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2020/08/26

やっぱりリストは面白い。『本のリストの本』(創元社)。

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この奥付の発行日が8月30日の本は、南陀楼綾繁さんからいただいた。3日ほど前に届いたのだが、すでに本屋に並んでいるらしい。

南陀楼さんは、共著者の一人であり、ほかの共著者は、書物蔵さん、鈴木潤さん、林哲夫さん、正木香子さん、のみなさんだ。

林哲夫さん以外は存じ上げないのだが、帯には「本を愛してやまない五人の著者が、「本のリスト」をめぐってそれぞれに文章を寄せたエッセイ集」とある。

これは面白い。

面白くて、そういえば、おれは「リスト」を見るのが好きだったのだと思い出した。「思い出した」ぐらいだったから忘れていたのであり、そのていどの「好き」であり、南陀楼さんやこの本の著者のみなさんのように「変態」と称賛したいほど「好き」なわけじゃない。

だけど、この本の「リスト」を見てコーフンしたし、やっぱり、リストは面白いな~、と思う。

いくら見ていても、飽きない。

飽きないのは、リストだからだ。

たとえば、本屋の棚で本のタイトルを見て、面白ソ~と思って、手に取ってパラパラ見たら、ナーンダというようなことがあるでしょ。タイトルだけなら興味をひかれるのに。

このタイトルだけが並んでいるだけの(つまり本屋の棚はそういうものだけど)価値、リストの面白さは、中身を知らない面白さ、勝手にイメージする面白さではないかと思う。

勝手にイメージできるから、飽きないのだ。積み木を、いろいろにこねくりまわして楽しむように。

食堂の「当店で提供できる料理のリスト」も、そういう楽しみがある。

と、おれは思っているのだが、この本には著者のみなさんのエッセイがあっても、それを読まずに、いくつものテーマに分けられて載っている本のタイトルのリストを見ているだけでも、飽きない。

いや、そのテーマのリストだけでも面白い。

「名曲喫茶に積まれていた本のリスト」
「マンガの中の本棚に描かれた本のリスト」
「子どもに媚びない絵本のリスト」
「調べ物をする人のための本のリスト」
「本好きの女性が手紙で注文した本のリスト」
などなど40本?のリストが。(こちらの目次を見てくださいよ→https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=4128

だいたい、「タイトルが同じ書体の本のリスト」なんてのがあるのだが、そういうふうに、本の中身など関係なく楽しめるのも、リスト、ならではだろう。

たとえば、この「タイトルが同じ書体の本のリスト」は、「タイトルに「食卓」という単語が含まれて、石井明朝体ニュースタイルが使われた本を集めてみた」というものだ。「石井明朝体」なんて知らねーよ。そのマニアックな変態ぶりに、楽しくなる。

南陀楼さんは、「はじめに」にあたる「リストから読書ははじまっている」で「本のリストを読む面白さは、とくに目的を持たずに本屋や図書館の棚を逍遥(しょうよう)しているときの気分に似ています」と書いている。そのとおりだと思う。

リストと同じようなものに「目録」がある。

おれは以前よく図書館へ行って、『大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録』を見るのが好きだった。「目録」だけど、雑誌の記事の見出しだけがズラズラズラ並んでいるリストだ。

それを眺めていると、その年代の世間の有様が浮かび上がるようで興味はつきない。南陀楼さんが指摘のように「リストを読むことは、目的のキーワードを入力すると結果が得られる「検索」と、似ているけれど根本的に違う行為」なのだ。

予測できない偶発的な発見にいたる面白さがある。

ってわけで、『大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録』については、けっこうコピーをとって持っている。何度見ても、新たな発見があるのだ。

そういう面白さでは、あまり整理はよくないが専門的な蔵書が多い団体や企業などの閉架式の図書館や図書室で、図書カードをめくるのも、リストを見るのと同じだね。

ある必要なテーマや必要なタイトルを求め、カードをめくっているうちにまったく関係のないカードも見ることになるわけで、すると何だか気になるカードが目に止まり、調査の脇道にそれてしまうなんてことは、マーケティング屋をやっているときによくあった。

とにかく、この『本のリストの本」は、早速、枕元本になった。

リストは、順番に読む必要がないのもいい。

だけど、夏目漱石の「猫」は妻にふんづけられて死んだ、なんていう悲惨なことが書いてあるエッセイを読むと、ついついエッセイを順番に読んでしまう。著者のみなさんの目の付け所が、あまりにも自分とは違う世界で、面白かったり。

冒頭に、「私を作った十冊の本たち」(エンテツ注=「本たち」に「リスト」のルビ)ってのがあって、著者のみなさんが、それぞれ十冊あげている。

「私を作った」なんて、おそろしいことだ。

でも、このうちおれは何冊読んでいるだろうと数えてみたり、おそるおそる、おれの十冊なら、どんなリストになるだろうと考えてみたり。

あるいは、このテーマならおれはこういうリストになるナとか、おれならこういうテーマでこんな本をあげるナ、と、本好きでもないし、たいした本を読んでないおれでも、どんどん楽しめちゃうのだった。

それにしても、こういう本をつくりだす人たちの情熱?はんぱじゃないね。

強いてこの本にケチをつけるとしたら、「おれをダメ人間にした本のリスト」とか、「本が嫌いになる本のリスト」といった類のものがないことかな。

リストの面白さは冗長性にあると思うし、ネット検索の効率になれて、冗長性を失った文化は貧しいし退屈だ。

当ブログ関連
2018/08/11
奇妙な情熱にかられている人による、奇妙な情熱にかられている人たちの本。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2018/08/post-b522.html

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2020/08/24

「食べること」 ヨシカさんの場合。

2020/08/21「カフェ「食事・喫茶 ハナタカ」の場合。」https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/08/post-31d8b4.html では、「食事と喫茶 ハタナカ」について、客の一人である加藤のぞみさんはどう考えているかを紹介したが、店主のヨシカさんは食事について、どんなことをいっているか、どう考えているかについて書くのを忘れてしまったので、書いておく。

