サラダ。
”「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日”
280万部ごえのベストセラーになった俵万智の第1歌集『サラダ記念日』で歌われたおかげで、7月6日は「サラダの日」といわれるほどになったらしい。
この本は、1987年5月の発行だった。
いまでは、サラダは、コンビニでも欠かせない主力商品だけど、その位置を占めたのは1980年代のことだ。
そのころおれは、大手コンビニチェーンの関東地区本部のマーケティングに関わる仕事をしていたのだが、80年代半ばぐらいから、商品としてのサラダが急成長した記憶がある。
その「サラダ」は、昔からあるポテトサラダやマカロニサラダのイメージではなく、生野菜を中心としたもので、「サラダ」といえば生野菜のイメージが一般的になっていくのだが。
サラダ市場が急成長した一つの要因は、20代の若い男たちが、「健康」や「おしゃれ」を意識して、食べるようになったことがあげられる。
この歌は、そういう背景があってのことだし、また、この歌のおかげで、サラダは日常の普通の景色になり、「文化」としての位置を固めたともいえる。
それまでサラダは、主には添え物であり、家庭でも外食でも「洋食」の皿に一緒に盛られているていどだった。あるいは小鉢ぐらいの扱いだった。サラダが別盛りの一皿になるような、いわゆる「西洋料理」は、一般庶民にとっては日常ではなかった。
若い男がサラダをムシャムシャ食べだしたころ、流行に鈍感な中高年の男の中には、そんなものは女の食うもんだろ、という感覚があった。こういうおれも、そんなものは女の食うもんだろ、とまではおもわないまでも、違和感をかんじてはいた。馴染みがない風景だったのだ。
いや、当の若い男でも、おれのチームにもいたが、ちょっとテレながら「身体にいいから」といいわけじみたことをいいながら、コンビニで買ったサラダボールをオフイスのデスクで食べていた。
サラダ単独を一つの器でムシャムシャ食べたり、サラダに「この味がいいね」なんてことは、この頃からなのだ。
その背景には、いろいろなことがからんでいるのだが、70年代からの「ポスト近代」の流れとしてみることができそうだ。
先月17日、津村喬が亡くなった。
彼の著作のなかで最も売れたし、影響力もあった、『ひとり暮らし料理の技術』は、1977年12月に風濤社から刊行され、その後、風濤社は倒産し、1980年7月野草社から発行された。
「サラダ変幻」という項で、著者は、こう述べている。
「福沢諭吉以来、健康食といえば牛肉ということで近代化が進んで来たが、高度成長に限界のみえてきた七〇年代には、ローカロリーのアルカリ食といったことがむしろ価値ある食物になってきた。サラダ文化というのもここから生まれた」
この視点は、単なる観念的な健康志向によるサラダのとらえかたと違い、なかなかおもしろい。
津村は、当時のレッテル貼りにしたがえば、「反体制」「左翼」「毛沢東主義」あるいは「カウンターカルチャー」といったことになるようだ。
実際に、著書でも、「食の自主管理」「〈根拠地〉としての台所」といったぐあいに、反体制活動家が好んで使った「自主管理」「根拠地」といった言葉が登場し、「ひからびた都会のジャングルの中で、本当の意味で自律的に自活していこうとすることは、ひとつの闘いだ。ひとりひとり、ゲリラ的に、自分の責任ではじめるしかないことだ」と、自炊をよびかけている。
食文化戦線においてゲリラ戦を展開する、チェ・ゲバラや毛沢東といったかんじが……なんておもうのは、おれのような年代だけか。津村は、おれより5歳若い1948年生まれ、いわゆる「団塊の世代」だ。
だけど、レッテル貼りして片づけられるほど、薄っぺらな内容ではない。
といった話をしていると長くなるからやめよう。
以前、書評のメルマガで「食の本つまみぐい」を連載していたときにこの本を紹介した。
http://entetsu.c.ooco.jp/siryo/syohyou_mailmaga389.htm
「食文化史的にみると、料理を生活の技術とする視点からの著述は歴史が浅く、1974年に『庖丁文化論』を出版した江原恵さん以後」は、と、この本などを上げている。
「自分の食生活を自分でうちたてていく見通しも努力もなしに、この都会が与えてくれるままの食物を受け入れるままになっていくとしたら、それはおそろしいことだ。食べるということは生活の基本であり、当然に文化の機軸だ」は、いまも変わらない、まっとうな考えだろう。
「自主管理」があってこそ、外食もいいものになるのだ、ともいっている。
津村の訃報にふれて、この本を本棚から取り出して見た。書評を書いたときには自分の未熟さから見落としていたことが少なくないことに気づいた。
現代の日本の食文化は、サラダ一つとっても、複雑な層をなしている。その深層を考えるときに、はずせない本だ。とりわけ、生活の視点からは。
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