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2021/04/29

癌診療14回目。熱で寝込む。

去る27日は28日ごとの通院日だった。

8時再来自動受付から生理検査室受付、8時50分採血採尿完了、主治医の呼び出しを待つ。

混雑していた。10時頃呼び出し。

腫瘍マーカーは、さらにアップ。1月から新しい飲み薬を投入し、2月3月は続けて下がったが4月は3月の1.3倍で2月と同じぐらいの数値になり、今回は3月の2.3倍。

おかしいですねえ、もっと効くはずなんだけど。首をかしげる主治医。

しかも毎日酒を飲んでいるのに、肝臓の数値は基準値を下回ってからも、さらによくなっているのだ。

3、4か月ぐらいで薬を変えていたのでは、使える薬が早くなくなってしまいますねえ。

いまの薬でなるべくひっぱってもらえませんか。どうせ治らないのなら、マーカーが少々高めでも、なるべくひっぱっるってので、どうでしょう。

そうですねえ、高目で推移する例もありますし、身体の調子はよさそうだから、もう少し引っぱってみますか。

ってことで、前回通りの処方。

中央処置室で注射2本。混んでいた。さらに会計では自動支払機が2台だけのうち1台が故障で大行列。

薬局も混んでいて、終わったのが11時半。

ま、昨年4月21日に、ステージ4を告げられ、薬の注射と服用が始まってから、同じような繰り返しだった。

ところが、異変が起きた。

家に帰って、昼飯くって、午後の3時頃から、急に体調がおかしくなった。

横になって布団をかぶっても、悪寒がして歯がカチカチ鳴る。むむむ、こんなことは初めてだぞ。もしかして、あれか、あれか、新型コロナってやつ。と、いまのご時世だから、そう考えるが、思い当たることがない。

熱を測ったら、38.7度。

とりあえず、冷凍庫に凍らせてある保冷剤で、頭を冷やす。

ネットで新型コロナの初期症状を調べたが、発熱以外は、該当する症状をがない。

病院から貰った、注射の副作用に関する印刷物には、発熱のことは見当たらず。

食欲はないから、夕飯は食べず、就寝前に飲む1種4錠の薬も飲まず、凍った保冷剤を頭にあてひたすら寝る。

昨日28日の朝、熱は37.7度になっていて、だるいが朝飯を普段通り食べ薬1錠のんだ。昼飯、夕飯も普段通り食べ、就寝前の薬1種4錠と普段通り。

あとは、回復の一方。

今朝は37度。朝飯くって薬1錠のんだ。

昼には36.4度。

8時までに夕飯くって就寝前の薬1種4錠のんだ。

少し疲れている感じ。

何の熱だろうか。可能性があるのは、腹部の注射の副作用で、痛みはあまりないが、3日目でも腫れの範囲がいままでになく大きい。

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2021/04/26

うらめしや~。

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昨日、日曜日は午後3時からやっている「どらごん」へ。

新型コロナ感染拡大対策、バッチリ。酒造メーカー提供の幟旗やビニールで客席を仕切り、入り口ドアや窓も開けっぱなし。入るとすぐ手の消毒を言われる。そうやって、なんとか営業してきたし、店内もちろん店の外に設けた席まで、いつも満席状態。駅から離れていて馴染みのファン客ばかりだもの(おれの家からは20分以上)。店も客も一緒になって「対策」してきた。

それなのに、今回は、営業は「自粛要請」でも「酒類の提供禁止」じゃ、休業にするよりしょうがないじゃないか。と。

汚い手を使うねえ。

感染拡大対策より、オリンピックと選挙の対策を優先させる連中。

うらめしや~。うらめしや~。

しかし、この雰囲気、なかなかいいよ。ねえタイショー。

 

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堕落するタイトル。

昨夜は、ほぼよく眠れた。5時頃から約5キロ60分弱ぐらいで歩いた。冷たい弱い北西の風。薄い水滴含み水色に晴れた空、富士山が、なんとか見えた。

8時半までに夕飯くって就寝前の薬1種4錠のんだ。

明日は28日ごとの通院日。8時受付だから、早朝歩きはなしにする。

 

