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2021/01/28

1993年頃考えていたこと書いたこと。

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いろいろ整理していたら、こんなのが出てきた。

まだライター稼業の前、ライターになる気もない頃のことだ。

ひとつは、復刊一号・一九九三年三月号とある『イマジン』。「編集発行・遠藤哲夫(住所不定風来坊橋下人間)」とある。

もうひとつは、『大衆食研究』一九九三年十一月号、「大衆食研究会 制作発行責任=遠藤哲夫」。

『イマジン』は「「女の台所からの解放」「女の社会進出」への疑惑」のタイトルで、「浮かばれない女と料理」「「女性解放」は考え直そう」「家庭料理からの出発――そしてカレーライスのすすめ」の小見出し。

以前本にも書いたと思うが、おれが江原恵さんと生活料理研究所をやっていたころ、江原さんの『カレーライスの話』が三一書房から発刊された。その内容を改訂したい、ついては江原さん監修でおれが執筆でお願いできないかという話が担当の編集さんからあり、少しずつ進んでいた。

その最中に、これも以前本に書いたと思うが、打ち合わせ中のふとした話から、先に大衆食堂の本をつくることになった。

それが、ちょうどこの3月から11月の頃だと思われる。

「大衆食」という言葉をおれが公(といっても狭い範囲だが)に使ったのは、これが初めてかもしれない。

どのみち、中身は、自分が考えていることを、当時ふらふら持ち歩いていたワープロ専用機で文章をつくり、コピーし折って綴じて、知人たちに送っていた。「風来坊」なんてかっこうつけているが、転々とした生活の中の生存連絡といったものだった。

とにかく、『イマジン』から「浮かばれない女と料理」「「女性解放」は考え直そう」を、まんまここに転載しておこう。

あの頃は、ちょうど50歳、こんなこと「も」考え、こんな文章「も」書いていた。

 

■「女の台所からの解放」「女の社会進出」への疑惑■■■

●浮かばれない女と料理

 ほんとうはカレーライスの穿竪をしていたはずだった。ところがカレーライスをつついているうちに、その奥に「女」がちらつきはじめた。気づいてみれば、なーんだ、ということなのだ。カレーライスは日本の家庭料理だし、家庭料理というのは女がつくっていたのである。
 そこで「女性史」に関する何冊かをのぞいてみた。そこに料理があるのではないかと思ったからだ。しかし「ふつうの歴史」とあまりかわらないのである。極端な言い方をすれば、主人公が女になっただけである。これまでの男たちが政治だ経済だ世界だ国家だと騒ぎまくる事大主義はそのままらしい。これは女を軽んじてきた男の歴史の方法そのままではないか。
「食事のしたくは女がするもの」という通念があるほど、女性は日本料理の歴史を担ってきた。女性史では、料理が大きな比重を占めているだろう。ふつうの歴史とちがってそうであるはずだ。こう思っていた私は、肩すかしをくらった。
 社会と生活の現場にいた人々、大部分の女たちの歴史は、女の歴史のなかでも浮かばれないままなのだ。これはかなり奇妙だし、おかしいことではないか、という考えにとらわれてしまった。
 問題は女だ。女たちはこんなことで満足しているのだろうか。女は進歩したのだろうか。女たちは、家でカレーライスをつくることから解放され、男の世界だった料理屋や鮨屋に出入りできるようになって、それが進歩だと信じているのだろうか。カレーライスから始まってたどりついた疑問がこういうことだった。もちろん、これは女と背中合わせの男の問題でもある。
 カレーライスは、ここがこの料理のおもしろさのひとつだが、本当に「こった煮」だ。女の歴史まで煮込む。しかもそこには男が離れがたく一緒である。これは、刺身や鮨にはみられないことだ。刺身や鮨はこのようにカレーライスと比較されることを不愉快に思うだろう。刺身や鮨は生活臭さのない男の世界なのだ。女がしゃしゃりでてきても、しょせん男の真似事にすぎない。刺身や鮨に「おふくろの味」なんていうのは成り立たない。ところがカレーライスには「おふくろの味」が成り立つ。「おふくろの味」を懐かしがるのは、だいたい男たちだが。こうして、カレーライスには女の歴史も男の歴史も一緒に煮込まれる。そこに家庭や生活の歴史がある。――池波正太郎『食卓の情景」の「カレーライス」などにはそういう情景がよくあらわれていた。

