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2020/09/28

「喜寿」といわれる77歳。

今日は誕生日だ。

とくに書くことはないから、過去10年のあいだ、9月28日の誕生日にはブログにどんなことを書いていたか調べて、リンクをはることにした。

28日に何も書いてない年もあるし、ただ何歳になったとふれるだけで誕生日に関係ないことを書いているというのもある。

もともと小さい時から「誕生日」を意識する機会が少ない育ちだったともいえる。

高校卒業するまでの家族や友達のあいだで、「誕生祝」のようなものがあった記憶もない。もちろんプレゼントなんてのもなく、「今日はテツオの誕生日だぞ」と親にいわれるだけだった。

誕生日だから、あれ買ってくれ、これ買ってやるなんていうことはなかった。

学校の友達のあいだで誕生日が話題になることもなかったと思う。

という体験からすると、誕生日にパーティーだのプレゼントだのと騒ぐのは、日本にアメリカ型消費主義をうえつけ日本人のタマシイを骨抜きにしようというアメリカテイコクシュギと占領軍の戦略的インボウの結果なのだ、と主張する「美しい日本」のインボウ論者がいないのは不思議だ。

とにかく、2010年9月28日は、少しばかり誕生日らしいことを長々と書いていたので、一部を引用しておくことにする。

2019/09/30
明日から消費税10パーセント。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2019/09/post-484c9f.html

今日で、おれが76歳になった9月が終わる。

2018/09/28
円盤企画「URCレコード全部聴く会」6回目。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2018/09/urc-9a3d.html

もう75歳になったおれ。

2017/09/28
グルメと政治。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2017/09/post-c487.html

今日は74歳の誕生日なのだが、今日召集の194臨時国会の冒頭で安倍首相が解散という手に打って出て、大騒ぎになっている。

2016/09/28
19日のメモ。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2016/09/19-c4a1.html

2013/09/28
古稀。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2013/09/post-cc2d.html

70歳になった。

2010/09/28
4分の3、残り4分の1。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2010/09/post-93d2.html

9月も終わる。これで1年の4分の3、イコール75%が終わるのだ。あとの4分の1、イコール25%なんか、アッというまに過ぎるだろう。ようするに、今年は、もう終わりに向かって突っ走るだけ。今年も、そのように、終わるのだ。

おれは今月で満67歳だが、これでおれの人生の何パーセントを消化したのかは、いつ死ぬかということがわかっていないので、わからない。ただ、これで4分の3を消化したのだとしたら、何歳で死ぬかの計算は簡単だ。約89歳。

しかし、おれは、とても89歳までは生きられそうにない。かりに89歳まで生きたとしても、あとは今年の残り3か月を消化するように、アッという間に終わるのだ。ましてや89歳まで生きないなら、残りは1か月分か2か月分か、てなものが素早く過ぎていく。1か月に相当するのは、7歳数か月。どのみち、アッという間に終わる。

という計算はできても、なんにもならない。

もっと、おれのことを大事にしろよとか、もっとおれの本を買えよとか、もっとおれに書かせて、もっとおれに酒を飲ませて、悔いのないようにしろよとか、もっとおれとデートしないと一生後悔するぞとか、言ってみたところで、なんにもならない。

そんな、67歳なのですね。

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2020/09/20

MRI検査、きつかった。

18日金曜日は、午後3時からの予約で、MRI検査だった。

あらかじめ今回は全身の検査なので1時間かかるといわれていた。ベッドに固定され、電子レンジの中で1時間ってことだ。

前回は患部のあたりだけだったから、30分かからなかった。あれが1時間かと思ったが、あまり実感がわかなかった。

やってみたら、固定されての撮影そのものは50分だったが、かなりきつかった。

MRI、病院の診療費明細書には「磁気共鳴コンピュータ断層撮影」とあるやつだが、ウーガービビビゴゴゴダダダ…いろんな音と振動の磁場に突っ込まれて50分、固い板の上で身動きできない。眠気がさしても、耳栓しているのに、音がひどくて眠れやしない。拷問だ。

正確には「全身骨MRI検査」といって、担当の方も、この検査はきっついんですよといっていた。

疲れ果てて帰って来た。

翌日まで疲れが残った。

全身といっても、首から下であり、検査の焦点は骨転移。このあいだのCT検査で微小の骨転移が3か所見つかったので、この検査になったのだ。

すでに骨転移抑制の注射は2回しているのだが。開始が、最初の薬の副作用が肝臓に出たため、予定より2か月遅れた。

主治医による診断は、連休の影響で、予約は来週になった。

1か月のあいだに4回も病院へ行くことになる。落ち着かないね。

金もなくなるし。

2020/09/10
癌治療6回目。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/09/post-e8975e.html

