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2020/12/17

ブリコラージュな「やきめし」。

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今年は「分解」という言葉を抱えて、考えたり考えなかったりしていることが多かった、といえるようだ。

なんとかこの言葉を噛み砕いて自分のものにできないか。

このブログには、こんなことも書いている。

2020/10/19
料理や食事と、エンジニアリングやブリコラージュ。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/10/post-197393.html

んで、大衆食堂の画像を整理していたら、十条の天将の「やきめし」が目にとまった。

この「やきめし」、これはブリコラージュではないか。

やきめしの楽しさはブリコラージュにあるとひらめいた。

あまりものをテキトウにぶちこんで作る「やきめし」、うまいんだな、これが。おれが父親に最初に教わった料理が「やきめし」だった。

ひらめいた脳ミソに「パッチワーク」という言葉も浮かんだ。そうだ、パッチワークはブリコラージュ、やきめしはパッチワークでありブリコラージュだ!

そうそう、藤原辰史『分解の哲学』には、「金繕い」の話があったな。あれも、同じ類ではないか。

と考えているうちに、だんだんだんだん、見えてきた。

料理は、食材や熱や欲望などいろいろな関係を繕うものであり、その料理を食べて人間は身体や気持を繕い、料理を一緒に「食べる」ことで人との間を繕い……てなぐあいに、「繕う」という言葉を置いてみると、食事と料理をめぐるブリコラージュが、「分解」が、見えてきた。

ような気がしている。

「料理」について、大きなカンチガイがある。

それは、エンジニアリング力で提供される「いいもの」を消費する、近年の「消費社会」の中で、拡大してきた。

一方で、やせほそるブリコラージュ力。つまり、「家庭料理」という言葉で語られるところのいろいろ。

この「やきめし」を見ながら、そう思った。

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