「健康な生活」と「規則正しい生活」。
2,3日前、ツイッターのおれの投稿に、あっこさんから「さっき八王子界隈を運転中、急にエンテツさんのことを思い出し!薬1種2錠……なんとなんとと驚いてるとこです。メシくってますか!?」っていう返信があった。
「運転中…」って、どういうことだと思いながら返信した。
「ローカル焼き鳥屋が目に入る→秋津→エンテツさんという流れなのです!」ということだったらしい。
もうおれは酒は飲んでないし、ノンアルビールで酔っているというのに、一度定着したイメージは強力だ。
おれは「おかしなことに、これまでになく「規則正しい生活」で、酒抜きでメシもちゃんと食べ、世間的に最も健康な日々なのであります」と返信して、そういえば、こんなに「規則正しい生活」は、高校卒業以来ではないかと気づいた。
だいたい、ルーズな好みもあって、不規則でだらしない生活が長かった。
ところが、「病気」という「不健康」のおかげで、規則正しい食事、規則正しい服用、規則正しい睡眠、規則正しいウンコ…、じつに規則正しい。
さらに、薬の副作用(主に骨粗鬆症)抑制のために、毎日30分以上の歩きをしなくてはならない。
買い物ついでにやっていたのだが、暑くてたまらんから、一週間前から早朝にした。生来のなまけものだから、目的意識はなく、目が覚めたらという成り行きまかせのつもりだったが、いまのところ5時半から6時ぐらいに目が覚めるので、続いている。
これ、世間一般でいうところの「健康な生活」のイメージではないだろうか。
でもおれは「健康」ではなく、「病気」が進行中なのだ。その抑制の生活が「健康な生活」ってことなのだ。「健康体」ではないからの「健康な生活」。「健康な生活」が支える「不健康な身体」、なんだかややこしいパラドックスだ。
というぐあいに考えるていたら、「健康」にも、いろいろあることに気づいた。
いまのおれの「健康な生活」は、かなり厚労省的だろう。
もし、経産省的に考えれば、もっと経済や産業に貢献し、経済的産業的利得が関係する「健康」になるだろう。
日本では地味な存在の、環境省的「健康」もあると思う。エコロジー的な「健康」は、これからの大きな課題といえるか。
文科省となれば、やはり文化的芸術的科学的な「健康」ってことになるだろうが、どうも不健康な権威主義が目立つ。
そうそう、農水省的な「健康」もある。これは厚労省や文科省や環境省や経産省などもからみ、とてもやっかいだ。どうするんだ、「和牛」や「米」と「健康」は。
防衛省的「健康」は、イメージがわきやすそう。
しかし、少子化の人口減、これは日本国の「健康」の危機だろう。もはや「ステージ4」どころではない、癌なら末期だ、とんでもない「不健康」に陥っている。大災害と同じではないかと思うが、みんな割と平気のようなので、おれの考えすぎかと思ってしまう。
まさに日本国という「不健康な身体」を支えるために、人びとの「健康な生活」が求められている。
沈む泥船の中でも、今日のいのちをつなぐ生活があるし、大事なのだな。そして「国」という泥船は沈んでも、人びとは生きるであろうことは、たくさんの歴史が証明している。あまりにも犠牲が大きいけど。
と、「健康」については、まだまだいろいろな見方が成り立つ。
早朝の歩きコースは、近所の芝川や見沼代用水西縁などに沿った遊歩道であり、毎朝、けっこうたくさんの人たちがウォーキングやジョギングをしている。見たところ60代以上が半分ぐらい。子連れ家族もいる。犬の散歩もある。みんな、どんな「健康」を考えているのか、インタビューしたくなる。
いまどきの「健康ブーム」の傾向は、いつごろからだろうか。健康基本法のころからのブームはあったと思うが。「ポスト近代」あるいは「ロスト近代」「ノンモンダ」と何か関係あるのだろうか。
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