たとえばだが。

「ハタナカ」を開店する前に勤めていた会社で、ヨシカさんは孤独だったけど、篠宮さんという会社で一人だけ役職つきの女性と食事に行くようになる。その篠宮さんがあるとき、ヨシカさんが担当している地域に「雑誌に載っていた良さそうな洋食屋があるのだが、どういう感じか?」と訊ねる。

するとヨシカさんは「端的に、脂っこいけどしんどいときにいいですよ」と答える。

そして、篠宮さんは「実際に疲れている時に一人でそこに行ってみて、すごく良かったから、今度給料日に行こうよ」とヨシカさんにいう。

また「ポースケ」の当日の食事会に出す食事は、ステーキにハッシュドブラウンポテト、バターとグレープのジャムを添えたトースト、オレンジジュースか牛乳、ワインかコーヒーか紅茶、である。

ヨシカさんは、こういう考えで選んだ。

「ただひたすらがつがつ食べられそうなものを選んだのだった。食べて、端的に、明日の活力になりそうなイメージのものがいいと思った」「善良な小市民である自分たちは、それを食べて明日も生きるのだ」

客たちは、がつがつ、平らげた。

とかく、こういう食事や大衆食堂の食事などは、「男めし」などといわれたりした。おれも「男めし」という言葉を使ったことがあると思う。

だけど、働き、食べ、生きる生活に男も女もない。

その生活から食べ物だけを取り出して、品定めのようなことをしている習性の中では、食べ物に「男」や「女」といった属性を与えたくなるかもしれないが。

ヨシカさんは、そんな考えは持っていない。

「食べる」ことは「食べ物」だけじゃない。食べるワタシがいる、ワタシの生活がある。しんどいときには、それなりに良い食べ物がある。

働く生活には、それなりの良い食べ物があるし、「がつがつ食べる」ことも良いし、美しい。

ま、大衆食堂の食事なども、そういうことだ。

「食べる」ことから「食べ物」だけを取り出して、「飲食店」という実験室で味見をするように食べ比較し品定めをすることは広く行われていて、それがアタリマエのような雰囲気もあるけど、それは、メディアをめぐる消費の世間のことで、実態としては、今日も生き明日も生きる日々の暮らしでは、さまざまな「食べる」が存在する。

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2020/08/23

2009年5月 「小規模なパンデミック」と「カナリア」。

「パンデミック」という言葉、おれは今回の新型コロナ禍で初めて知った。

もう2009年5月の「新型インフルエンザ」のことは、すっかり忘れていたし、思い出したとしても「パンデミック」という言葉を、あのとき目にも耳にもした記憶がない。

ところが、2012年2月新潮社から発行の、津村記久子『とにかくうちに帰ります』に収録の作品には、新型インフルエンザ流行化の職場を描いた「小規模なパンデミック」というタイトルの掌編があるのだ。

初出は「日本経済新聞」電子版2010年10月4日から23日に掲載の、「職場の作法」の中の一篇だ。

「帰りにドラッグストアに寄ると、マスクが売り切れていた」

布のマスクをつくっている同僚。マスクを高く売りつけようとする同僚。「ほんのりと自分はできるという雰囲気を漂わせ、忙しぶるのは大好きな」同僚は、咳がとまらないのに休もうとしない。感染は広がり、「休みかと見間違うほど、社員がいなくなっていた」。ついに会社は臨時休業。

おれはそんなに大騒ぎだった記憶もない。マスクはしてなかったし、買い求めようともしなかった。思い出せるのは、ちょうどその頃、「四月と十月」の古墳部活動で奈良へ行ったとき、近鉄奈良駅に連なるアーケード商店街の薬局がどこも、「マスクは売り切れ」の大きな貼り紙を出していたことだ。

このブログでも、2009/05/27「インフルのおかげ?行列なし見物。仏教と殺戮の飛鳥で何があったのか。」https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2009/05/post-468c.htmlに書いたが、古墳部活動の目玉は、明日香村の万葉記念館で公開中のキトラ古墳壁画の「青龍」と「白虎」だった。

23日の土曜日、しかも翌24日の日曜日が最終日とあって、大混雑大行列は覚悟だったし、主催者のほうも大混雑大行列に備え、テントや看板などを用意していた。

しかし、看板の待ち時間の表示は、「0」。

おれのうちにはテレビも新聞もないので、「大騒ぎ」の実態は、あまりピンときてなかったこともあるだろう、この奈良の旅で実感し、すぐ忘れてしまったのだ。

それに、印象では、関西のほうが騒ぎが大きかったように思う。

先日から、津村記久子の作品の話題が続いている。すでに書いてあるように、図書館から『ポースケ』『とにかくうちに帰ります』『やりたいことは二度寝だけ』を借りて読んでいるところなのだ。

そうそう、『ポースケ』と前作の『ポストライムの舟』の主要な舞台である「食事・喫茶 ハタナカ」は、いま述べた、近鉄奈良駅に連なるアーケード商店街のはずれにある設定だ。

それはともかく、新聞などの連載をまとめたエッセイ集『やりたいことは二度寝だけ』に収録の「会社員はカナリアか?」は、2009年5月の「新型インフルエンザ」の騒ぎだ。初出は、朝日新聞夕刊(大阪版)の同年6月5日だから、当時はシュンでリアルな話題。

「二〇〇九年の五月、四週目の月曜の地下鉄は、ほとんど近未来SFの風景のようなのだった。通勤中の駅では、尋常じゃない数の人を見かけるのだが、その人々のほとんど、九割といってもいいぐらいの人数が、マスクをしていた。わたしもしていた」という書き出し。まさに、いま、その「近未来SFの風景」の中だ。

だが、「テレビでは、マスク調達に狂奔する人々の様子が毎日のように報道され、母親が、マスクを買いに行ったドラッグストアでも売り切れが相次いでいるといちいち報告してくるさなかに」、通勤電車の中では日に日に「マスクの人は減っていった」。

レジで真後ろに並んでいるおばあちゃんが、店員にマスクはないのか、いつ入るのか「ごねている」という報告を毎日のように母親から聞いていた。「しかし、通勤電車では着実にマスクの人は減り続けていた」

