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2020/12/03

「GoToキャンペーン」と「多幸症的消費」。

今日もまだ『スペクテイター』最新号「土のがっこう」の紹介ではない。

8月上旬開始予定を前倒しで7月22日から始まった、消費を促し「経済を回す」という「GoToキャンペーン」、日々感染拡大の波が大きくなっている中で、いろいろ物議をかもしている。

新型コロナ感染拡大が押さえ込まれたわけでもないのに、なんで前倒ししてまで拙速に始めたのか。また「世間の空気」も、そこへ雪崩れ込んだのか。ということなどを突っつくだけでも、いろいろ出てきて、すでに取り沙汰されていることもある。

おれなりにチョイと気になったことのメモ。

「GoToキャンペーン」は、国土交通省所轄の「トラベル」と経産省所轄の「イベント」と農水省所轄の「イート」が三本柱だ。

「イベント」が文科省所轄ではなく、「イート」が経産省所轄でないあたりは、なかなか味わい深いものがあるが、そこは目をつむりこの三本柱を見ているうちに、あの、昭和の、「三種の神器」を思い出した。

「新三種の神器」といわれるものもあった。

工業社会時代の高度経済成長の消費を牽引したモノたち。モノが消費を喚起した時代だった。

ところが、いまでは、「トラベル」と「イート」と「イベント」が、消費を牽引し景気を刺激する「三種の神器」になっているのだ。

どんな旅行、どんな飲食、どんな芸術やスポーツ、それがステータスにもなる。

これ、見方によっては、セツナイことだと思うけど、そういう気配はあまりない。ポジティブで楽天的。

いい旅、いい飲食、いい芸術やブポーツに酔って、いい気分になってきた。

そして、「GoToキャンペーン」。

指摘している人も多いけど、いまの政府には、これ以外の策がないというのも、かなりセツナイ。

さらにセツナイことがある。

嬉々として、このキャンペーンに乗っているひとが少なくない様子は、ネットでよく見えるのだが、その様子がまたセツナイ。

たいがいは「お得」つまり「コスパ」のよさを強調し、高級で上質のものが、この安さ!信じられん!あそこも行った、ここも行った、もっと行く、といったメッセージが圧倒している。

インスタ映えも競いながら。

日頃がそんなにリッチでもセレブでもないのだから仕方ないけど。比較的余裕のある層がこれではなあ。

もっと、その、何か言いようがないのか、言葉はどうした。文化の貧困化?

このさい、禍を福となすため、旅行や飲食やイベントなどの文化の充実と向上をはかり、文化が経済の礎である自覚を高めよう。なーんてことは、まったく感じられない。

金と時間に余裕のある「市民」だけが、嬉々としてガンガン消費し、片方には「奴隷的労働」の人たちが取り残されている。

上機嫌な「市民」と耐える「奴隷的労働者」。

「GoToトラベル」の利用者ン千万人といったって、「延べ」のことだ。同じ人が、何回も何日も利用している。

「GoToトラベル」を「原因」とする感染拡大は、ほんのわずか、といった「説」もあるが。

感染の機会は、そういう数値ではかれるものではない。マスの統計で、陽性確率ン%といったって、それは昨日までの過去のことだし、マスではなく個人レベルの明日のことになれば、いつだって、「感染するか/しないか」しかない。

そういう「数値」の判断の仕方については、さっぱり話題にならない。これだけ日々数値を使いながら目にしながら、数値の見方については、イロハすら向上してないかのようだ。

分母がバラバラのまま平気で比較したりとか。

当然、論理はメチャクチャで、対策は中途半端になる。

とかとか、あげると切りがないほど、今回の「GoToキャンペーン」からはいろいろ見えてくる。

なんといっても、おれが強烈に感じたのは、1980年代から拡大した「多幸症的消費」だ。

じつは、この言葉を忘れかけていたようだが、思い出した。

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」なんておだてあげられた工業社会の高度経済成長が折れたあと、80年代以降の「多幸症的消費」を担ってきたのが、「トラベル」と「イート」と「イベント」だと、あらためて感じた。

「IT立国」も空念仏で終わったしな。

多幸症。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説(https://kotobank.jp/word/%E5%A4%9A%E5%B9%B8%E7%97%87-1558876)から引っぱると。

「感情ないし気分の障害であり、上機嫌ともいう。客観的状況にそぐわない空虚で無内容な爽快(そうかい)な気分状態である。あらゆることに楽天的で、苦にせず、その背景には、人格の水準低下が想定される」

「多幸症的消費」は、80年代のバブルの頃、バブル批判としてよく言われたけど、すっかり定着してしまったらしい。

ま、メディアを動員して「多幸症的消費」を煽ることで、「経済を回し」てきたのだからなあ。

「経済を回す」なんていう言い方も、「人格の水準低下」のあらわれだと思うが。

だってさ、「経済を回す」って「金を回す」って意味だけでしか使ってない。「経済」とはそういうものか。

「GoToキャンペーン」は、コロナ禍を、「多幸症的消費」で克服しようというのだ。

それじゃ、ほんとに「多幸症」になってしまいそうだ。

年末、いつもの年なら、「多幸症的消費」が絶好調になる。我を忘れるように。

「家飲み」で、コロナ禍という「客観的状況にそぐわない空虚で無内容な爽快(そうかい)な気分状態」にでもなるか。

 

 

 

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