これからの台所をおもしろくするには。
「カウンター・カルチャー」と食文化を考えている。
2020/07/09「サラダ。」に書いた津村喬の『ひとり暮らし料理の技術』を読み返しているうちに、いろいろなことが気になってきた。
この本は、1980年頃の、カウンター・カルチャー系のさまざまな思想潮流の影響がみられる。「身土不二」といった食養思想、その源流ともいえる東洋思想やインド思想を背景にした「気」や「ヨガ」あるいは「医食同源」など、多種多様なカルチャーがゴチャゴチャに絡み合いながら津村流に料理されていて、まさにあの当時のカウンター系のカルチャーの幕の内弁当のようでもあるのだ。
ただ、カウンター・カルチャーというと、「ヒッピー・カルチャー」がはずせないとおもうが、その影響はあまり色濃くは出ていないし、言及は少ない。本書のテーマからはあまり必要なことでもなかったとおもわれるし、津村の父は中国共産党と関係の深かったといわれる高野実であり、この本にも書かれているが、高野実が病気療養のため広州に滞在したとき付き添ったりもしていることなどもあってか、日本も含めた東洋の思想の比重が大きくなったのかもしれない。
それはどうでもよいのだが、やっぱりカウンター・カルチャーからヒッピーは、はずせないわけで、『スペクテイター』44号「ヒッピーの教科書」特集と、45号「日本のヒッピー・ムーヴメント」特集を読み直している。
この2冊はスペクテイター編集部の赤田祐一さんにいただいたのだが、まだこのブログで紹介してなかったようだ。
「ヒッピーの教科書」は、まさに入門教科書で、アメリカの源流からヒッピー誕生の歴史をまとめている。特徴的なのは、「ヒッピー前史」として、1945-1962年の「ビートゼネレーション」から説き起こしていることだ。ケルアックやギンズバーグ、ジョニス・ジョップリンなど、一般的にも知られている人びとも登場する。
そういえば、作者の名前を思い出せないが(もしかするとエド・マクベインだったか)、割と売れているアメリカの作家の推理小説に、ギンズバーグの詩が話題になる場面があって、そんなに広く読まれていたのかとおどろいたことがある。
「日本のヒッピー・ムーヴメント」のほうは、その歴史から関連人名辞典、用語の基礎知識、ムーヴメントを担った人びとの物語やインタヴューなどで構成されている。やはり、必須の入門書だ。
「ヒッピーの教科書」は、とくに食文化との関係はクローズアップされていないが、ヒッピー・カルチャーは70年代以降の日本の「自然食(オーガニック)」あるいは「マクロビオティックス」など、もっと直接的には「玄米食」など、こういった分野にさまざまな影響をおよぼしている。だけど、それらがファッションにまでなった割には、ヒッピー・カルチャーについては、影がうすくなるばかりだ。カルチャーの影響とは、そういう「知らず知らず」が少なくない。だからまた、こういう「教科書」を読んで、自分たちのカルチャーの足元を知ることが大切だとおもう。
「日本のヒッピー・ムーヴメント」には、西荻窪にあった「ほびっと村」の「たべものや」の中心人物、川内たみさんがインタヴューで登場している。当時の「タウン情報誌」などにも登場して知られていた店だが、この記事を読んで初めて「ほびっと村」と「たべものや」の関係や、「たべものや」を詳しく知ることができた。
80年前後から、いわゆる「無国籍料理(のちのエスニック料理など)」が勃興するのだけど、その担い手は、ヒッピー・カルチャーに染まっているか、いなくても何かしらの影響は見られた。たとえば、『スペクテイター』42号「新しい食堂」特集に登場する、「ウナカメ」の丸山伊太朗さんなど。
おれが1962年に上京してから、80年代前半は、ヒッピー・カルチャーの隆盛期だった。おれの周囲には、たえずそのあたりの人たちがいたが、おれは染まる「余裕」もない生活だったし、70年代は、ヒッピーと正反対のアメリカ風のマネジメントやマーケティングの手法で仕事をしていた。それでも当時は、カウンター・カルチャーのシャワーを浴びずに過ごすことは難しかった。