津村記久子は、ふと考える。

「日中働いて、朝に通勤している人は、マスク市場に対するカナリアのようなものではないか」

普通に昼間働いている人は、早い時間に売り切れてしまうマスクを手に入れることが難しい。新型インフルエンザの患者は増えているのに。

「仕方なく、彼/彼女は、手洗いうがいを心がけつつも、マスクを装着せずに、恐る恐る電車に乗る。病気になったらなったでもう仕方がない、と暗澹たる心持ちで。そういうことが多々あったのではないのだろうか」

「マスクが飛ぶように売れている、という流行に、最初にやられてしまうのは、普通に昼間働いている会社員なのではないか、と私は思った。だから彼らはカナリアなのである。マスクをしたくてもできない人が少しずつ増えてゆき、やむをえずという態で、電車の中のマスク人口は減っていったのではないか」

というぐあいに「カナリア」を語っている。

「炭鉱のカナリア」のことだ。

今回は、違う意味で「カナリア」なのではないかと、おれは思った。

マスクはあっても、不安は、「新型インフルエンザ」と比べものにならないほど大きい。でも、リスクや不安を抱えながら働かなくてはならない。多くの労働者は、まさに「かごの鳥」の「カナリア」だ。

一方に、自分たちは比較的安全の位置から、感染の広がりを「数」ではかっている連中がいる。日本の「感染者は少ない」「重症者は少ない」「死者は少ない」、そんな言葉で、辛い目にあっている感染者や、重症者や死者を語る。人々の不安や苦痛など眼中にないか、小さな「カナリア」の「数」でしかないと思っている。

「カナリア」がバタバタ倒れて「大きな数」になってから初めて、自分たちの地位や権力の確保や安全のために動く。それまでは「カナリア」が、どうなろうが知ったことではない。まるで他人事のような記者会見を毎日やり、何かしら「やっている」演出で切り抜ける。コストパフォ―マンスの悪い、透明性に欠ける、多額の予算を使いながら、「カナリア」を「注視」しているだけなのだ。

「カナリア」は「カナリア」であることから抜け出せないでいる。

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2020/08/22

『ポースケ』 藤原辰史「縁食論」の場合。

ネット検索していたら、このブログでここ2日ほど続けて触れている津村記久子『ポースケ』について、藤原辰史さんの評を見つけた。

藤原辰史さんは、ミシマ社の「みんなのミシマガジン」で「縁食論」ってのを書いていて、その1回目が「飲みこまされる言葉と飲みこめる食べもの――『ポースケ』に寄せて」なのだ。今年の1月16日から前編、後編に分けて掲載されている。
https://www.mishimaga.com/books/en-shoku/001889.html

「津村記久子の『ポースケ』(2013年)という小説は、人間が主役ではない、と思った。主役はきっと小説の舞台、つまり、奈良の商店街のカフェ「食事・喫茶 ハタナカ」ではないか、というのが私の読後感である」と始まる。

「この小説の語り手がそれぞれの個性際立つ人間を描きながらも、それと同じぐらい細やかに表現しているのが、このカフェのふところの深さである」

「ふところが深いカフェ、というのはちょっと変な言い方かもしれないが、この作品にはあっているような気がする。社会に適応しづらい人間たちの存在を認めて、居させるそのふところの深さ、という感じだろうか。とにかく、食べるものではなく、食べる場所、もっといえば、その場所をめぐる人間たちの浅かったり深かったりする交流や接触が描かれている。このこと自体、子ども食堂が多くの子どもや大人の居場所を提供している昨今、興味がそそられる。そうした背景から、わたしは、『ポースケ』について一度じっくり取り組んでみたい、と前から思っていたのだった」

後編の最後で、こうまとめている。

「永続を目的とする人間集団は、それがいきすぎると生贄なり、排除される人間が必要となるが、ヨシカのカフェは、包摂と排除を意識しなくてもよい。カフェの原理は、無理に飲み込ませないこと。自然に飲み込んでもらうこと。自分が属する人間集団に無理やり何かを飲み込まされつづけている人びとが、じっくりと、やんわりと飲みものばかりでなく食べものまでも飲み込むことができる場所なのである。そして、食べものの嚥下に慣れたその喉に、たまたま飲み込みやすい言葉が通るアヴェレージが結構高い場所こそが、「食事・喫茶 ハタナカ」であり、縁食の場所なのだ。おそらく、そんなおいしい言葉しか、品定めの視線に網羅された社会を変えることはできない」

この指摘に、うなった。

ってことだけ、今日は書いておきたかったのだ。

「品定めの視線に網羅された社会を変える」には、という視点で、もう一度『ポースケ』を読み直してみよう。

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2020/08/21

カフェ「食事・喫茶 ハナタカ」の場合。

「何か口に入れるものを傍に置きながら、誰かの薄い気配を感じつつ、一人で何も考えずにじっとできる、という状況は、意識的に作り出さないと存在しにくいものなのかもしれない」「かつ、もし店にいる時に災害があったら、それなりに助け合えるような客層であること、そういうふうに呼びかけられる店の人間がいること。人は難しい。一人になりたいといつも思っているけど、完全に放っておかれるとかまわれたいと思う」

近鉄奈良駅から連なるアーケード商店街のはずれのほうにある「食事・喫茶 ハタナカ」の店主、ヨシカさんこと畑中芳夏さんは、そんなふうに考えている。

大阪出身で大阪の大学を卒業し、食品メーカーに総合職として就職した。成績のよい営業社員だったが、27歳のとき、偶然のキッカケもあって、辞めた。

大学4年間にカフェでアルバイトをしていたから、やるならカフェだと思っていた。

大学1年のときからの友人である長瀬由紀子さんの住まいが奈良にある。古くてボロの家だが広いので、ヨシカさんは、そこに数か月居候しながら、気に入っている奈良に出店する場所を探し、開店にこぎつけた。

