東京へ行かなかった年。
とにかく東京へ行かなかった。
行ったのは、いつが最後か、調べてみた。
どうやら、3月12日のようだ。東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」の取材だった。これがこの連載の実質最終回になったのだが、そのことは以前に書いている。
2020/05/23
実質最終回 東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」90回目、荻窪・やしろ食堂荻窪店。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/05/post-c8373a.html
ここに、3月12日にやしろ食堂へ取材に行ったと書いてある。それが、最後だろう。
「この掲載日には、まだ続くつもりでいたが、体調は悪くなっていたし、食欲は急激に衰えていた。ちょっとぐあいの悪いところに思い当たることもあったが、たいがいは「老化」のせいだろうと思っていた。それが27日に医者に診てもらってから、急転、休載」
「シンドイ身体で、やしろ食堂荻窪店を訪ねたのは3月12日のことだった。すでに2月14日に「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」が設置され、イベントの中止や延期など、感染防止対策のいろいろな動きが「自主的」に始まっていたが、飲食店などの営業は変わることなく荻窪駅周辺もにぎわっていた」
その頃には「シンドイ身体」になっていたわけだが、それでもまだ、「いまだかつて出合ったことのないボリューム」のカツ煮定食を無理しても食べられたのだ。
コロナ禍とおれの癌禍は、ほぼ同時進行的に悪化した。癌の治療が始まって主治医には、コロナに感染したら重症化まちがいないから、十分気を付けるようにいわれた。
それでなくても前年あたりから東京へ行く回数は減らしていた。それが病気に関係あったのかどうか、東京へ行くと疲れるし面倒になっていたからだ。後期高齢者というトシのせいだろう思っていた。
用がなければ、東京へ行きたいと思ったことはない。ま、東京の住人である誰かと一緒に飲みたいナ、と思うことが、まったくないわけではなかったと思うが、もともと東京の街自体には、それほど魅力を感じているわけではなかった。東京へ来るのがトウゼン、東京へ集まるのがトウゼン、東京のメディアはエライ、と思っているらしい東京の人間には、違和感があった。
「東京へ行かない暮らし」は、おれにとっては、かなりナチュラルでノーマルだった。
幸いなことに、東京へ行かないでも、生きている。
これ、「新しい生活様式」ってのかな?
もう一つ、例年と大きく違うことがあった。
外食が減ったのはもちろんだが、外食で「ラーメン」を食べたのが1度か2度ぐらいだと思う。これは、どういう必然が作用しているのだろうか。見当がつかない。駅近くにある日高屋や満洲ラーメンなどは、よく利用していたのに。「ラーメンを食べたい」と思うことすら、なくなった。
習慣というか惰性で続いていた味覚が、コロナ禍や癌禍で、途切れたようでもある。味覚なんか、けっこう惰性的だし、情報に追随的だからなあ。あらためて、そう思った。
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