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2020/09/10

癌治療6回目。

一昨日8日は、定例4週おきの通院日だった。

大騒ぎだった10号台風は、大騒ぎしたかいがあってか、いくらか予測がはずれて弱まったこともあってか、大きな被害はなかったようだ。とはいえ、小さい大きいに関係なく被害は、変事であり大ごとにはちがいない。

残暑が厳しい朝。ペットボトルの水で水分補給しながら、9時半ごろ病院に着いた。

手の消毒と自動の検温をすまし、自動の外来受付で受付をすまし、毎月初回のときの保険証チェックを受け、採血と尿検査の窓口で待つ。待っている人は少なく、15分ぐらいで呼ばれる。

まいどのことでスルスルとすんではいたのだが、診療の待合室で腰かけ、なんとなく採血をされた左腕のひじのあたりを見たら、血止めに貼られたカットバンが血でぐちゅぐちゅ濡れ、腕に流れた血が乾いた跡がある。あれっ、と思ってよく見たら、Tシャツの左下に、血がポタポタ3か所ほどたれて滲んでいる。

採血のとき、いつも「どっちの腕にします」と聞かれると、おれは「どっちでもいいですよ」という。すると、たいがいの看護師さんが、揃えた両腕のひじの内側を見て、血管の浮き出ているところをちょちょと指先でふれ弾力をたしかめるようにして、針をさす血管を選ぶ。

左腕に一か所、よく浮き出ている血管があり、針をさしやすいのだろう、看護師さんはそれを選ぶことが多い。7割ぐらいの確率でそうだ。

今回も、そうだったのだが、そこだと、針を抜いたあと血がよく出るのだ。よく浮き出ている血管は、血の圧力があるのだろうか、そこだけ皮膚が薄いことも関係するのか。もう針をぬいたすぐあとの血の出かたがちがう。

おれは、いつもそれがわかっているので、止血のカットバンではなく厚めのガーゼを絆創膏でとめてもらっている。だけど、このときは、たしかに針をぬいた瞬間、血がぷくっと出たのだが、カットバンを貼ったときに血が滲むことなく、点になって止まったように見えたから、カットバンを貼る手際がよかったのかな上手な看護師さんだなと思い、そのまま処置室を出て、気にしていなかったのだ。

ま、そんなことがあったりして、11時ごろに診察になった。

まずは血液検査の結果。

異常に高かった癌の数値は、調子よく低下の一方で、基準値以下になっても低下を続けていたのだが、今回は前回より上昇していた。

初回117.50 2回目4.19 3回目1.29 4回目0.77 5回目0.57 そして今回は0.61

主治医は、まだ下がり続けると思っていたらしく、「上がり下がりがあって落ち着かないのかな」というようなことをいった。

おれの癌は落ち着きがないのか。

主治医は、できたら0.0以下にしたいのだという。

って話から、前にもあった、癌の個性の話から「おれの癌の個性」の話になった。

「型通りにはいかないのよね~」

ようするに、いろいろ手を打って反応を検証しながら進むのだ。

それに骨転移のことがある。前回も見た、CTスキャンの画像で微小な骨転移を確認し、治療法についてああだこうだいろいろ話しあった。

おれは、「転移」のことがよくわかっていなかったようだ。

つまり、転移した癌細胞は、もとの「原発巣」といわれるところの癌細胞と同じであり、原発巣に対する治療は、同時に転移した癌への治療でもある、というのが、おれの目下の治療法における、「原理」あるいは「構造」らしいのだ。

骨転移したからといって、骨に新たな癌が発生したわけではなく、もとの原発巣の癌細胞が血流にのって骨に流れついた。そういえば、以前に、そういう話を主治医から聞いたが、いまいち飲みこめていなかったらしい。

たとえば、肺が原発巣の肺癌の細胞とよそから肺に転移した癌の細胞は違う、ってことなのだな。

だから、おれの場合は、原発巣に対する注射と、今回から復活した服用、そして骨転移抑制のための注射(これは、簡単にいってしまえば癌から骨を守るためのものといえそう)ってことで進んでいるわけなのだ。

てなことで、ああだこうだ話しあって、それから、そうそう、最初から2か月続けていたが、肝臓の数値が悪化したので中止していた、服用の癌対処を今回から復活することになった。

肝臓の数値は、かなり改善された。ただ肝臓の数値に一つだけ、骨転移に関係するものがあり、これがまだ基準値を少しだけ上回っている。

ってわけで、ああ書くのがメンドウになった。

とにかく前回と今回、骨転移抑制の注射をしていることもあり、その効果を検証するためにも、ほぼ全身のMRI検査をやることになった。骨転移については、血液検査だけではわかりにくいのだ。