ヨシカは、34歳になった。なんとか続けている。この先どうなるかは常にわからないのだが、これからも続けていくつもりだ。

「ハタナカ」は、どんなカフェだろうか。

たとえば、一人暮らしで会社員の加藤のぞみさんは、週に一度ぐらい「ハタナカ」で食事をする。

妙に頼りがいのある店主だと思っている。

「最初は、大きめのスコーンやパンケーキと、ポットの紅茶を提供してくれるということで店に入ったのだが、このところは、食事目当てで店にやって来ている」

そんなによく食べるわけではないのぞみさんにとって、「一食八〇〇円は安い値段ではないのだが、週に一度ぐらい、自炊をするのも外で何を食べるか考えるのもいやになった時に、ハタナカで夕食を食べている。小鉢はそこそこ凝っているものの、取り立てて健康指向でもおしゃれでもなく、どちらかというと男の人や子供のほうが喜びそうなメニューには、いつも懐かしいニュアンスの単純なおいしさがあったので」通っている。

「店主がこれと思った作り方をきっちりこなしているのだろう」と、のぞみさんは考えている。

「ハタナカ」は、「新しい食堂」なのだ。

昨日書いた、津村記久子の『ポースケ』を読み終えて、これは一つの食堂物語だなと思ったし、東京新聞の連載「大衆食堂ランチ」にも登場してもらったことのある、南浦和のむくむく食堂が思い浮かんだ。

『ポースケ』は、9編の連作からなっている。

1作目の「ポースケ?」は、「ハタナカ」の日常が舞台で、店主のヨシカがいて、とりまく従業員と客が、つぎつぎ登場する。

「ハタナカ」の店内には本棚があって、客や従業員が、好きな本や手作りのものなどを置いている。本は、名前とメールアドレスを知らせれば借りることもできる。ヨシカは、ふとしたことから、「ポースケ」というバザーのような文化祭のようなことを店でやろうと思い立つ。

「ポースケ」とは、店で話題になったノルウェーの復活祭のことらしいのだが、そこからの連想だ。

以下、「ハンガリーの女王」「苺の逃避行」「歩いて二分」「コップと意思力」「亜矢子を助けたい」「我が家の危機管理」というぐあいに、客か従業員が主人公や語り手になって話が展開する。

それぞれ、仕事や家庭や学校で、ややこしいことや面倒や屈託を抱えている。心身にダメージを受けて、2分の徒歩通勤もやっとの竹井さんは、「ハタナカ」のパートさんだ。

ささいなこと、小さなこと、ふとしたことが、つぎつぎに起きるし、そこでの言葉のやりとりが、思わぬことにつながっていく。たいがいの人の生活は、そういうものだろう。そういう中で、なにがあろうと、食べているのだ。

そして、8作目の「ヨシカ」は、ヨシカさんの独白のようなもの。

最後の9作目「ポースケ」は、祭りの当日だ。

最初の「ポースケ?」に登場した人々が、何かを持ち寄り、誰かを連れてきたり、みんなでワショイ、ポースケ。締めくくりの食事会、ヨシカさんは「ただひたすらがつがつ食べられそうなものを選んだのだった。食べて、端的に、明日の活力になりそうなイメージのものがいいと思った」。食事会の参加者は、「みんながつがつ、元気に食べていた」。

そして祭りが終わり、それぞれ帰っていく。

一日休んで次の日の開店まであと5分。

ふとしたことから、電車に乗り勤めることにした竹井さん。

まもなく「ハタナカ」を辞める竹井さんが、「厨房から外に出て、ドアの札をひっくり返す音が聞こえた」

「それまでと似ていて、けれども非なる、かけがえのない一日が始まる音だった」

そんな音が、どんな生活にも、どんな「食べること」にもあるはずだ。

食堂を舞台にした、生きること、働くこと、食べることが、ぎっしり詰まっている。

というか、「食べる」を語るというのは、こういうことじゃないかと思う。

「それまでと似ていて、けれども非なる、かけがえのない一日」と共にある日々の「食べ物」と「食事」を考えたい。

と、『ポースケ』を読み終えて思うのだった。

当ブログ関連
2018/08/31 スペクテイター42号「新しい食堂」。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2018/08/post-8f99.html

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2020/08/19

「健康的」なSNS作法と「食事の楽しみ」。

2020/08/16「食べることを食のマウンティングから切り離したい」
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/08/post-6449ca.html

に書いたように、図書館から借りた津村記久子『ポースケ』(中央公論新社)を読んでいる。9編の連作のうち6編まで読んだところだ。

『ポストライムの舟』に登場する、ヨシカさんこと畑中芳夏さんの店『食事・喫茶 ハタナカ』を結節点に、客と従業員その家族の生活や労働や、作者が得意とする「隙間」が巧みに描かれる。

『ポストライムの舟』の主人公で、『ハタナカ』のパートをしていたナガセこと長瀬由紀子も常連客として顔を出すし、『ポストライムの舟』では家出をし離婚した梶谷りつ子の娘で幼稚園児だった恵奈は小学校5年生になっていて、一篇を担っている。

6編目の「亜矢子を助けたい」は、『ハタナカ』のパートの「とき子」さんと家族の話しだ。十喜子は、夫と就職したがつまづいて家で何もしないで過ごしている息子と、就活中の亜矢子と住んでいる。もう一人の息子は、東京で結婚している。

就活がうまくいかないで苦労している亜矢子は顔つきまで変わってしまった。十喜子は、その苛立ちを感じながら、なんとか「助けたい」と思っている。「助けたくてたまらない」、「なんか私にできることがあったら、言いや」と声をかける。だけど、家の外が舞台の子供の独り立ちは、助けてあげられることがそんなにないし、亜矢子がしているような就職活動はやったことがないから、悩みの詳細もわからない。

行き詰まり感が漂うある日、亜矢子が「手伝ってもらえること、あるわ」という。

母は亜矢子にメールで、短い文章を送る、写真も一緒に送ることもある。それが「手伝い」なのだ。

亜矢子の頼みは、SNSのアカウントを作りたいのだが、中の記事を書く気力がまったくないので、それを作ってくれ、ということだった。

亜矢子は、別れた彼氏に「おまえはSNSに対してまめじゃないから、なんていうか前向きそうじゃなくて損をしててバカ」といわれたことがある。そんなこともあって別れたのだが。

