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2021/03/25

今月もおわる。

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気が付けば、今月は一回しか投稿してない。割といろいろあったのに。

とりあえず、書いておこう。

3月7日に、小沢信男さんの訃報がニュースで流れた。
3日に亡くなられたとのこと。
小沢さんとは、そんなに親しい付き合いがあったとは思われないが、本を何冊もいただいた。
酒も何度か酌み交わし、楽しい思いでしかない。
訃報に接してから、小沢さんにいただいた本を読み返している。

『捨身なひと』(晶文社2013年12月20日発行)を読み終えて、『本の立ち話』(西田書店2011年3月6日発行)をパラッとめくったら、本に挟まれた一筆箋が落ちた。小沢さんの字でこうある。

前略 元町へ送ったら戻ってきました。河上進氏に現住所を教わって、送り直します。地震、当方はぶじでした。そちらは?お元気で。

元町とは当時の浦和市元町で、2008年10月にそこから現在の住所に引っ越したまま、知らせてなかった。それなのに。おれのようにモノグサで文学にも縁遠いものに。「地震」は、3月11日のことだ。

ちゃんと御礼をしたか、トツゼン不安になった。

ブログに追悼のようなものを書こうと思って、まだ書いてない。

とりあえず、ツイッターに、このようにつぶやいた。

エンテツこと遠藤哲夫
@entetsu_yabo
小沢信男さんの訃報に接したツイート、多くて拾いきれない。小沢さんとはお会いする前に手紙をいただいた、返信をすると『いま・むかし東京逍遥』(晶文社)を送ってくださった。それまで小沢さんのことも著作のことも知らなかった。お会いする機会に恵まれ、何度か一緒に酒を飲み本もいただいた。
午前9:05 · 2021年3月8日·Twitter Web App

エンテツこと遠藤哲夫
@entetsu_yabo

小沢さんは文章と同じように闊達な方だった。新日本文学会の事務所が歌舞伎町にあった頃から、東中野のムーンロードという闇市跡路地の奥への移転、そして新日文事務局長として新日文を解散した話などを、ムーンロードのかつての新日文の溜り場だった酒場で、文章のように名調子で話してくださった。

エンテツこと遠藤哲夫
@entetsu_yabo
·
3月8日
還暦をすぎていた俺に、「60すぎてからのほうがいい仕事ができるよ」といってくれた。ま、俺は小沢さんとはキャリアが違うけどね。俺のクソな文章の本をちゃんと読んでくださっていて質問攻めにあったこともある。記憶に残る楽しいひと時ばかりだ。安らかにお眠りください。

享年93。

同じ頃、真向いの一人暮らしの男性が亡くなった。
夜、ご自分で救急車を呼んで、そのまま帰らぬ人となった。
61歳だったようだ。
昨年の4月から今月一杯、つまり今年度、ウチは自治会の班長をしているのだが、10戸の班の中で3人の方が亡くなった。お2人は、おれより高齢と思われるし同居の家族がいるが、今回は違う。
旧い近所の方に聞いたところによると、持病があって、父上と兄上も同じ病で急逝したのだそうだ。
だから、本人も用心していて、ご自分で救急車を呼べたのだろう。
何日か後、親戚の方が家の整理をして帰ったようだが、勝手口の軒下灯がつけっぱなしになっている。

主に何をしていたかというと、本の原稿をせっせと書いていた。
「はじめに」と「第1章」を書き上げて、完全原稿ではないが、一昨日、編集さんに送った。
今回は、身体の調子がよいうちに、できるだけ書いて、できた順に編集さんに送ることにしている。

ほかにも、早朝歩きは、ほぼ毎日しているし、ちまちまいろいろなことをしているし、周囲でもいろいろなことが起きている。あいかわらず、新型コロナ感染拡大は先行き不透明だ。

 

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