「食べること」 ヨシカさんの場合。
2020/08/21「カフェ「食事・喫茶 ハナタカ」の場合。」https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/08/post-31d8b4.html では、「食事と喫茶 ハタナカ」について、客の一人である加藤のぞみさんはどう考えているかを紹介したが、店主のヨシカさんは食事について、どんなことをいっているか、どう考えているかについて書くのを忘れてしまったので、書いておく。
たとえばだが。
「ハタナカ」を開店する前に勤めていた会社で、ヨシカさんは孤独だったけど、篠宮さんという会社で一人だけ役職つきの女性と食事に行くようになる。その篠宮さんがあるとき、ヨシカさんが担当している地域に「雑誌に載っていた良さそうな洋食屋があるのだが、どういう感じか?」と訊ねる。
するとヨシカさんは「端的に、脂っこいけどしんどいときにいいですよ」と答える。
そして、篠宮さんは「実際に疲れている時に一人でそこに行ってみて、すごく良かったから、今度給料日に行こうよ」とヨシカさんにいう。
また「ポースケ」の当日の食事会に出す食事は、ステーキにハッシュドブラウンポテト、バターとグレープのジャムを添えたトースト、オレンジジュースか牛乳、ワインかコーヒーか紅茶、である。
ヨシカさんは、こういう考えで選んだ。
「ただひたすらがつがつ食べられそうなものを選んだのだった。食べて、端的に、明日の活力になりそうなイメージのものがいいと思った」「善良な小市民である自分たちは、それを食べて明日も生きるのだ」
客たちは、がつがつ、平らげた。
とかく、こういう食事や大衆食堂の食事などは、「男めし」などといわれたりした。おれも「男めし」という言葉を使ったことがあると思う。
だけど、働き、食べ、生きる生活に男も女もない。
その生活から食べ物だけを取り出して、品定めのようなことをしている習性の中では、食べ物に「男」や「女」といった属性を与えたくなるかもしれないが。
ヨシカさんは、そんな考えは持っていない。
「食べる」ことは「食べ物」だけじゃない。食べるワタシがいる、ワタシの生活がある。しんどいときには、それなりに良い食べ物がある。
働く生活には、それなりの良い食べ物があるし、「がつがつ食べる」ことも良いし、美しい。
ま、大衆食堂の食事なども、そういうことだ。
「食べる」ことから「食べ物」だけを取り出して、「飲食店」という実験室で味見をするように食べ比較し品定めをすることは広く行われていて、それがアタリマエのような雰囲気もあるけど、それは、メディアをめぐる消費の世間のことで、実態としては、今日も生き明日も生きる日々の暮らしでは、さまざまな「食べる」が存在する。
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