鈴木常吉さんの訃報。
昨日、常さんが亡くなったらしいという電話をもらい、驚いてツイッターを見たら、「鈴木常吉Suzuki Tsunekichi STAFF」のアカウントに「報告」があった。
【報告】かねてより食道がんの病気療養中でした鈴木常吉は令和2年7月6日に自宅より天国へ旅立ちました。
あまりに突然だったことと、社会状況が大変であったこともあり、
お知らせが遅れましたこと心よりお詫び申し上げます。
家族葬を滞りなく相済ませ、鈴木も今はSTAY HOMEいたしております。(続く)
生前様々な方より賜りましたご厚誼、また音楽を愛して下さった皆様へ厚く御礼申し上げます。
お世話になりました。
今後とも変わらぬご厚情をいただけますと幸いです。
snsでのご報告になりましたこと、お赦し下さいませ。
ありがとうございました。
ご連絡はこちらのDMにて対応させていただきます。
午後0:55 · 2020年7月27日
相互フォローしている常さんのアカウントを見たら、7月2日のリツイートが最後で止まっていた。あまりこまめにツイッターをチェックしてなかったので、気が付かなかった。
声がでない。なんだかじっとしていられなくて、とりあえず散歩に出て、一歩きしたら少し落ち着いた。
昨年6月、常さんが歌う「さびしい時には」を作詞した中原蒼二さんが癌で亡くなり、その知らせを常さんとメールでやりとりした。
その少し前に、北浦和の居酒屋ちどりへ常さんのワンマンライブに行き、中原さんがもう長くないことを話し、亡くなったら知らせると約束していた。常さんは、いつものように飲み、歌い、酔っ払い、元気そのものだった。
それから約1年ほどで、こんどは常さんが、しかも癌でなくなったのだ。
中原さん69歳、常さん65歳。
2人ともおれより若いのに。
ほんとうに、さびしいよ~。
昨日は常さんのCDを聴いていた。もちろん、「さびしい時には」も。
ユーチューブの「さびしい時には」
https://www.youtube.com/watch?v=XQUHKpPuzZg
この歌のキッカケになる妙な出会いがあったのは、09年のことだったか。あるいは10年だったかもしれない。
そのときのことは、
2019/07/01「中原蒼二さんが亡くなった。」に書いた。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2019/07/post-0006a0.html
常さんのライブに初めて行ったのは、2000年頃だったのではないかとおもう。荻窪か西荻窪のライブハウスで、鈴木翁二さんほか何人かのミュージシャンが出演した。
ワンマンは、 ネット上での「さびしい時には」の出会いがあったあと、当時浦和にあった「クークーバード」でだった。その時、リアルで初めて挨拶をかわした。
クークーバードが北浦和に移転し、オーナーが実家の家業を継ぐため交代し「居酒屋ちどり」に名をあらためたが、そのあいだにも常さんのライブが何度もあり、なるべく都合つけては行った。
津村記久子の作品を読むようになってから、常さんのうたと津村記久子の小説は、なんだか共通するものがあるような気がしていた。
小さな、ささいなことを、じわじわっとうたいあげる、というか。派手さはなく、じわっとくるクライマックスだ。
常さんは、『大衆食堂パラダイス』や『大衆めし 激動の戦後史』を買ってくれていて、感想をいってくれた。
「大衆食堂のせがれがいるから教えてやったら、読んで面白がっていたよ」てなこともいった。その「せがれ」とはAZUMIさんのことで、彼も居酒屋ちどりでライブをやるので、聴きに行くようになった。
常さんは、千住のほうの肉屋のせがれで、時々、実家の話をした。
ライブを追っかけるほど熱心なファンではなかったし、そんなに付き合いがあったわけじゃないが、いろいろ思いだされる。
さびしい、かなしい。
ま、おれもステージ4だから、ほんの少し遅れをとっているだけだ。でも、遅れをとっているだけで、さびしい、かなしい思いをしなくてはならないなんて、理不尽のような気もするなあ。てのは、生きている者の身勝手だね。
常さんは、たしか「自宅入院」する前だったか、ツイッターで「死にたくないなあ」とつぶやいていたことがあった。ごめんよ、常さん、中原さん、おれより先に逝かせてしまって。
どうか安らかにおやすみください。
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