●「女性解放」は考え直そう

 そういうわけで、カレーライスがどうしても女になってしまう。「女」に関する疑問は濃くなるばかりだった。そしてある日、一九四七年(昭和二二年)四月七日の朝日新聞の天声人語を見たとき、「女の解放」をめぐる胡散臭さ、疑惑は決定的なものになった。
 その天声人語。
「家庭の主婦ほどみじめな存在はない。(略)頭は年がら年じゅう食べ物と燃料のことをはなれない。(略)台所電化でボタン一つおせば三十分ぐらいで食事の支度ができ、主婦も教養や娯楽や身だしなみに時間の余裕をもつ。そういう時代はいつくるのか。(略)家庭生活の民主化は、台所地獄からの女の解放である。」
 これは、たぶん男が書いたものだろう。
 人権というものはまったく念頭にない。生活や食事に対する見識もうかがえない。台所電化のボタンに「家庭の民主化」や「台所地獄からの女の解放」をまかせる思想はそのまま今日である。苦しそう、みじめ、無教養だからダメダ、遅れている、可愛そうという烙印の押し方、その片方にある傲慢な教養主義、これらは今日にいたるまでマスコミ知識人の得意技だ。感傷と観念のセンセーショナリズム。そして「そういう時代はいつくるのか」といった傍観嘆息。自らの見識というのがない。
 こういうマスコミの歴史の下で生きなくてはならない日本人ほど「みじめな存在はない」。そうだろう、この天声人語のわずか三年ほど前には、大新聞は、尊王攘夷の大東亜戦争を戦っているのだからフォークやナイフを使うのは止めようと言っていたのだ。
 ともかく、戦後の女性解放、女の自立、そして最近の「女の時代」というのは、こういう指向と思想の積み重ねのうえにあるのではないかという疑念をもつべきだ。
 家庭料理をどうするかなんていう議論はないまま、女を台所から解放すべきだということになってしまった。
 そして一方では、「主婦は家庭の中心」という掛け声でキチッンやダイニングキッチンが豪華になってゆく。ゆとりを持たされた女たちは、「心のこもった料理」がいちばん美味しいのだと、カルチャーセンターや食べ歩き先の料理屋で語り合ったり、テレビの料理番組の決まり文句にうなずいている。女の解放などは電化製品にまかせておけばいいと思っていた男は、居酒屋あたりの「おふくろの味」で家庭の感傷にひたる。そして手のかからないイイ子供たちは、レトルトカレーをよろこんで食べる。だれも家庭の文化をふりかえらない。そういう「女の時代」が、すぐ最近あった。
 女は社会に進出したのではなく、男の会社社会に進出しただけなのである。
 かって女がなりふりかまわず守らなくてはならなかったもの、あるいは女が守っていてくれたものは、何なのか。どう評価すべきか。そこから問い直す必要がありそうだ。

 

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2021/01/27

鑁阿寺で味噌おでん。

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先週の火曜日、足利の鑁阿寺(ばんなじ)へ行った。今年初の寺社なので初詣ということにもなるが、信仰心はない。5年前の春に足利フラワーパークで藤を見た帰りにちょっとだけ立ち寄り印象に残ったので、もっとゆっくり見たいと思っていた。

それにコロナと癌の日々の気分転換に出かけたくても、混雑度が高まる東京方面は避けたい、なんでも過剰気味(コロナの感染者数まで)の東京がうっとうしくなっている。

ってわけで、このあいだの渡良瀬遊水地に続いて、「北」へ向かうことにした。

宇都宮線で下り久喜へ、東武線に乗り換え足利市駅で下車。目の前の渡良瀬川を渡り目的地へ。

渡良瀬遊水地へ行ったときと同じように、渡良瀬川を冷たい季節風が吹き抜けていた。

鑁阿寺は、やはり魅力的な佇まいだった。境内は大きすぎず、建物も威圧感がなく、コンパクトにまとまっていて、そこはかとなく色気がただよう。という感じ。

12時すぎだった。樹齢数百年の大きな欅が立ち梅が咲く境内を、ゆっくり歩く。ぽつりぽつり人がいた。

一隅にあった茶屋、店内は倉庫と化しているが、毛糸の帽子をかぶり着こんだおやじが開店の仕度らしいことをしていた。

軒下のメニューには、みそおでん400円、にこみおでん400円、いもふらい5本400円、ラーメン400円など。

おでん鍋のおでんがうまそうだったので頼んだが、まだ煮えてない、みそおでんならすぐできるというのでそれを一人前。

おやじがなんでもありそうな倉庫のような店内から、テーブルとイスをだしてくれた。

このあたりは大麦味噌があり、それを使ったおでんだった。赤黒い色、甘味とこうばしさが混じった微妙なうまさ。

足利というと鑁阿寺の隣の足利学校が有名だが、どうも儒教ってやつは佇まいからして説教臭く辛気臭いので中に入って見る気がしない。前回もそうだったが、門前の蕎麦屋で蕎麦を食べて帰って来た。