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芋サラダ。

「ポテトサラダ」のことを「芋サラダ」というのは、古い大衆酒場や大衆食堂でよくあったことだし、いまでも少しは残っている。

たいがい、おれのような下世話な人間が安住する世間のことだと思っていた。

ところが、阿川弘之の『食味風々録』(新潮社、2001年)を読んでいたら、このような記述があった。

・・・・・・・・・

 昭和三十年前後、銀座ローマイヤの各種ソーセージ、アイスバイン、芋サラダ、酢キャベツなど、ドイツ風の食品が未だすこぶる佳味珍味とされてゐた頃、店の前を通りかかったら、吉田さんがガラスケースの中を、一心に、傍目もふらず眺め入ってゐた。

・・・・・・・・・

「吉田さん」とは吉田健一のことだが、この書き方からは、銀座ローマイヤが「芋サラダ」と表記していたのか、阿川がポテトサラダを「芋サラダ」と表記したのかは判断できないが、どのみち、おれなんかとは、とくに、昭和30年前後などは、まったく縁のない高級な方面の街や店や人たちのことであり、「芋サラダ」という言い方は「格差」をこえて使われていたのか気になった。

ま、ジャガイモ料理や酢キャベツなどは、ドイツでは、下世話な料理だったには違いないが。国がかわれば「佳味珍味」となる。

それはともかく、「芋サラダ」という言い方、「芋」のぬくもりが伝わるようで、いい。

だけど、「芋」は、「芋侍」とか「芋野郎」とか、侮蔑的な用いられ方がされてきた歴史もある。

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2021/04/25

逃走するタイトル。

昨夜、寝つきはよかったが、2時頃だったと思う、右足の太ももと、なぜか足の裏が、つるように痛み、いてえな、クソ、おとなしくしやがれ、と、ウトウトしながら悪態ついてジタバタ寝返りをうっているうちに、いつのまにか治まったようで、つぎに目が覚めたのが4時45分頃。

ってことで、5時頃から約5キロ60分弱ほどで歩いた。いまのところ、このペースがいいようだ。

んで、8時までに夕飯くって就寝前の薬1種4錠のんだ。

のち、ずいぶん久しぶりに碁盤に向かう。たいがい復習。

まだ10時前だが眠い。

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2021/04/24

タイトルはさまよう。

ここ3日ほどは4時45分頃にトイレに行きたくて目が覚めてしまう。それが日の出時刻と関係しているかどうかはわからないが、今日の日の出時刻は4時56分だった。目が覚めるのも、日の出も、早くなっている。

5時ごろから約5キロ60分弱で歩く。昨日と同じぐらい。

白い雲が中層から高層にたなびいて、おだやかぼんやりの晴れ。

9時までに夕飯くって就寝前の薬1種4錠のんだ。

昨日も一昨日も、薬の副作用はなく比較的よく眠れた。今夜も大丈夫な感じ。

タイトルは、ココログは利用していないとわからないだろうが、「記事投稿」のページのタイトル欄に「記事のタイトルを入力してください」とあるから、それへの返信のつもりなのだ。

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宿題をやらないで嗜眠をむさぼる。

安東量子による、「福島原発「水」の海洋放出、安倍前首相が「問題を放置し続けた」ことの大きな責任 そして、国民にも責任がある」
(現代ビジネス 2012.04.24 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/82476)は、ズシンとくる内容だ。

安東は、このように書き出す。

―――――――――――

放置され続けた問題

長らく懸念されつつも対応方針の定められていなかった東京電力福島第一原発構内のタンクに蓄えられていた「水」の海洋放出が決まった。この決定に対して地元の反発が大きく伝えられているが、一方で、「やっとか」との思いを抱いた人も少なくないだろう。

原発事故が起きて先月で10年を迎えたが、第一原発構内に流れ込む「水」は、事故が起きた当時から最大の問題となっており、長年、放置され続けた上での決定だ。いつか誰かが、なんらかの決断をしなくてはならないことは、当初から明らかだった。どのようなプロセスを経て、どのような条件で、誰によって決定されるのか、焦点はそこにあったが、日本政府のとった対応は、ただ漫然と放置し続けることだった。

