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2021/03/31

癌診療13回目。

28日ごとの通院だから、3月2日に行った今月は一か月に二回で、昨日30日も通院日だった。

8時再来自動受付から生理検査室、8時45分採血採尿完了、主治医の呼び出しを待つ。

たいがい検査結果が出るのは1時間半後だからと思っていたら、9時半に呼び出し。そういえば空いている感じだった。

気になる腫瘍マーカーは5割アップ。基準値もオーバーしている。

なかなか下がりませんねえ。

肝臓の数値はよいから、このまま少し様子を見ましょう。

ってことで薬の副作用の話になるが、痛みやしびれや倦怠感を伝えるのは、なかなか難しい。

だいたい倦怠感って、どんな感じなんですか、鈍感なせいかよくわからないんですよ。

重くなると3メートル歩くのもやっとになるとか。

そんなことはないですね。ちょっとだるいとか、息切れとかぐらいですよ。

あれこれ。

とにかく、前回通りの注射と服用の薬を続けることに。

中央処置室で、腹部と腕に、いつもの皮下注射。

会計を済ましたら7340円で、前回より900円ほど安い。

薬局で薬。前回と同じだから1万8千円覚悟していたら、無料。

無料はうれしいけど、なぜ?

今年度の高額医療費自己負担分が上限をこえているからと。次回は新年度で通常にもどります。

計算の仕組みがよくわからないが、ラッキーという気分。そもそも製薬会社が儲けすぎなんじゃないのか。

薬局も空いていたし10時半に終わり。

今日31日は、去年、町医師の紹介状を持って、この病院へ行ってから1年だ。

その日が火曜日で担当の医師が、そのまま主治医になり28日ごとの火曜日の通院になった。

その頃は、ほとんどの人がマスクをするようになっていたし、おれも主治医もマスクをしていたから、まだ一度も「素顔」を見たことがない。

ま、それで1年間、治る見込みのない「治療」をしてきた。症状としては、軽い薬の副作用だけで、とくに問題はなく、QOLは維持されている。

複雑な気分だが、よろこぶべきなんだろうな。

2020/04/01
東京新聞「エンテツさんの大衆食堂ランチ」は休載。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/04/post-f88b3b.html

 

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2021/03/25

今月もおわる。

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気が付けば、今月は一回しか投稿してない。割といろいろあったのに。

とりあえず、書いておこう。

3月7日に、小沢信男さんの訃報がニュースで流れた。
3日に亡くなられたとのこと。
小沢さんとは、そんなに親しい付き合いがあったとは思われないが、本を何冊もいただいた。
酒も何度か酌み交わし、楽しい思いでしかない。
訃報に接してから、小沢さんにいただいた本を読み返している。

『捨身なひと』(晶文社2013年12月20日発行)を読み終えて、『本の立ち話』(西田書店2011年3月6日発行)をパラッとめくったら、本に挟まれた一筆箋が落ちた。小沢さんの字でこうある。

前略 元町へ送ったら戻ってきました。河上進氏に現住所を教わって、送り直します。地震、当方はぶじでした。そちらは?お元気で。

元町とは当時の浦和市元町で、2008年10月にそこから現在の住所に引っ越したまま、知らせてなかった。それなのに。おれのようにモノグサで文学にも縁遠いものに。「地震」は、3月11日のことだ。

ちゃんと御礼をしたか、トツゼン不安になった。

ブログに追悼のようなものを書こうと思って、まだ書いてない。

とりあえず、ツイッターに、このようにつぶやいた。

エンテツこと遠藤哲夫
@entetsu_yabo
小沢信男さんの訃報に接したツイート、多くて拾いきれない。小沢さんとはお会いする前に手紙をいただいた、返信をすると『いま・むかし東京逍遥』(晶文社)を送ってくださった。それまで小沢さんのことも著作のことも知らなかった。お会いする機会に恵まれ、何度か一緒に酒を飲み本もいただいた。
午前9:05 · 2021年3月8日·Twitter Web App

エンテツこと遠藤哲夫
@entetsu_yabo

小沢さんは文章と同じように闊達な方だった。新日本文学会の事務所が歌舞伎町にあった頃から、東中野のムーンロードという闇市跡路地の奥への移転、そして新日文事務局長として新日文を解散した話などを、ムーンロードのかつての新日文の溜り場だった酒場で、文章のように名調子で話してくださった。

