癌治療7回目。半年ぶりに酒を飲む。
このブログはもはや「癌治療つまみぐい」とでもしたほうがよいようなあんばいになっているが、きのうは、7回目の治療日だった。
いつものように、入口で手の消毒と検温、自動再来受付、採血採尿そして診療。
1回目の治療の4月21日火曜日から、28日ごとの火曜日が、半年過ぎた。
町医者の紹介状を持って初めて、この総合病院へ行ったのが、3月31日火曜日だった。そのとき診察した医師が毎週火曜日の担当であったので、おれの診療はいつも火曜日になり(検査だけのときは別の曜日もあった)、おれの主治医として治療に関する重要な決定をすることになった。
50歳近いと思われるベテランで、おれのしつこい質問やトンデモ発言にもよく答えてくれる。タメグチをたたきながら、公平な見方で話し、表現も表情も豊か、なかなかたのしい。薬の効き方も、医者と患者の信頼関係が大事ということだが、良好な関係だったと思う。
とにかく、めでたく、酒が解禁になった。
先週の火曜日、MRI検査の結果の診断で、医学用語でいうところの、いわゆる「寛解」が確認できたようだったが、肝臓の問題がどうか、きのうの血液検査で、念を押したという流れ。
「寛解」というのは、「症状が落ち着いて安定した状態」であり、治ったわけではない。
これ以上よくはならないが悪くもならない意味での「安定」というか。
癌の数値も肝臓の数値も横ばい、「このまま横ばいってことですかね」とおれ。
「そうですね、もう少しはよくなると思いますが、このへんであがったりさがったりですね。MRIの画像がよかったから、少しぐらいの数値の変化は心配ないでしょう」と主治医。
とりあえず、薬が効いて症状が安定した、やれやれ、酒も飲む普通の生活でいいぞ、ってことなのだ。
「深酒はいけませんよ」といわれたが、それはもちろんおれだって願い下げだ。
もともと「ステージ4」で「完治はない」といわれ、それを前提に選んだ治療法で、半年のうちにここまできたのだから、成績にすれば「優」だろう。
毎日、朝昼夕の食後に1種2錠ずつ飲んでいた肝臓の錠剤もやめて、様子をみることになった。
今日から飲み薬は朝食後の2種2錠だけ。
ひとつは、癌細胞の増殖を抑制するため、癌細胞に直接働きかけるのではなく、「エサ」(増殖を促す内分泌分子)の供給を抑える。もうひとつは、患部の機能を維持するためのもの。
この2種の錠剤と、28日ごとの注射2本で、いけるところまでいく。そのうち効かなくなる薬もあるとのことだが、そしたら薬をかえる。ってことで「生」を続ける。
3月31日からやめていた酒が飲めるようになっても、それほどのうれしさはなかった。飲みたいのを我慢していたわけではないからだろう。ノンアルビールでけっこう満足していたいし、酒への興味は、「無関心」といってよいほど、うすれていた。
45歳のときに急性肝炎で一か月入院したときの「アルコール渇望感」とは、大違いだ。トシのせいか? それだけじゃない気もするが、それはゆっくり考えてみることにしよう。
とりあえず、飲めるようになったのだからと、帰りにそのまま大宮のいづみや本店へ行った。3月20日すぎに行って以来だ。
コロナ禍対策をしっかりやっていた。おねえさんたちの「コロナ気をつけようね、ね、気をつけようね」という気持も感じる。「手の消毒お願いしますね」「ソーシャルデスタンスっての、よろしくね」と声をかけながら、おでこに検温器をかかげる、そのかいがいしい動きが、心地よいぐらいだった。検温器で検温される飲食店は初めてだ。
それから、おねえさんたちの制服が以前と変わって、いわゆる「カフェ」に立たせてもおかしくないぐらいの感じのものになっていたのだが、いづみやの空間でもかっこいいのが、不思議だった。これは、なかなかおもしろいことだ。
サッポロのラガーと肉豆腐を頼む。
ビールをコップに注ぐときは、さすがに頬がゆるんだ。
ぐっと勢いよく飲んた一口目、もちろんうまかったけど、さほどの感動はなかった。
それでも、気分は軽く、帰りの電車に乗った。
注射のあとは、夕食後に3日間つまり明日まで、副作用抑制の錠剤をひとつのむ。これが、アルコールとの相性が悪く注意せよとのことなので、酒は休むのが無難だし、無理して飲む気もない。
ゆっくり、清酒、焼酎、ワイン、ウイスキーなども、少しずつ試してみよう。もう酒にはあまり興味はないが。
今日の昼も、ノンアルビールを飲んでいた。
ノンアルビールはビールより安いけど、安いからといって慣れ親しんで飲んでいると、いつのまにか出費がかさむから、気をつけないといけない。
2020/10/01
MRI検査の結果。癌細胞が冷凍状態になった。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/10/post-edb003.html
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