―――――――――――

「汚染水」とか「処理水」とかいわれる、あの「水」は、安東の指摘するとおり、事故当初から大きな問題だったのであり、今回「放出」したとしても、それで終わるわけではない。まだまだ、いつ終わるか見通しの立たないまま、「水」は増え続ける。

安東は、「汚染水の対応としては私が責任者として前面に出て行っていきたい」といいながら逃げ続けてきた安倍前首相、内閣記者会で構成される記者団の「不自然」を指摘し、「「先送りできない課題」であると安倍氏が認識していたと言えるのか、そうは到底思えないというのが私の認識だ」という。

そして、安倍の在任中の20回以上をこえる福島訪問を調べ、そこにある「パターン」と「巧みなイメージ操作」、それを「イベント訪問型」と実感するまでを述べる。

問題は「水」だけではないし、「時間の経過とともに複雑化してさらに込み入った状況に陥って」いる。そのことは、たいがいの国民は知っているはずだ。それとも知らんふりをし続けるのだろうか。知らんふりしていれば、なんとかなると思っているのだろうか。

「10年の間、復興に携わる活動をしながら、多くの人たちの関心の移り変わりを経験してきた身としては、安倍氏の関心のありようと、国民世論の関心のありようは、ほとんど正確に一致していると感じられていた。原発事故によって、国土のうちに回復不可能な損害が発生し、それに対する国家的な負担を長期にわたって国民が引き受けねばならないという冷徹な現実から目を逸らすことを望んだのは、私たち国民でなかったか」と安東は述べたのち、こういう。

「いわば嗜眠(しみん)状態にあることを望んだ国民に、安倍氏は実に好都合な首相であったと言える」

「この先、私たちはこれまでの安倍政権の、すなわち、私たち自身の不作為の顛末を目前にすることになる。いま一度、問いたい。事故が起きて、多くの人びとが日本社会が変わる必要性を痛感した。そして、事故から10年。果たして、私たちは変わることができたのだろうか。あの時に変えねばならないと思った社会は変わったのだろうか。もしそれができなかったとしたのならば、なぜなのだろうか」

おれは「嗜眠状態」という言葉に、はっとした。

新型コロナ感染拡大のこの一年を振り返っても、同じことがいえそうだが、「嗜眠状態」を醸成するうえでは、「おいしい話」なども多いに寄与してきたのではないだろうか。「インスタ映え」などで耳目を集めるやり方などは、まさに「イベント訪問型」と同類の手法だ。

おいしい楽しい美しい話に夢中になり嗜眠をむさぼり宿題をほったらかしてきたが、宿題が片づいたわけではない。大きく複雑になっていくばかりだ。

「水」も「新型コロナ」も。ほかにも、問題は山積みだ。冷徹な現実は、まったなしに襲いかかってくる。

私たちは嗜眠状態から変わることができるのだろうか。「食」も深く関係することだ。

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2021/04/23

タイトルなんかクソクラエ。

朝5時頃から5キロ60分ほどかけて歩く。5キロ50分だと身体に負荷がかかりすぎのようなので少し緩めにしてみた。

のち朝飯くって薬1錠のんだ。

まもなく夜の9時。8時半までに夕飯くって就寝前の薬1種4錠のんだ。よく眠れるような気がする。

 

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2021/04/22

3回目の緊急事態宣言が出る動きなんだが。

朝5時15分頃から約4キロ50分歩いた。弱い冷え込み、淡い水滴含みの水色の空が晴れわたり、ひさしぶりに富士山が見えた。そろそろ、しばらく見られなくなるだろう。

のち朝飯くって薬1錠のんだ。

9時までに夕飯くって就寝前の薬1種4錠のんだ。

3回目の緊急事態宣言が出る動きなんだが、やはり、もう1年近く「新しい生活」になじむと、自分は3密守っているから大丈夫っていうふうにもなじんで、余裕が漂っていますね。

厳しいのは、標的にされる事業種のみなさん。

 

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2021/04/21

春から初夏へ。

近年は、季節の変化の時期が、おれの身体の記憶とはかなりズレてきている感じがするのだが、統計的には、もっとズレているときがあったらしい。

しかし、突出の順位ではなく、数年単位や10年単位では、どうなのだろうか。地球の自然環境は、おれが生きてきたあいだでも、確実に劣化していると思う。

5時すぎから約4キロ50分歩いた。緩めの歩速。日中は半袖Tシャツで過ごしたが、早朝は、そうはいかない、長袖のパーカー。陽が昇れば、たちまちぼんやりの青空。晴れ。

朝のことは、夕には忘れる。風向と風速を思い出せない。だからといって、気に病むことはない。弱い風が吹いていた記憶がある。

8時までに夕飯くって就寝前の薬1種4錠のんだ。

 

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「ロスト近代」あるいは「ノンモダン」を生きる料理とは?