いい気分転換になった。味噌おでんもよかった。あたたかくなったら、また行こう。渡良瀬遊水地も。

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2020/12/21
想像以上にデカイ広い、また何度も行きたい渡良瀬遊水地。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/12/post-bf172c.html

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藤!藤!!藤!!!
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2015/05/post-44ff.html

 

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2021/01/17

新しい薬。

今月の診療日から1週間後の去る12日の火曜日は、新しい薬をもらうため病院へ行った。

9時半の診療予約。事前の生理検査はないから予約時間の少し前に着いて受付をすますと、すぐ呼び出しがあった。

MRIを見ながらの問診と病状の確認など。MRIと腫瘍マーカー以外、肝臓の数値も問題ないし、自分で感じる身体は、いたって「元気」なのだが。

最近足が浮腫んでいることがあるのに気が付いたので話す。

毎日全身を注意して観察しているわけではないから、いつからかはわからない。靴下をはこうとしてだったか、なんとなく足の脛のへんを見たら、浮腫みがあった。まさに育ちのよい大根足のようになっていた。朝は普通のようだが、夕方ぐらいには腫れているようだ。

大腿骨の上部に転移があるので、それが原因かと思ったが、主治医の見立ては、そうではなかった。弾力を失い固くなった患部が周囲を圧迫しているので、そばを通るリンパ管など各種通路が圧迫されて浮腫みがでるのだそうだ。癌の増殖が原因の場合は痛みをともなうから、痛みがないかぎり心配はいらないと。

強い副作用があるので、注意を受け、何かあったら診療日外でも連絡するようにいわれる。とにかく、身体に負荷をかけすぎない、リラックスした状態を保つことが、薬の効果や副作用の抑制にいいらしい。

そうもいきませんでしょうけどねえ、なるべく。

それで、このあと、どうなりますかね、この薬が効かなくなったあとは、どうなりますかと訊ねる。

主治医は指を折りながら、まだまだたくさんあります、と。

でも、だんだん高い薬になるんでしょうというと、注射は高くなるが錠剤は同じぐらいだという。

同じぐらいでも高い。

薬が高いのが、一番のストレスになりますね。

根治がない治療は、いわば「延命治療」だから、どこで治療を打ち切るかの判断が難しい。自分の経済状態もからんで。いますぐではないが、いずれ。

つぎの診療日2月2日まで21日分の薬の処方箋をもらい、薬局へ。

1日1回、就寝前に、同じ錠剤を4錠飲む。4×21、17,720円。1錠約211円。1割負担の後期高齢者医療保険で、これだ。「正価」は、202,950円。

2018年から使用が始まったもので、安価のジェネリック品がない。

昨日まで5日分服用した。

昨晩11時頃にのんだあと、布団の中でまどろんでいると、腰から下がこわばった感じでチリチリ痛みが走り寝がえりうっても重苦しく、なかなか熟睡できなかった。朝起きて少しだけ鼻血が出た。どうやら副作用らしい。

少しでも副作用があって、なんだか安心した気分だ。まったく副作用がないと、高い薬のんでいるのに、どうなってんだ効いているかのと思ってしまうけど、よしよし薬のやつチャンと仕事をしているのだなと安心するのだ。

もらってきた服用にあたっての冊子を見ると、副作用の対処として、一方では食べたいものを食べたいときに食べることをすすめ、一方では規則正しい生活をすすすめている。矛盾しているような気がする。

薬の作用と副作用といい、世の中は矛盾していることが一緒で成り立っている。

強い倦怠感があるそうだが、いまのところ、いつも倦怠しているせいか、あまり感じない。いずれにせよ、2週間ぐらいのうちに、いろいろ出て、なれるらしい。

2021/01/06
癌治療10回目。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2021/01/post-377ef3.html