エンテツこと遠藤哲夫
@entetsu_yabo
·
3月8日
還暦をすぎていた俺に、「60すぎてからのほうがいい仕事ができるよ」といってくれた。ま、俺は小沢さんとはキャリアが違うけどね。俺のクソな文章の本をちゃんと読んでくださっていて質問攻めにあったこともある。記憶に残る楽しいひと時ばかりだ。安らかにお眠りください。

享年93。

同じ頃、真向いの一人暮らしの男性が亡くなった。
夜、ご自分で救急車を呼んで、そのまま帰らぬ人となった。
61歳だったようだ。
昨年の4月から今月一杯、つまり今年度、ウチは自治会の班長をしているのだが、10戸の班の中で3人の方が亡くなった。お2人は、おれより高齢と思われるし同居の家族がいるが、今回は違う。
旧い近所の方に聞いたところによると、持病があって、父上と兄上も同じ病で急逝したのだそうだ。
だから、本人も用心していて、ご自分で救急車を呼べたのだろう。
何日か後、親戚の方が家の整理をして帰ったようだが、勝手口の軒下灯がつけっぱなしになっている。

主に何をしていたかというと、本の原稿をせっせと書いていた。
「はじめに」と「第1章」を書き上げて、完全原稿ではないが、一昨日、編集さんに送った。
今回は、身体の調子がよいうちに、できるだけ書いて、できた順に編集さんに送ることにしている。

ほかにも、早朝歩きは、ほぼ毎日しているし、ちまちまいろいろなことをしているし、周囲でもいろいろなことが起きている。あいかわらず、新型コロナ感染拡大は先行き不透明だ。

 

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2021/03/05

癌診療12回目。

今週の火曜日2日は、28日ごと定例の診療日だった。

前回も前々回も、寒い最中に、朝イチ8時に検査科受け付けで、採血採尿のち、検査結果が出るのを待って診療だったが、今回は8時半検査科受け付けになり、寒さも少しゆるみ始めパッチもいらなくなった朝、少しだけゆっくり出かけた。

8時だろうと8時半受付だろうと、検査科も病院全体が稼働するのは8時半なのだが、早く受け付けをすませば早く検査結果が出る。とは決まってはいないで、今回は混んでいるからと、おれは別の検査室で採血になったので、いつもは検査結果が出るのに1時間半以上かかるのだが、9時45分ころには診療室によばれた。

入ると、すぐ、まだ椅子に腰かけないうちに、「じわっと下がりましたよ、じわっと」と主治医がうれしそうな顔でいう。

10月、11月、12月、1月と上がり続けていた腫瘍マーカーの数値が、先月に続いて下がったのだ。

「どれぐらいになりました?」と聞くと、モニターを見せてくれながら数値をいう。

おお、30%ぐらい下がっている。だが、まだ基準値より少し高い。

「肝臓の数値が全部基準値内できれいになりましたからね、いいですねえ、もっと下がるでしょう」と主治医。

肝臓の数値は酷いアリサマだったが、先月はγ-GTP以外は、基準値内になっていた。そして、ついに、γ値も。

腫瘍マーカーの問題さえなければ、ここ30数年くらいで最もよい状態。

主治医と、よかった、よかった、「寿」な雰囲気だったのだが、完治はないのだから、どれぐらいかしらないが死ぬのが先に延び、まだ普通の生活ができる、ということにすぎないのだが、数値が上昇傾向にあるよりは気分はいい。

高価な薬を使っている効果は出ているわけだ。

副作用の様子を聞かれたので、説明するのだが、「痛さ」というか「だる痛さ」、痙攣までいかな筋肉が突っ張った感じなど、自分の体内で起きている「感じ」を説明するのは、すごく難しい。

とにかく、そう酷く辛い状態ではないから、新たに副作用抑制のための薬は使いたくないし、しだいになれるしかないようだ。

いつものように、中央処置室で、腹部と腕に皮下注射。

病院の会計は8120円。薬局で前回と同じく28日分の薬代18000円。合計26,120円。

まいど腫れて痛む腹部は、今回は比較的軽く翌日は穏やかに過ごしていたが、昨日今日は6時すぎから、いつもの約4キロ40分の歩きをやった。

次回は、今月30日だ。28日ごとの通院なので、同月に2回の月が1年に1回あることになる。

町医者からの紹介でこの病院で診察を受けたのが昨年3月31日だった。ちょうど1年、最初の状態から考えれば、よくここまで回復した、ということになるのだろう。

 

 

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