去る4月15日、ツイッターで、このようにつぶやいた。もっぱら、早朝歩きと飯くった薬のんだだけのツイートだったが、チョイと自分にとっては必要なメモなので、こちらにも転載しておく。。

https://twitter.com/entetsu_yabo/status/1382563861362921473
エンテツこと遠藤哲夫
@entetsu_yabo
2か月前に『「家庭料理」という戦場 暮らしはデザインできるか?』の著者、久保明教さんとお会いし話している最中にヒラメキがあって、俺も「ぶっかけめし」を「作って、食べて、考える」をやってみようかと、アレコレ「ぶっかけめし」をいじりまわしていて、最近は毎日のようにぶっかけめしだ。続
午後2:18 · 2021年4月15日

最初の写真は昨日の夕飯で、あったかいめしに、サバ水煮缶を汁ごとかけ、ありあわせのキムチとタラコとカイワレ少々ずつ、ポッカレモンをかけまわし、適当に混ぜながら食べる。無難な味(つまり近代風)の「ワンプレート・ノンクッキング」。続

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2枚目の写真は、先ほど食べたばかり。冷や飯に、市販のコールスロー、スライスしたキュウリとシラス干し、目玉焼をのせ、野菜ジュースとプレーンヨーグルトをかけ、ブラック・ペッパーをふり、適当に混ぜ合わせながら食べる。なかなかエキセントリックなワンプレート。

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ツイッターでは文字制限があるので面倒で書かなかったが、2枚目の写真の物もありあわせでつくったのだが、「無難な味」なんぞ無視している。とはいえ、シラス干しは余計だったし、何かが足りず、何を足せばよいかぐらいまでは見当がついた。

「ぶっかけめし」ではあるけれど、冷や飯の量は少なめにしてある。こうすると「めし」より「サラダ」に近い。「ぶっかけめし」と「サラダ」の境を越える。

めざすところは、「一汁一菜」だの「一汁三菜」だのという、ようするに「米の飯」を軸にした「和」の「形」とかいうものからの「離脱」あるいは「解放」でもあり、「和」と離れがたく結びついた「中」や「洋」の概念からの「離脱」あるいは「解放」でもある。

なーんてね。

これは、2020/10/19「料理や食事と、エンジニアリングやブリコラージュ。」に書いたことに関連する。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/10/post-197393.html

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2021/04/20

問題はタイトルだ。

タイトルを考えるのが面倒だから、昨日のタイトルをひっくり返した。

「タイトルが問題だ」と「問題はタイトルだ」とは、チョイと違う感じがする。だから、よいだろう。

5時半頃から約4キロ50分歩いた。最近は約5キロ50分が続いていたが、なんだか疲れているし足がむくんでいるのでね。無理はしない、がんばらない。だいたい鍛錬で歩いているのじゃないから。

冷え込み少々、晴れ。芝川の川の中に白鷺が一羽、立っていた。昨日の鵜といい、今日の白鷺といい、このあたりではあまり見かけない。

のち、朝飯くって薬1錠のんだ。

のち、といっても、一日が過ぎて、8時までに夕飯くって就寝前の薬1種4錠のんだ。

本の原稿、壁にぶつかり、進まない。悩んだり考えたりするとストレスになって身体によくない、ということにして、これも、無理しない、がんばらない。

今日のタイトルは、「無理しない、がんばらない」がよかったかもしれない。

埼玉県は、今日から「まんぼう」だと、市長が防災無線でいっていた。だから、どうしろというの。もう自分で出来ることは、一年前からやっているよ。

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2021/04/19

タイトルが問題だ。

ツイッターのばあい、いきなり、こう書けばよい。

朝飯くって薬1錠のんだ。5時15分から約5キロ50分歩く。少し冷え込み大気は水滴含みだったが太陽が昇ったあとは、たちまち晴れて霞の空。芝川に鵜にちがいないと思われるつがいが。このあたりに鵜が来るのだろか。でも、鵜に違いない。