MRIで一日、その結果にもとづく診察のため一日、今月はもう2回病院へ行くことになった。

やはりステージ4というのは、なかなか手強く、なかなか落ち着かないのだな。

処置室で、腹部と腕に、それぞれ皮下注射をうち、会計をすまし、薬局によって薬をもらったら1時だった。

後期高齢者保険で1割負担でも、薬代こみで一回の医療費が9000円ってのは、こたえる。病気より経済で死ぬかも。

2020/08/14
癌治療5回目。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/08/post-948fbc.html

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2020/09/07

紫外線浴歩き。

先月の13日(木曜日)から、早朝5時ごろに起きて近所を歩いている。

治療のため4週間ごとに2種類の注射をしているうちの1本が、骨粗しょう症の副作用の可能性があるため、その予防。それから、もう1本の骨転移抑制のための注射の効果を高めるためだ。

骨のメンテナンスには、紫外線とビタミンDが不可欠だそうで、1日に30分ぐらいは紫外線にあたる必要があるとか主治医にいわれ、素直に従っている。

つまりこれは「治療行為」なのだ。

本当は季節や時間帯などによって紫外線の量がちがうらしいから、だいたい、約、30分ぐらいってことらしい。

とはいえ、どこかでじっと紫外線を浴びているというのもツマラナイから歩いている。

早朝にする前は、毎日のスーパーの買い出しのついでに、少し回り道するなどして、往復30分ぐらい歩くようにしていたが、あまりに暑くなったので朝にした。

なにもがんばって5時に起きることはないのだが、なぜかタイマーをかけなくても、朝歩きをすると決めたら、5時前後に目が覚めるようになってしまった。仕事なら、こんなことは絶対ありえない。おれの身体、なにを張り切っているのだ。

日が昇ったあと5時半ごろに家を出て、遊歩道が多い近くの芝川や見沼代用水沿いを歩く。芝川に架かる二つの橋の、片方を渡り対岸へ行き、もう片方で対岸からもどり、ぐるり回ると約4キロだ。

最初は、早足で歩いていた。約30分ぐらいの速さだが、呼吸もジョギングのときのような感じになり、負荷がかかる。紫外線浴が目的だから、がんばることはない、40分ぐらいで歩くようにした。

8月の終わりごろになると夏バテもあってか、あるいは薬の副作用もあってか、少し身体がかったるいので、50分近くかけて歩くようにした。

一度だけ5時半ごろに小雨が降っていてやめたけど、7時ごろになったら雨がやんだから出かけたということがあった。あとは雲の多い日もあったが晴れていた。

雲が多いときは、紫外線の量はどうなんだろう。ま、厳密である必要はない。

今日は、出発の5時半ごろは雨が降りそうな空だけど降っていなかったから出かけた。気象庁が最大級の警戒を呼びかけた強力な台風10号が九州の西側を通った影響か、剣呑な雲行きで、コースの3分の2ほど行ったあたりで、急に強い雨に見舞われた。トツゼン降り出して、3分ぐらいでやんだのだが、その間にパンツの中まで濡れた。

日が昇る様子、ここ何日間は西の空に月も見えている、雲の形と動き、ときどき見かける芝川の鴨の群れ、橋の下の東大宮操車場の列車の動き人びとの労働の始まり、そうそう「我が世の夏」を謳歌していた蝉の鳴き声は頼りなく情けなくなり、しだいに虫の声が盛んになる移り変わり、いろいろおもしろい。

興味深いといえば、すれちがったり、追いこされたり、追いこしたりする、人びとだ。

毎日平均、50人ぐらいの人たちと遭遇しているだろう。

一人のひとが多い。犬の散歩の人もいる。ジョギングの人もいる。60代以上が4割ぐらいか。杖をついて身体を引きずるように歩いている人もいる。

みんなとても自由にやっている。

ひとり一人がおもいのままやっている。服装や恰好もおもいのままだ。

気が向けば、言葉をかわしたり、挨拶をかわしたり。立ち止まって長話に興じるおばさんたちもいる。急におかしな体操を始めるひと。

共有する情報は、直接的にはないし、知らぬだれかに批評されたり評価されたり、それをしあう関係もない。実際に、だらしない歩き方に見える人がいても、自由だ。

正しい姿勢だの、もっとキビキビ、かっこよくスマートにやれないのか、星一つ、とか、そういうことをアレコレいう関係はない。

人の目なんか気にしていない。

メディアが介在しない関係、あるいはメディアに毒されてない関係は、なかなかおもしろい。

人間とは、こういうものだったのではないか、と、考えることも多い。

皇居の周辺あたりで見かけたことのある、かっこいいジョギングやウォーキングの人たちとは、だいぶ様子が違うと思う。そのあたりのことも、おもしろそうだ。

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