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2021/01/11

野良の芸術2021「天空と大地」。

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昨日朝パソコンに向かったら、猪瀬さんからメッセージが届いていた。

8日から今日まで開催の、野良の芸術2021「天空と大地」というイベントを知らせるものだった。

猪瀬さんは、9日にすでに終えている「見沼田んぼの土壌と地下に眠る土層について各分野の専門家が語り合う」という企画に登壇したという。プログラムによると、「世界小屋会議」といわれるもので、登壇者は、猪瀬浩平(明治学院大学教授)、安孫子昭二(考古学)、森山哲和(考古造形研究所)のみなさん。

これは聴きたかったなあ。残念。

タイトルからして惹かれるイベントではないか。「野良」も「天空」も「大地」も、いいじゃないか。

さらに、会場が見沼たんぼの「加田屋田んぼ」ってのも、いい。ただちに、行くことにした。

大宮からのバスを調べ、会場に着く時間を猪瀬さんに連絡。しばらくお会いしてないから、会場で会えるとうれしい。

昨日のプログラムは、9時から「燻炭焼き」「凧づくりワークショップ」、13時から「100mの凧揚げ」と「演奏パフォーマンス」、15時から映像作品「土の亀裂」、17時から「煙スクリーンで見るアート展」だ。

会場に近いバス停「締切橋」にバスが着く前、展望が開けた見沼たんぼに、連凧が2連、ゆらゆら揚がっているのが見えた。それだけで、わくわくした。

12時少し前に着いた。そうそう、大宮でバスに乗る前、コンビニでにぎりめしとパンと缶ビールを買った。昨日は、よく晴れていたからね、ビールは必需だ。

田んぼの中に、野良の芸術2021「天空と大地」の看板。かっこいい。

そのあたりは、埼玉県の「見沼田圃体験水田」になっているらしく看板が立っていた。

田んぼは水をぬいて乾いている。そこが会場で、田んぼの土の上を動き回るまわる格好だ。

テントのステージや、丸太や板をわたしたベンチがあったり、竹で作った大きなオブジェが2つ。いくつものもみの山の煙突から煙が吹いている。これが「燻炭焼き」というやつだ。

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100mの凧揚げは、2人の方がひとつずつ揚げている。そちらへ歩く。聞くと、100mに100個の凧が連なっているのだそうだ。ひとつはすでに全部揚がっていて、もうひとつは6枚ほどの残りが糸に連なって送り出されているところだった。

風が強く、2つの連なる凧は、離れているのに交差しそうになる、それをうまく操る。

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「糸を持ってみなさい、強く引っ張られますよ」といわれたので、糸を持つ。引っ張られて、糸が指にくいこみそうになる。大気の手ごたえ。凧は、見えない大気を見える化するのだな。痛いからすぐもどす。揚げる人は軍手をしているわけだ。

連凧を見ていると飽きない。天空に持っていかれるようだ。

オブジェのそばに移動する。オブジェと連凧と大地と天空が絵になっている。なんだか力が湧く。

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燻炭焼きのもみをスコップで返している人がいた。おれより少し若いぐらいか。その姿が絵になっている。写真を撮ろうしていると、若い人が近づいてきて「燻炭おじさん」と声をかけた。

かっこいい、絵になる「見沼の燻炭おいじさん」。知る人ぞ知る人らしい。

長年の労働が、その絵になる姿をつくったのだろうか。

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もみがらは燃やして土に混ぜると、中和作用があるし、土の中の水や空気の調整機能になる、といった話を燻炭おじさんに聞く。

テントの前に行くと、近くでは凧づくりのワークショップをやっていて、親子連れや連れだった若い人たちが凧をつくっていた。作り方を教えているのは、やはりおれぐらいの齢の人だ。

燻炭おじさんも凧づくりおじさんも、地元の農家(をいまはやっているかどうか知らないが)の方らしい。

テントの前の丸太に座って、にぎりめしを食べビールを飲む。風下なので、強い北風に煽られた煙が昇ることができず地を這って漂う。おれは燻製、なんだかいい匂いだ。

あらためて、燻炭焼きやオブジェや連凧が大地や天空と交わる絵を眺める。かっこいい。

ビールを飲んだせいもあるが、気がつくと、すごく寒い。面白そうと急いで家を出たので、防寒のことをよく考えずに来てしまった。

猪瀬さんが来るはずだから待っていようと思うが、いったん寒いと思ったら、どんどん寒くてたまらなくなる。

寒くてたまらん。立ち上がってまたウロウロする。

テントの後ろに、大きな土のかたまりがあった。「土層」の展示品らしい。説明のパネルによると、見沼田んぼや大宮台地の遺跡発掘現場から「接状剥離法」という保存技術で採取されたものだ。

