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2020/08/26

やっぱりリストは面白い。『本のリストの本』(創元社)。

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この奥付の発行日が8月30日の本は、南陀楼綾繁さんからいただいた。3日ほど前に届いたのだが、すでに本屋に並んでいるらしい。

南陀楼さんは、共著者の一人であり、ほかの共著者は、書物蔵さん、鈴木潤さん、林哲夫さん、正木香子さん、のみなさんだ。

林哲夫さん以外は存じ上げないのだが、帯には「本を愛してやまない五人の著者が、「本のリスト」をめぐってそれぞれに文章を寄せたエッセイ集」とある。

これは面白い。

面白くて、そういえば、おれは「リスト」を見るのが好きだったのだと思い出した。「思い出した」ぐらいだったから忘れていたのであり、そのていどの「好き」であり、南陀楼さんやこの本の著者のみなさんのように「変態」と称賛したいほど「好き」なわけじゃない。

だけど、この本の「リスト」を見てコーフンしたし、やっぱり、リストは面白いな~、と思う。

いくら見ていても、飽きない。

飽きないのは、リストだからだ。

たとえば、本屋の棚で本のタイトルを見て、面白ソ~と思って、手に取ってパラパラ見たら、ナーンダというようなことがあるでしょ。タイトルだけなら興味をひかれるのに。

このタイトルだけが並んでいるだけの(つまり本屋の棚はそういうものだけど)価値、リストの面白さは、中身を知らない面白さ、勝手にイメージする面白さではないかと思う。

勝手にイメージできるから、飽きないのだ。積み木を、いろいろにこねくりまわして楽しむように。

食堂の「当店で提供できる料理のリスト」も、そういう楽しみがある。

と、おれは思っているのだが、この本には著者のみなさんのエッセイがあっても、それを読まずに、いくつものテーマに分けられて載っている本のタイトルのリストを見ているだけでも、飽きない。

いや、そのテーマのリストだけでも面白い。

「名曲喫茶に積まれていた本のリスト」
「マンガの中の本棚に描かれた本のリスト」
「子どもに媚びない絵本のリスト」
「調べ物をする人のための本のリスト」
「本好きの女性が手紙で注文した本のリスト」
などなど40本?のリストが。(こちらの目次を見てくださいよ→https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=4128

だいたい、「タイトルが同じ書体の本のリスト」なんてのがあるのだが、そういうふうに、本の中身など関係なく楽しめるのも、リスト、ならではだろう。

たとえば、この「タイトルが同じ書体の本のリスト」は、「タイトルに「食卓」という単語が含まれて、石井明朝体ニュースタイルが使われた本を集めてみた」というものだ。「石井明朝体」なんて知らねーよ。そのマニアックな変態ぶりに、楽しくなる。

南陀楼さんは、「はじめに」にあたる「リストから読書ははじまっている」で「本のリストを読む面白さは、とくに目的を持たずに本屋や図書館の棚を逍遥(しょうよう)しているときの気分に似ています」と書いている。そのとおりだと思う。

リストと同じようなものに「目録」がある。

おれは以前よく図書館へ行って、『大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録』を見るのが好きだった。「目録」だけど、雑誌の記事の見出しだけがズラズラズラ並んでいるリストだ。

それを眺めていると、その年代の世間の有様が浮かび上がるようで興味はつきない。南陀楼さんが指摘のように「リストを読むことは、目的のキーワードを入力すると結果が得られる「検索」と、似ているけれど根本的に違う行為」なのだ。

予測できない偶発的な発見にいたる面白さがある。

ってわけで、『大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録』については、けっこうコピーをとって持っている。何度見ても、新たな発見があるのだ。

そういう面白さでは、あまり整理はよくないが専門的な蔵書が多い団体や企業などの閉架式の図書館や図書室で、図書カードをめくるのも、リストを見るのと同じだね。

ある必要なテーマや必要なタイトルを求め、カードをめくっているうちにまったく関係のないカードも見ることになるわけで、すると何だか気になるカードが目に止まり、調査の脇道にそれてしまうなんてことは、マーケティング屋をやっているときによくあった。

とにかく、この『本のリストの本」は、早速、枕元本になった。

リストは、順番に読む必要がないのもいい。

だけど、夏目漱石の「猫」は妻にふんづけられて死んだ、なんていう悲惨なことが書いてあるエッセイを読むと、ついついエッセイを順番に読んでしまう。著者のみなさんの目の付け所が、あまりにも自分とは違う世界で、面白かったり。

冒頭に、「私を作った十冊の本たち」(エンテツ注=「本たち」に「リスト」のルビ)ってのがあって、著者のみなさんが、それぞれ十冊あげている。

「私を作った」なんて、おそろしいことだ。

でも、このうちおれは何冊読んでいるだろうと数えてみたり、おそるおそる、おれの十冊なら、どんなリストになるだろうと考えてみたり。

あるいは、このテーマならおれはこういうリストになるナとか、おれならこういうテーマでこんな本をあげるナ、と、本好きでもないし、たいした本を読んでないおれでも、どんどん楽しめちゃうのだった。

それにしても、こういう本をつくりだす人たちの情熱?はんぱじゃないね。

強いてこの本にケチをつけるとしたら、「おれをダメ人間にした本のリスト」とか、「本が嫌いになる本のリスト」といった類のものがないことかな。

リストの面白さは冗長性にあると思うし、ネット検索の効率になれて、冗長性を失った文化は貧しいし退屈だ。

当ブログ関連
2018/08/11
奇妙な情熱にかられている人による、奇妙な情熱にかられている人たちの本。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2018/08/post-b522.html

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