就活しているうちに、会社の採用担当の人は、SNSをチェックしているという話を聞いたり、面接では「何もしてないんだな?」と怪訝そうに言われたこともあり、亜矢子は「念のため」SNSをやることにした。

十喜子がメールで送った文や写真を、亜矢子は、そのままか最後に一言添えてアップする。

その文章の草案づくりには、ナガセも興味を持って加わるのだが、亜矢子が十喜子に「とうとうと説明した」文案をつくる「原則」というのがある。

「内容は、明るい、健康的な内容で、ばかには見えないものが望ましい」

十喜子は、そんな小細工について考えるより、目に隈ができている顔をなんとかしたほうがよいと思いながら手伝う。十喜子の草案に、ナガセは、もっと受けをよくする「姑息な一言が欲しいな」とアドバイスをする。

このあたりは、SNSがアタリマエのようになっている現代の批評として読むと、なかなか面白い。

実際、ツイッターやフェイスブックなどのSNSでは、「明るい、健康的な内容で、ばかには見えないもの」というセンで、小細工や姑息な一言を上手にこなす人たちが、幅を利かせている。「ばかには見えない」どころか「利口に見える」よう、ガンバっている人たちもいる。

この「明るい、健康的な内容で、ばかには見えないもの」については、きのう書いた「健康」のように、いろいろなテーマや切り口があるのだが、とにかく上手な人たちがいる。「賢い」「利口」が「小賢しい」「小利口」に見えることも少なくない。

ネタと小細工と姑息な一言。

十喜子たちのネタは、食事や料理や十喜子が大量に録画しておいては好んで見ているドラマだ。

読みながら、食べる楽しみや料理の楽しみなどは、SNS以後、大きく変わったなと、あらためて思う。

実際に作る食べるから、SNSに載せる、その反応を見るまでが、「楽しみ」に含まれるようになったのだ。

「事実」としてあることより、むしろ「インスタ映え」「ツイッター映え」のほうが目的化していることも少なくないようだが、旅行にしても、SNSに載せる、その反応を楽しむまでが、旅行の楽しみになっているのは確かのようだ。

いろいろなことが、そのように動いていることに、あらためて驚きと、少し怖さを感じる。

スマートフォンやパソコンによって、SNSが脳の一部に装着されてしまった怖さというか。

そのために食べる楽しみや料理の楽しみや、ほかのいろいろな楽しみや認知が歪んでいるかもしれないことが、さらに気づかれずに普通になっていく「不健康」というか。

「明るい、健康的で、ばかに見えない」ことが、とても「暗く、不健康で、愚かに見える」実態につながっているような。だけど、「いいね!」によって、「成功」や「正しさ」が保証される。

とても、ミステリアスだ。

ところで、亜矢子だが、少し変化が生まれる。SNSにも自分で記事を書くことが増えた。それを見て十喜子は、亜矢子の靴のサイズを知る。

十喜子のほかの家族にも、少し変化が生まれる。それが、つぎの新たな苦悩につながるかもしれない、苦悩からの脱出。一難去ってまた一難で心配事が絶えないことも。

娘や息子をどこかの会社に押し込んだり、自分の会社で抱えたりできるような力はない、ま、ようするに普通の人である十喜子は思う。

「まずは更に進んだ事実が大事だと思った。そういう一喜一憂を延々を繰り返すことこそが、十喜子にとっては日々を暮らすということだった」

「むしろ人生は一喜一憂しかない」「我々しもじもの者は、一つ一つ通過して、傷ついて、片づけていくしかないのだ。そうする以外できないのだ」

あきらめのようだけど、津村記久子の作品には、そういう暮らしや人生に対する励ましや共感、力強い肯定を感じる。

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2020/08/18

「健康な生活」と「規則正しい生活」。

2,3日前、ツイッターのおれの投稿に、あっこさんから「さっき八王子界隈を運転中、急にエンテツさんのことを思い出し!薬1種2錠……なんとなんとと驚いてるとこです。メシくってますか!?」っていう返信があった。

「運転中…」って、どういうことだと思いながら返信した。

「ローカル焼き鳥屋が目に入る→秋津→エンテツさんという流れなのです!」ということだったらしい。

もうおれは酒は飲んでないし、ノンアルビールで酔っているというのに、一度定着したイメージは強力だ。

おれは「おかしなことに、これまでになく「規則正しい生活」で、酒抜きでメシもちゃんと食べ、世間的に最も健康な日々なのであります」と返信して、そういえば、こんなに「規則正しい生活」は、高校卒業以来ではないかと気づいた。

だいたい、ルーズな好みもあって、不規則でだらしない生活が長かった。

ところが、「病気」という「不健康」のおかげで、規則正しい食事、規則正しい服用、規則正しい睡眠、規則正しいウンコ…、じつに規則正しい。

さらに、薬の副作用(主に骨粗鬆症)抑制のために、毎日30分以上の歩きをしなくてはならない。

買い物ついでにやっていたのだが、暑くてたまらんから、一週間前から早朝にした。生来のなまけものだから、目的意識はなく、目が覚めたらという成り行きまかせのつもりだったが、いまのところ5時半から6時ぐらいに目が覚めるので、続いている。

これ、世間一般でいうところの「健康な生活」のイメージではないだろうか。

でもおれは「健康」ではなく、「病気」が進行中なのだ。その抑制の生活が「健康な生活」ってことなのだ。「健康体」ではないからの「健康な生活」。「健康な生活」が支える「不健康な身体」、なんだかややこしいパラドックスだ。

というぐあいに考えるていたら、「健康」にも、いろいろあることに気づいた。

いまのおれの「健康な生活」は、かなり厚労省的だろう。

もし、経産省的に考えれば、もっと経済や産業に貢献し、経済的産業的利得が関係する「健康」になるだろう。

日本では地味な存在の、環境省的「健康」もあると思う。エコロジー的な「健康」は、これからの大きな課題といえるか。

文科省となれば、やはり文化的芸術的科学的な「健康」ってことになるだろうが、どうも不健康な権威主義が目立つ。

そうそう、農水省的な「健康」もある。これは厚労省や文科省や環境省や経産省などもからみ、とてもやっかいだ。どうするんだ、「和牛」や「米」と「健康」は。

防衛省的「健康」は、イメージがわきやすそう。

しかし、少子化の人口減、これは日本国の「健康」の危機だろう。もはや「ステージ4」どころではない、癌なら末期だ、とんでもない「不健康」に陥っている。大災害と同じではないかと思うが、みんな割と平気のようなので、おれの考えすぎかと思ってしまう。