カウンター・カルチャーがあらゆる場面でニュースになっていたといってよく、当時の「若者文化」などは、それを抜きに語れないだろう。
70年代中頃、おれは江原恵と知りあって、彼の著作の支持者にカウンター・カルチャー系の人が多いことから、接触が多くなったし、「無国籍料理」の関係者とも付き合いがふえた。江原恵は、80年頃、津村喬とも交流があった。
そのあたりから、80年代の、「ヒッピー抜き」の、どちらかといえばサブ・カルチャーからメイン・カルチャー化しつつある、「オーガニック」や「マクロビオティックス」系との付き合いが深くなり、ついには90年頃、その渦中に飲みこまれそうなところまでいった。
その話は置いといて、「日本のヒッピー・ムーヴメント」には、「コミュ―ンは僕らの学校だった」という神崎夢現の寄稿があって、こう述べている。
「コミューン運動を、過激な左翼運動の末路と言い切ることは簡単かもしれないが、エコロジーやヘルス・ケア&フィットネスなど、時代を先取り、形を変えて我々の様々な生活に影響を与えていることは否定できない」
このあと「しかし、都市に生きる人々からは表情が失われ、人間性だけは、以前より増して奪われている。この状況を破る鍵はどこにあるのだろうか?」という文が続いているのだが。
とにかく、ほかにも、いまでは普通になった「シェア」「フリーマーケット」「ワークショップ」など、そうそう人差し指と中指の「Vサイン」、ヒッピー・ムーヴメントゆかりのものがけっこうある。先鋭化した左翼政治運動だけが大きな事件としてマスコミをにぎわしたこともあって突出して語られ、偏見もあるが、生活や文化の面では、左翼政治運動の衰退と反比例するように広がった。
70年代から始まる「ポスト近代」の80年代は、カウンター・カルチャーを含むサブ・カルチャーが現代資本主義のマーケティングに編成されていく過程でもあり、その結果、神崎夢現が指摘するような状況が生まれたといえるだろう。
だけど、立ち止まって、いまの暮らしを「ヒトとしてどうか?」と考えてみると、ヒッピー・カルチャーのなかに、「鍵」となる手がかりが見えてくる気がしている。とくに、この2冊の『スペクテイター』と津村喬の『ひとり暮らし料理の技術』を読み返したあとは。
近年(95年以降の「ロスト近代」)は、「ベジ志向」といってよいか、それから「発酵」や「南インド料理」などの「ブーム」が顕著だし。もちろん、ただトレンドを追うマーケティングとしてカバーしている人たちも多いからこそ「ブーム」なのだろうけど、そこまでいたった土台には、ヒッピー・カルチャーが存在するのは間違いない。
エコロジーなどは、もはや、「エコ」などといわれ、最近の「レジ袋有料化」のように、亜流や曲解が生まれるほど定着している。そこにカウンター・カルチャーやヒッピー・ムーヴメントを見る人は、ほとんどいなくなったといってよいほど一般化した。
「食文化」も、そんなふうなぐあいなんだが、やっぱり、こうまで「雑種化」がすすむ日本の食文化は、かなりおもしろい。この「雑種性」は、不安的で複雑化する現代を生き抜く日本の食文化の可能性であり、その可能性は、カウンター・カルチャーやヒッピー・カルチャーにある。なーんてことで、台所をおもしろくできないかなあとおもっている。
台所の可能性、台所からの可能性、の追求だ。「家庭料理」だの「男」だの「女」だのは、のり超えての可能性。
そりゃそうと、「日本のヒッピー・ムーヴメント」の「ヒッピー用語の基礎知識」には、「はらっぱまつり」があって、「正式名称は”武蔵野はらっぱ祭り”。東京・小金井市にある都立武蔵野公園の通称”くじら山”地区で、三十年前から毎年秋に市民有志によって行われ続けている」との解説ついている。泉昌之か久住昌之の作品に、この祭りが登場する漫画があったとおもうのだが、おもいだせない。
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