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てっぺんに巻尺があったので、天地を測ってみたら、120センチほど。

土層に付けられた説明タグを見ると、下から40センチぐらいが、旧石器時代の関東ローム層だ。

その上から現在の表土まで、黒っぽい土が約80センチ。くっきり色が違う。

一番上の表土層約10センチ、その下の耕土層が約22センチ。ここまでが、農耕の層ということになるのかな。

その下に黒ぼく土層、その下に縄文文化層というぐあいだった。

旧石器時代の終わりが1万6千年ほど前ぐらいらしいから、このおれたちの食生活を支える80センチほどの土壌は、1万6千年かかって出来上がったという計算になる。1センチできるのに何年だ。200年?

自然にできたものではなく、人間の手が入っている。人間の手が入っているから続いてきた土壌。

現代は、どんどん手抜き状態になっている。

少し前、このブログで紹介した、『スペクテイター』最新号「土のがっこう」に書いてあったことを思い出した。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/12/post-c65d23.html

身体は、冷える一方で、もう限界だった。老人は、がまんできない。かっこわるい。

演奏が始まっていた会場を離れ、13時半頃のバスに乗り、大宮へ。

大宮に着いてガラケーを見たら、猪瀬さんから電話が入っていた。電話をして、ごめんなさい、寒くて。

だけど、とにかく、すっごく元気が出た。いいイベントだった。

そのままいづみやへ入っちゃいそうだったが、グッとこらえて、夕飯の買い物をして帰宅。

しかし、どうして、「天」のあとに「国」をつけて「天国」にし、「地」には「獄」を与え「地獄」にしたのだ。とんでもないことだ。どうも「上」ばかりをありがたがるのは、大きな間違いのもとだ。

今日もまた、歩き回った田んぼの土の感触を忘れないように、噛みしめている。

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2021/01/09

新しいカテゴリーをつくった。

右のサイドバーの「カテゴリー」の欄に、新しいカテゴリー「癌な生活」をつくった。

昨年末、「カテゴリー」の「リンク集」に、「2020年「癌生活」リンク集。」をつくりリンクをはったのだが、いちいちそのリンクをたどるのはめんどうなので、こうした。

それとは関係ないことだが、最近ときどきツイッターで「いいね!」をくれる方がいる。

フォロー関係はない。おれよりはるかに若い女性のようだ。

プロフィールによれば、「会社の健康診断で右肺に陰影ありの診断を受け、その後の診断で肺癌により治療しなければ余命一年から二年と診断。生きているより活きていたいと無治療を選択」、昨年11月にツイッターを始めたということだ。

癌な生活もいろいろだ。

四月と十月文庫『理解フノー』の「あとをひく「つるかめ」の感傷」には、癌と診断され手術をすすめられたが断って、そのまま死んだ2人の友人のことを書いた。

彼らが死んだのは、いつのことだったかなあ。2000年少し前だったと思う。おれより2歳上の彼らは、50代後半だった。

なぜ手術をしなかったかについては、直接聞いてないが。手術を断った理由や気持は、あるていど想像ついた。

彼らは、近代医療(西洋医学)に対する不信感が強かった。だいたい病院を信用していなかった。昨日のエントリーにも関係するが、あの頃は、そういう不信感が、社会的にも頂点に達していたような気がする。手術に対する不安も大きかったのだと思う。

ま、自分の信念をつらぬいた、ともいえるか。

おれは、それほどの信念はないし、不信感もない。テキトーだから。

とにかく、いろいろな癌な生活があるわけだけど、このカテゴリーで書くのは、もっぱら自分のことだ。

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2021/01/08

モニターの向こう。

津村記久子のエッセイだったと思うが、風邪を引いて近所の開業医へ行った話があった。

若い女医がパソコンの画面を見ながら対応し、ほとんど患者の方を見ないで診察した。というようなことが書いてあって、著者の納得いかない気持をただよわせていた。と記憶している。