まさに日本国という「不健康な身体」を支えるために、人びとの「健康な生活」が求められている。

沈む泥船の中でも、今日のいのちをつなぐ生活があるし、大事なのだな。そして「国」という泥船は沈んでも、人びとは生きるであろうことは、たくさんの歴史が証明している。あまりにも犠牲が大きいけど。

と、「健康」については、まだまだいろいろな見方が成り立つ。

早朝の歩きコースは、近所の芝川や見沼代用水西縁などに沿った遊歩道であり、毎朝、けっこうたくさんの人たちがウォーキングやジョギングをしている。見たところ60代以上が半分ぐらい。子連れ家族もいる。犬の散歩もある。みんな、どんな「健康」を考えているのか、インタビューしたくなる。

いまどきの「健康ブーム」の傾向は、いつごろからだろうか。健康基本法のころからのブームはあったと思うが。「ポスト近代」あるいは「ロスト近代」「ノンモンダ」と何か関係あるのだろうか。

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2020/08/16

「食べることを食のマウンティングから切り離したい」

津村記久子の新刊『サキの忘れ物』(新潮社)を買ったのは7月3日だった。

この本が出ていることを知り合いから教えてもらって、早速買いに行ったのだが、おれが新刊の文学作品を急いで買うのは津村記久子のものだけだ。

好きなだけ本を買う経済的余裕がないこともあるが、とにかく津村記久子のファンである、といえるぐらいにはお気に入りなのだ。

といっても、新刊をこまめにチェックしているわけではないし、一冊も漏らさず揃えようという根性もない。

『サキの忘れ物』については、そのうち書くかもしれないが、『サキの忘れ物』を読んだら、第何次かの津村記久子マーイブームが勃発し、手持ちのものを再度再再度読んだあげく、昨日は図書館へ行ったついでに、『ポースケ』(中央公論新社、2013年12月)『とにかくうちに帰ります』(新潮社、2012年2月)『やりたいことは二度寝だけ』(講談社、2012年6月)を借りてきた。

『ポースケ』から読み始めているところだ。

今日は、そのことではない。

津村記久子でWEBを見ていたら、重要かつ面白い発言があった。

京都大学新聞のサイトに、「食べることを見つめなおす 藤原辰史さんと津村記久子さんがトーク(2015.11.16)」という記事があって、「人文科学研究所准教授の藤原辰史さんと芥川賞作家の津村記久子さんが「働くことと食べること」というテーマのもとで語り合った」というものだ。

そこで、津村記久子は、このようなことを言っているのだ。

「2人は、食べることに人間が余計な物語を付与することへの違和感を共有するという。津村さんは、「優位性を誇示する馬乗り」を意味する霊長類学用語「マウンティング」をもじって、料理に別の物語を持ち込むことが「食のマウンティングにつながっている」と表現。「食べることを食のマウンティングから切り離したい」と話した。藤原さんは「食育において、お母さんが和食を作り継承していくといったように食が家族の物語と結び付けられていることは気持ちが悪い」と語った。」

もう、ほんと、よく見かけるし、近頃ますますひどくなっている感じだ。書店の店頭をにぎわす「飲食本」と「嫌韓嫌中ヘイト本は、見た目は違うけど、「売れる」から出発した企画の本質は同じで、表裏ではないかという気がしている。

そういう「飲食本」には、私語りも含め、「料理に別の物語」を持ち込んだものが多い。売りやすい「飲食の衣」を着たエッセイという体裁で。

そうでなくても、メディアに関わっていると、上位や優位からモノゴトを語りやすく、それがマウンティングとなってあわられることも少なくない。なにしろ「食」は「格差」を含んでいることであるし。

「食べることを食のマウンティングから切り離したい」

ほんと、ほんと。

2人は「「食べることは楽しければいい。こうあるべきだという論から食べることを解放したい」と締めくくった」そうだ。

ほんと、ほんと。

今日は、このことだけを、忘れないうちに、急いで書いておきたかったのだ。

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2020/08/14

癌治療5回目。

「警戒アラート」というのは、情報は発するが対策の責任はとらない、個人の責任で対処せよということのようで、違和感がはなはだしい。

そりゃまあ、個人の対処は当然あるだろうが、それで「公」の責任がなくなるわけじゃない。そこんところを知らん顔するから、おかしいのだ。戦時の空襲警報の頃だって、警報を出す一方で、無力とはいえ「応戦」ぐらいはしていたのではないか。

「命にかかわる危険な暑さ」という情報を流して終わり。この表現、いかにも「客観的」ですばらしく傍観者的だ。官僚的、無責任根性丸出しではないか。こんな「体制」に飼いならされながら生きるより仕方ないのか。

前日には気温が38度か39度になるという予報が出て、「命にかかわる危険な暑さ」がいわれ、「熱中症警戒アラート」発せられていた今週8日の火曜日は、5回目の通院治療日だった。

先週の火曜日のCTスキャンの結果をもとに、これまでの治療法とこれからの治療法を確認するのだ。

「検査(調査)」→「実態把握」→「対策」→「実行」は、アタリマエだろ。実行は記録を残し、それらをもとに、効果の確認や検討や新たな処方も、アタリマエだ。そんなことも通用しにくい世になったが、おれの癌治療は、アタリマエに忠実に進んでいる。

朝から暑かった。病院に着いたのは10時ごろだったかな。水を飲みながら歩いて、すでに汗びっしょりだった。

例によって、入り口で新型コロナ感染対策の消毒と検温。外来の自動受付をすまし、まいどの採血と採尿は15分待ちぐらいですんだ。これは幸先ヨシッと思ったのだが、診察待ちは大混雑で、予約の11時40分を30分以上すぎて、ようやく。

