「朝歩き」と朝の歌の記憶。
癌の治療のための注射2本のうち、最初の4月から打っている1本が骨粗鬆症の副作用の可能性があるため、紫外線浴をしたほうがよいと主治医に勧められた。
毎日30分ぐらいというので、食事の仕度の買い物がてら、少し遠回りすれば往復30分ぐらいになるから、そうしていた。
たいがい午後のことだ。
夏の盛りになったら、暑くてたまらん。紫外線、きつい。
8月中頃から早朝にした。
「治療優先の規則正しい生活」だったから、三食キチンと食べ、食後に薬を飲む。夕飯くって薬のんで寝るのが10時頃だった。目覚ましはつかわなくても目が覚め、5時か5時半頃から歩いた。そのあと朝食をすまし薬をのむのだ。
近くの見沼たんぼの芝川や見沼代用水西縁に沿ってある「ヘルシーロード」とか名付けられている歩道を一巡りする。コースのとりかたによるが、だいたい約4キロを40分ぐらいで歩く。
10月ぐらいからか、「治療優先の規則正しい生活」は解除になり、薬も朝だけになった。ま、「規則正しく」は続けたほうがよいのかもしれないが、「酒も飲んでよい普通の生活」になると、徐々に乱れ、以前の「普通」にもどりつつある。
寝る時間もしだいに遅れ、目が覚める時間もしだいに遅れ、日の出も遅くなり、6時や6時半から歩き始めることが多くなった。さらに、この数日は、夕食を夜の9時すぎから10時頃に帰宅する相方に合わせるようにしたので、寝るのも朝起きるのもますます遅くなっている。昨日も今日も朝歩きはやめて昼に歩いた。冷え込みが厳しくなったから、無理して朝の必要はない、紫外線効果からしても。
そのことではない。
朝歩いていると、早朝から飛び跳ねていた小さい頃を思い出した。小学校にあがる前までは、朝はうれしかった。
朝のラジオから聴こえてくる歌だ。
おれのうちにラジオはなかった。
おれが小学校にあがる前、ときどき長期間預けられた東京の現在の調布市にあった母の実家で、毎朝ラジオから流れていた。
その歌が、脳ミソにしみ込んでいた。
ラジオはNHKということも記憶にあった。
それが、朝の散歩の最中によみがえった。歩きながら口ずさんでみる。
覚えているうたは二つあった。
一つのほうが、どう考えても「労働歌」のようで、そんなのがNHKから流れていたのだろうかと気になっていた。
一番しか覚えていないのだが、こういう歌詞だ。
タイトルは「町から村から工場から」。
町から村から工場から
はたらく者の叫びが聞こえる
はたらく者が働くものが
新しい世の中をつくる
はたらくものこそ
しあわせになる時だ
われらはわれらは労働者
NHKが、ありえん。おれの記憶違いかと思いながらネット検索してみたら、記憶は確かだった。
「1947年のメーデー歌募集の入選曲で、NHKラジオを通して歌唱指導されたという、今では信じられんような生い立ちのある曲です。」と。
ほんと、信じられん。
1947年というと、おれは4歳だ。弟が2歳で死んだ年。占領下、ジープに乗った進駐軍。
そのころの母の実家の記憶は、割と鮮明に残っている。朝、その空気、そのうたが流れる部屋、ラジオがあった場所、味噌汁や配給のパンとバターのにおい…。庭には、途中まで埋められた防空壕があった。
無事に復員し仕事にも就いていた母の二人の兄が、戦地での罹病(マラリア)が原因で相次いで亡くなり、祖母の家の中が急に寂しくなった頃だった。ガランとした家の中に、祖母のほかは、おれより6歳上で一緒に育てられた従姉と、おれだけ。
ラジオから歌が流れる朝。
もう一つの歌は、「朝はどこから」で、これは疑いようもなく、清く正しく美しい日本のNHKらしい歌だ。
朝はどこから 来るかしら
あの空越えて 雲越えて
光の国から 来るかしら
いえいえ そうではありませぬ
それは 希望の家庭から
朝が来る来る 朝が来る
「おはよう」「おはよう」
あてにならないウィキペディアによると、「「朝はどこから」(あさはどこから)は、1946年(昭和21年)6月にコロムビアレコードから発売された日本のラジオ歌謡。朝日新聞の懸賞応募曲である。/作詞は森まさる。作曲は橋本国彦。歌は岡本敦郎、安西愛子。/1946年(昭和21年)3月、敗戦直後の日本を励ますため朝日新聞が健康的なホームソングを全国に募集したものである。そして、10526通の応募の中から一等当選歌となったものが、ホームソング「朝はどこから」と児童向きの曲「赤ちゃんのお耳」であった。」だそうだ。
「町から村から工場から」は、作詞=国鉄詩人編集部、作曲=坂井照子、1947年6月ビクターレコードから発売。
どちらの歌も、溌溂とした朝の歌だった。
しかし、「朝はどこから」と「町から村から工場から」のあいだには、しだいに溝ができ、深まり、広がり、「町から村から工場から」は排除され忘れ去られる歴史が続いた。
1986年「労働者派遣法」施行。1987年、「町から村から工場から」を生んだ国鉄は解体させられた。
拡大する労働者の受難。
「はたらくものこそ しあわせになる時だ」
そう願いながら、おれの朝歩き、続くか?
参照 うたごえ喫茶 http://www.utagoekissa.com/machikaramurakarakoubakara.html
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