たしかに、いまおれが通院して診療を受けるときも、主治医とおれが向かいあうのは、最初と最後ぐらいだ。

呼ばれてドアを開けて入ると、主治医は左側の壁に向かって大きな机に座っている。机の上には大きなモニターがある。

主治医は、こちらを向いて「どうですか調子は」とかいう。おれは「もう絶好調です」とかいいながら、イスに腰をおろす。このときは、ほぼ正面から顔を合わせる。

そのあとは、主治医はモニターの方をむき、データで送られてきた診療前に採血採尿した検査結果を見たり指さしたり、前のMRIやCTの画像を出したりいじったりしながら話す。おれも横から、その画面をのぞき込みながら話す。主治医もおれも、お互い目を横にはしらせてチラッと顔を見たりはするが、見えるのは横顔であり、向かいあうことはない。

話は、けっこうはずむけど。

そして、その日の結論らしいものが出たところで、最後は向かいあって、対策や処置の確認などをする。

そんな感じなのだ。

昔の医者は、患者と物理的に向き合っている時間が長かった。聴診器をあてたり、手をとって脈をはかったり、口をあけさせて中を覗いたり、瞼をあげたりさげたり、腹をさすったり押したり、組んだ足の膝をトンカチみたいなもので叩いたり…。すいぶん昔のことだが。

いまでは、たいがい機械的に処理され、モニターに映しだされる。手術後の寝たきりのときなどは、身体にいろいろな器具やコードなどがからみついて、枕元のモニター(あるいは病状によっては看護室のモニターなど)では、いろいろな数字が動いている。

1980年代ぐらいから、近代医学に対する批判が高まり、90年代には「医療の高度化」も進み、「医者の目は、患者さんに向けられていません、視線はもっぱらモニターに向けられています」「患者さんの病気は、患者さん個人にはなく、モニターの上にあるのです」なんてことがいわれるようになった。

そういう傾向に対して、「病気を診るのではなく、人間を診るということに尽きるのではないでしょうか。まず患者さんを一個の人間として診るところからすべては始まると思います」といった考えが医学の関係者のあいだでも議論されるようになった。

なかなか難しい問題だ。そもそも「病気」の定義からして。

「医学のまなざし」をめぐる議論が、代替医療のことなども含め、まだ続いている。

「まなざし」という言葉は、よく知らないが、ミシェル・フーコーの『臨床医学の誕生』のキーワードらしい。「医学のまなざしをめぐって」という議論もあった。

「まなざし」という言葉は、医学系にかぎらず、けっこう学術系の人たちが多く使うようになって、いまではチョイとなんだか人にやさしい丁寧で深い考えがありそうな言葉として通用しているように見える。

それはともかく、「人間」「身体」「生命」といったことに対する、さまざまな考え方(主に近代的な考え方が)が問われたのだが(「ポストモダン」や「ニューアカ」ブームもあって)、ことは「医」だけではないはずだ。

「人間」「身体」「生命」のことは、「食」も関係が深い。「医食同源」なんて言葉はある。ところが、こちらのほうは、「医」ほどは、議論になってこなかった。

いま、チェーン店では続々とモニターの導入が進んでいる。カウンターやテーブルの上で、モニターを見て注文し、会計も自動のところが増えつつある。

「食べることへのまなざし」なんて議論があってもいいんじゃないかなあ。食べ物のことばかりじゃなくてさ。

とにかく、「モニターの向こう」が気になる。

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2021/01/06

癌治療10回目。

昨日は、今年初めての4週ごとの診療日だった。

昨年最後の診療では、腫瘍マーカーが悪化の傾向にあり、薬を取り換えたほうがよいという主治医の判断があったが、なんだかんだ異議申し立てしたら、次の検査まで様子を見ましょうということになった。

その結果がどうなるかで、おれの今年と今後が左右される。

朝イチの8時に自動再来受付を通過、臨床検査室の受付で受診票を出して待つ。8時45分、採血採尿。

診療受付に受診票を出し、待つ。9時50分に呼び出し。

さて、検査結果は、さらに数値が悪化し、「再燃」の診断。つまり、押さえ込んだ癌細胞の増殖が、また活発になったのだ。

ああ、わずか数カ月で平穏は終わったのか。

もう様子を見ることはしてられない。

癌対処の薬は、注射を2本と錠剤を毎朝食後1錠だったが、この錠剤はもはや効き目がなくなった、ようするに癌細胞が抵抗性をつけ強くなっちゃったのだ。

それに主治医の話では、おれの癌細胞は、タチがよくない。ワルなのだ。飼い主に似るのかなあ。

タチが悪いうえに、強くなった癌細胞に対処できる薬はあまりない。しかも18年に使用が開始されたもので高価だし、副作用も強い。それを使って、仮に改善されても、今回のように、またいずれ効かなくなる。完治はないのだから、少しばかり余命をのばすだけのことだ。