迎える主治医の様子から、「順調」だなと思いながら椅子に腰をおろす。今回は、約3か月の治療の「総括」だ。

まず血液検査による癌の数値は、治療前には150だったが、6月16日の検査で基準値の4を下回り1.26に、7月14日は0.77、今回は、0.57だった。

前々回、肝臓の副作用が出たので、癌対応の治療は注射だけにして飲み薬はやめ、肝臓の薬にしぼった。それでもこの数値なので、癌対処の飲み薬はないままでいけそうだ。

肝臓の数値は、大幅に改善されたが、まだ基準値から1.1~1.5倍あるので、肝臓の薬だけは続け、基準値内にしておいたほうが今後のためにもよい。癌対応の治療効果のためにも、肝機能が大事なのだ。ナニゴトも局所対策だけではうまくいかないのと同じ。

CTスキャンの画像、身体の中のカタチがアニメのように動くのが、面白い。

患部の様子が見える。治療の前、3月31日の画像では、患部全体が星雲のように広がっている。その中からしだいに、点が見えてくる。そして、まわりの雲は晴れ、もとの癌の点、小さな「太陽」が、いまでは孤立しクッキリ見える。数値だけではなく、目に見えて患部が縮小しているのがわかる。

問題は、転移だ。

肺と骨に微小の転移があった。かなり注意して見ないとわからない。

転移抑制の注射は、肝臓対策のために1か月遅れて前回からだったが、それでも効いているようだ。

肺のほうは、このままの治療で消えるだろう、骨のほうは難しい。普通は骨が硬化するのに軟らかくなっている。このままの治療で、おそらく抑制はできるから、注射を続けなが様子を見ましょう。

主治医の話は、面白い。

癌にも個性があって、一つ一つ、まったくちがうらしい。コイツは、どんな好みで、どんな動きをするのだろうなどを観察しながら治療法を考えるのだ。

「この転移はね、癌細胞が血液にのって漂流し、好みの食べ物がありそうなところにパッと止まるところから始まるのですよ」

主治医は、まるで飼っているペットのことのように話をし、つられておれも「おれの癌」が愛おしくなるのだった。

ってことで、治療は、飲み薬も注射も前回の継続となった。つまり、肝機能対処の飲み薬2種、注射は腹部に癌対処、腕に転移抑制。あと、3日間だけ注射の副作用抑制の飲み薬も前回と同じ。

中央処置室で注射をうち、会計をすまし、ド炎天灼熱の外へ。

薬局に寄って、帰宅は13時半だった。

癌の対策は処方にしたがって順調だが、新型コロナと熱中症のほうは処方なしで新規感染者も重症者も拡大中。どうなることやら。

「警戒アラート」は、政府や政府追随のマスコミに向かって発しなくてはならないのではないかな。なにしろ、この暑さの中、朝顔と打ち水でオリンピック・パラリンピックをしようとしていた連中だからねえ。延期の来年も、そのつもり?

2020/08/04
3か月ごとの検査(CTスキャン)。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/08/post-5e1572.html

2020/07/15
癌治療4回目。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/07/post-10a395.html

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2020/08/05

ヒッピー祭り(『散歩もの』作=久住昌之、画=谷口ジロー、扶桑文庫)。

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2020/07/11「これからの台所をおもしろくするには。」の最後に、こう書いた。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/07/post-511a0d.html

「そりゃそうと、「日本のヒッピー・ムーヴメント」の「ヒッピー用語の基礎知識」には、「はらっぱまつり」があって、「正式名称は”武蔵野はらっぱ祭り”。東京・小金井市にある都立武蔵野公園の通称”くじら山”地区で、三十年前から毎年秋に市民有志によって行われ続けている」との解説ついている。泉昌之か久住昌之の作品に、この祭りが登場する漫画があったとおもうのだが、おもいだせない。」

これが、本棚から見つかった。

久住昌之・作、谷口ジロー・画の『散歩もの』(扶桑社文庫)に載っている「ヒッピー祭り」だ。

八話からなるうちの第四話。

タイトルは「ヒッピー祭り」だが、画のなかの看板には、「武蔵野はらっぱ祭り」の正式名称がある。

久住は「あとがき」のような「原作うらばなし」で、「これは「武蔵野はらっぱ祭り」がモデルになっています。ここは、実際俗に「ヒッピー祭り」と言われ、どこから現れるのか、70年代風のオヤジたちが集結していて、面白い祭りだった。だった、というのは最近は規制が入って、夜はいられなくなったのだ。前はテントを張ってみんなそこに泊まり込めた」と書いている。

マンガでは、主人公の中年の会社員が、祭りに参加している若い部下に頼まれたランタンを持って会場を訪ねる。するとそこには、「原作うらばなし」で「同級生とか思い出して「あいつなんか、こういうの好きそうだな」と思って歩いていると、そいつがちゃんといる! 年下のサイケなバンド「ヘタクソ」のリーダーを思い出して「あいつなんか、こういうところで演奏してそうだな」と思うと、ちゃんと演奏してる! 思わず笑っちゃいましたね。匂いを嗅ぎ付けて集まっていると思うと。悪意じゃなく「あいつら」って言いたくなるような友達が」と書かれている男たちが登場する。

この作品は、「「通販生活」という雑誌に、2000年夏号から季刊・年四回で二年間」連載された。「原作うらばなし」が載っている文庫本は、2009年10月の発行だから、その間に、規制が入って、テントを張って泊まり込むことができなくなったのだろう。

『スペクテイター』45号「日本のヒッピー・ムーヴメント」特集では、一九六〇年代から七〇年代後半の「カウンター・カルチャーの精神は、いま、どこかで生きているのだろうか?」について、まとめている。いろいろなところに受け継がれているのだが、当事者は「ヒッピー」であることや「カウンター・カルチャー」であることを否定しているばあいが、珍しくない。

