いまさらながら残念、坪内祐三。
前に坪内祐三の訃報にふれて思い出したうろ覚えのこと、何の本にどんな風に書かれていたのだっけ、思い出せなくてしばらく気になっていたがいつの間にか忘れ、このあいだ図書館へ行ったとき坪内祐三の棚の前で、そうそうと思い出し、適当に本を取り出してパラパラ見ていたら、あった。
その見開きだけ、コピーしてきた。
「『東京人』といえば、バブル景気がまっ盛りだったその頃、私は、『東京人』の編集者として、一つのルポ企画を考えた。/もうすぐクリスマスが近づこうとしていた。その当時、若者たちのクリスマスイブの夜の過ごし方を、雑誌が煽った」
「特別ではない大学生たちも、当時話題のベイ・エリアのお洒落なシティホテルでその夜を過ごした」「都内の高級レストランやバーで、その夜を共にするカップルはたくさんいた」
そう、あのバブルの頃は、おれはもう40半ばのおじさんで、そういう若者たちを妬み「「性夜」になってしまった「聖夜」」を嘆き悲しんでいた。キリスト教なんか知ったことじゃなかったが。
坪内祐三は、
「しかし、そんな若者だけ(「だけ」に、傍点)ではないだろうと私は思った。/昔のように、あまり金持ちでない(つまり、バブルの恩恵にあずかっていない)、若いカップルもきっといるはずだ、と私は思った。そしてそういうカップルは、しかしクリスマスイブの夜のささやかな幸福を求めて、例えば、後楽園のアイススケート場にいるかもしれない、と私は夢想した」
だけど、その企画は実現しなかった。
ライターに声をかけたけど、相手にされなかったのだ。
その頃のフリーライターは、バブルの恩恵に大いにあずかっていて、編集者の誘いだからといってとびつくようなことはなかった。たぶん、恩恵のある方だけを見ていたにちがいない。消費扇動のマガジンハウスの雑誌とは違う傾向だった『東京人』あたりに群がるフリーライターでもそうだったようだ。
この話は、『東京』(太田出版2008年)の「後楽園界隈」にあって、どうもおれはこの本で読んだ記憶がないのだが、でも、おれの印象に残っていた坪内祐三は、こういうことを書いていた。
「しかし、そんな若者だけ(「だけ」に、傍点)ではないだろうと私は思った。/昔のように……」、こういう見方ができる、これは坪内祐三のばあい「センス」といっていいだろう。これが、おれの坪内祐三の印象だった。
ほかには、坪内祐三については何もなく、「ま、東京のお坊ちゃんだね」というぐらいの感想を持ったことはあると思うが、良くも悪くもなく、どうでもよく、本は一冊も持ってないし、雑誌などの連載をときどきと図書館で新刊をパラパラ、読むていどだった。
うろ覚えのことだったけど、見つかってよかった。
こういう「センス」が、近年いろいろなところで不足していると思うし、ますます必要だと思うだけに、坪内祐三の死が、いまさらながら残念なのだ。
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