客)」志向へ、がいわれ、消費者の意識や嗜好、消費行動などが調査の中心になった。

消費者のニーズと商品の品質の追求、さらに「ニーズ(必要)」から「ウォンツ(欲求)」だのと、消費者とのコミュニケーションなどが中心的な課題になっていく。欲望を刺激し消費に駆り立てる。簡単にいってしまえば、「情報」のマーケティングってことなんだが。

つまり、それまでの「つくれば売れる」といわれた(実態はそれほど甘くはなかったけど)生産や製造が中心の「商業-工業段階(産業社会)」の「近代」とは異なるフェーズに突入したわけで、目まぐるしい変化のなかで、そのことを実感する日々だった。

橋本務が、70年代―1995年を「ポスト近代」としたことには、そういう体験も含め、すごく納得がいく。

ってことを、忘れないうちに書いておきたかったのだ。

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