とにかく、その一つに、「まつり系」というのがある。

「一九八六年、ソ連で起きたチェルノブイリ原子力発電所の事故を契機に、長野県八ヶ岳で開催された平和を求める祭典「88いのちの祭り」が、そのルーツになっている」

「はらっぱ祭り」は、この系統ってことになるのだが、全国各地で開催された、いろいろな祭りがある。

おれは、80年代後半、この系統の人たちとの付き合いがあり、90年頃に一年ぐらいドップリ浸かった。同じ屋根の下で暮らし、食事を共にした。その食事は、玄米食で、いわゆる「マクロビ」ってやつだ。

カウンター・カルチャー、反原発、反公害、エコロジー、マクロビ……となると、一般的には「左」か「左寄り」のイメージだろうけど、おれの付き合いがあった人たちは、かなりの「右」な人たちが多かった。

「右」「左」というより、「反近代」といったほうがピッタリだった。ま、クルマを乗り回し、当時としては先端だったパソコンを持った、「反近代」というか。なかには、「神秘主義」や、昨今でいうところの「スピリチュアル」系の人たちもいた。「縄文信仰」の人たちもいたな。

かなり「ヒッピー・カルチャー」からは逸脱していたかも知れないが、なかにはヒッピーたちのコミューンのような生活をしている人たちもいた。ある大学の全共闘運動から「反動分子」として吊し上げをくらい辞職した教員と慕う学生たちで始まった「コミューン」みたいなものもあった。

どことなく近代的な産業社会からは受け入れてもらいづらい何かを抱え、寄り添っていた人たちが中心で、そのまわりに、いろんな人たちがいた。なかには、あやしいゼニモウケの人たちもいた。おれなど、もっともアヤシイ存在だったかもしれない。

彼らは「まつり」で、ゴチャゴチャつながっていた。いたるところにタダで泊まれる知り合いがいるのだ。

それはそうと、「これからの台所をおもしろくするには」で述べた、『スペクテイター』44号「ヒッピーの教科書」特集と、45号「日本のヒッピー・ムーヴメント」特集については、カンジンのことが欠けていた。

その編集は、60年代70年代の「ヒッピー・カルチャー」あるいは「カウンター・カルチャー」を、過去のものとして整理するのではなく、現在の「オルタナティブ・ライフ」「オルタナティブ・カルチャー」の視点から捉え直そうとしているのが、特徴だと思われることだ。

そう見れば、たとえば最近はごく普通に使われるようになった「シェア」という言葉などは、かつての「コミューン」の精神の発展のようにも見えるし、同じようなことがいろいろある。チョイとスタイリッシュに商品化しすぎという感じのことも少なくない。

とくに食の分野では、たとえば「大地を守る会」のブランド化など、かつて「コジキ」といわれたりした人たちもいた「ヒッピー・カルチャー」や「カウンター・カルチャー」からは想像つかない事態まで生まれている。

オルタナティブな視点で見直すと、なかなか面白い。ってわけで、チャールズ・ライクの大ヒット作『緑色革命』を読み直しているところだ。

オルタナティブな台所を夢想しながら。

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「先行きがわからないのは みんな一緒の時代じゃないか」

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2020/08/04

3か月ごとの検査(CTスキャン)。

前回の通院のときに予約した検査が今日だった。

4月に治療を始めてから7月の4回目の治療で3か月を経過した。その間の治療法が適切だったかを確認し、今後の治療法の決めるためのものだ。

4週ごとの治療のたびに、血液と尿の検査をして「数値」では状況を把握しているが、CTスキャンで「見える化」する。

予約は10時40分だったが、30分前に受付をすまさなくてはならない。

検査の前、4時間以内は、お茶と水以外は口にしてはいけないという指示だった。となると6時には起きて食事をしなくてはならない。起きられる自信も、起きる気もなく、ま、成り行きにまかせようと思いながら寝たら、6時10分前に目が覚めた。

軽く食事をし、薬は飲まなくてよいといわれていたので休み。

長かった梅雨も今月1日には明け、急に炎天がのさばっている。朝からクソ暑い。外を歩いている最中には、コロナ感染予防のマスクはしない。

病院には10時10分前ぐらいについた。出入口のところでの検温が復活していた。

4月後半の1回目の治療の頃は、たしか消毒液が置いてあるだけだった。5月と6月は、3人の人がいて、消毒と、おでこで検温をされた。7月の4回目のときには、6月末で検温は取りやめという貼り紙があって、最初のように消毒液が置いてあるだけだった。

ところが、その頃には、再び新規感染者数が急増し始めていた。いまでは、緊急事態宣言のときより急カーブで増えている。

出入口では係は一人だけだが、消毒液と、前に立つと自動で検温する装置が置いてあった。人件費を減らしながらの「効率的」な対策なのだろう。

まいどのように自動外来受付をしたのち、放射線科の受付をしたのが10時ぐらいだった。早すぎだが、10分もしないうちに呼ばれて検査室に入る。

CTスキャンは2度目で、前回と同じように「普通+造影」だから、血管に造影剤の投与がある。脈拍と血圧を測り、あれこれ説明があり、慎重にすすむ。

検査のあとは、身体に異常が起きないか、20分ほど待機していなくてはならない。

順調の終わり、造影剤は小便と一緒に排泄されるので、水を「がんばって飲んでくさだい」といわれる。

そうでなくても喉が乾いて飲みたいから、病院の売店で水を買い、テーブルで一休みしながら飲む。

自動精算機で会計をすましたら、2720円だった。後期高齢者の一割負担の額。

検査の結果は、1週間後の診察日の資料になる。

CTスキャンで輪切りになった胴体の画像が、主治医のパソコンの画面に映りだされ、主治医が操作すると、アニメのように変化するのが面白い。

毎月の血液検査によれば、患部は治療開始の約3か月前より、かなり小さくなっているはずだ。なにしろ、主治医もびっくりの特大だったからなあ。ちったあ小さくなってくれなくては、治療のやりがいがないというものだ。

モンダイは、転移があるかないか、ってこと。

この間に、肝臓に薬の副作用が出たため、転移抑制の薬を1か月半ほど休んでいたし。

はて、どうなるか。

2020/07/15
癌治療4回目。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/07/post-10a395.html

 

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