ま、だけど、やってみることにした。

来週の火曜日、もう一度受診し、薬を処方してもらうことになった。

家族にも読んでおいてもらうようにと、錠剤の使用法と副作用や生活上の注意などを書いたものを渡される。

毎日1錠、いつ飲んでもよいので、寝る前に飲めば、副作用も比較的楽にのりこえられると主治医はいう。

気になる飲酒は、どうか。「適度」ならよい。

中央処置室で、いつもの注射を2本。会計8120円を自動支払い機に投入し、薬局へ。患部機能対処の錠剤、毎朝食後1錠28日分をもらう。約300円。

だんだん先が見えてきた。

2020/12/09
癌治療9回目。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/12/post-a18392.html

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2021/01/02

元旦のレターパック。

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昨日、元旦の郵便は年賀状だけと思っていたが、レターパックが届いた。

差出人は伊那の田口史人さんだ。

高円寺・円盤の店主田口さんは伊那に移住し、よくわからないが、円盤&黒猫&リクロ舎の田口史人になった。

という理解でよいのだろうか。

神出鬼没八面六臂の活躍で、おれの理解をこえている。

レターパックを開けると、その活躍ぶりが、ドサッと出てきた。

新年早々、お宝の山。

30人の執筆と作品による「季刊 黒猫」2020年秋号。

ディスク4枚は、入船亭扇里の落語だ。

田口さんの、私小説らしい、『父とゆうちゃん』。

レコード語りシリーズ『青春を売った男達 小椋佳と井上陽水の七〇年代』。

そして、田口さんの初の「食」エッセイ『あんころごはん』。

『あんころごはん』の「ゲスト執筆」に、安田謙一さん、上野茂都さん、おれの名前が並んでいる。

そうそう、だいぶ前に書いた原稿だ。

「厨房が汚い食堂は料理がまずい、か?」

忘れていた。できあがったのだ。

それにしても、田口さん、あいかわらず、すごい馬力だ。

読み応え味わい、タップリつまった、「福袋」。

手紙を読むと、楽しみなことが書いてあった。

うれしい。

いい年明けをよぶパック。ありがとうございました。

伊那も行ってみたいなあ。


『あんころごはん』
黒猫・円盤店主によるはじめての「食」をテーマにした書籍
「味覚は記憶の上に築かれる。私の「美味い!」は、ここにある記憶たちによって作られた。誰にでもある食べ物の記憶たちが走馬灯のように紡がれる」
37本の食話に加えて、ゲスト執筆にて安田謙一、上野茂都、遠藤哲夫のお三方にもエッセイを寄稿していただきました。
装丁:宮一紀
挿絵:三村京子

こちらからお買い求めいただけます。
http://enban.cart.fc2.com/ca29/4406/p-r-s/

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2021/01/01

新年おめでとうございます。

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いつもの朝歩き。どうせなら初日の出に合わせ、写真でも撮ろうか。

ネットで日の出時間を調べたら、このあたりは6時51分だった。

少し早めに家を出る。

西の空に、右下が欠け始めた月が残っている。

無風。快晴。冷え込み厳しく、歩いているうちに手袋をしている指先が痛くなる。

いつも歩いているコースの歩行者専用の橋へ向かう。

人が途切れることなくあらわれては合流し、続く。

こんなにいるのか。ここに引っ越して12年になるが、初日の出を拝むのは初めてだ。あまりの人の多さに驚く。

新型コロナ感染対策の「外出自粛」の影響もあるのだろう。

橋の上の絶好ポイントは「密」状態。

陽が昇る。

控えめな声が上がる。

いちおう写真を撮り、ここより見沼田んぼの畑の中がいいのではないかと思い、急ぎ足でそちらへ向かう。

誰もいない。

枯草の上を霜が覆った畑の向こうに、昇る太陽。

とにかく、新年を迎えることができた。

今年もよろしくお願いします。

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