ってことで、タイトルはいらない。

夕食のあとも、9時前までに夕飯くって就寝前の薬1種4錠のんだ。でよかった。

してみると、タイトルを考えるということは、それなりに意義がありそうだし、それを考えなくてすむということは、何かのチャンスを逸して、そのかわり何かを得ている。ってことになるのか。

そのプラス/マイナスなんか、誰にもわからない。

 

 

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2021/04/18

twitterから離脱。

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毎日、朝飯をくって薬1錠のんで、夕飯をくって就寝前の薬1種4錠のんで、そのことをtwitterでつぶやいていたのだが、今朝からtwitterにログインできなくなった。

というか、ログインしたままの状態で続けていたのに、勝手にログアウトになりログイン画面が出て、アカウントもパスワードも正確に入力しているのだがログインできない。

インターネットに接続しているもう1台のパソコン、別の部屋にある古いものだが、こちらはログインした状態のままだ。そちらを使ってパスワードを変更し、このパソコンでログインをやりなおしてみたが、やはり入れない。

だけど、古いパソコンは、すべての動きが重いうえに、キーボードがくたびれていてタイピングがサクサクいかないから、日常使う気にはなれない。

これは惰性で続けていたtwitterから離脱するよい機会かもしれない。そう考えて、成り行きにまかせることにした。

だいたい一昨年後半ぐらいからか?放置状態が多くなっていたのだが、去年の4月に癌を告げられてから、28日ごとに通院し検査と診療を受け、毎日薬をのむようになって、備忘ってわけじゃないが、ま、記録というか、飯くって薬をのんで歩いた、だけのツイートになっていた。

毎日見たいツイートがあるわけでもなかったし、あまり必要は感じず、なければないでよい。

だから、日本語もまっとうでないtwitter社の官僚的で身勝手な「ヘルプ」に従って、ログインをがんばる気にもなれない。

そういうこと。

それはそうと、いつもは早朝に歩くのだが、今日は昼間、かなりの距離を歩いた。

芝川沿いに下り、市民の森、さらに芝川沿いに下り、大和田公園から大宮第二公園、ひょうたん池を眺めながらビールのんで飯くって、大宮公園から氷川神社を通りぬけ、大宮から電車で帰って来た。10キロ以上は歩いているね。

薬の副作用を少なくしたり、薬の効き目をよくするためには、気分転換が必要らしいので、そのつもりもあるのだが、どのていど効果があるのかはわからない。

ま、今日は、チョイと風が強かったけど、晴れて気持がよかった。よい気分転換になった。たぶん。

9時ごろまでに夕飯くって就寝前の薬1種4錠のんだ。

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2021/04/13

「往復書簡」による間口の広さと奥深さ、平松洋子×姜尚美『遺したい味 わたしの東京、わたしの京都』

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「わたしの東京、わたしの京都を遺したい味で綴った本」というのが、この本の中身であり、「わたしの東京」を綴るのは平松洋子、京都を綴るのは姜尚美さんだ。

1月末発行で、その頃、姜さんからいただいた。

姜さんとは、前のエントリーで紹介した『雲のうえ』22号「うどん特集」で初めてお会いした。「うどん特集」は、姜さんとおれとで文を担当したからだ。

身体の調子もあったが、内容が濃いので、読むのに時間がかかった。

単なる「遺したい味」ではないこと、「往復書簡」という方法、「東京」と「京都」、平松洋子と姜尚美という組み合わせ、このあたりは企画レベルのことだろうが、とてもうまくいって、ふくらみがあって奥行きのある内容、「東京」と「京都」の違いはもちろんそのあいだにあることまで浮かんでくる面白さがある。

そびえたっている味、あるいは、そびえたっているように書かれた味ではなく、暮らしと絡みあっている「わたしの」「まちの味」が綴られる。

しかし、「わたし」と「くらし」と「東京」と「京都」の絡みぐあいは、ずいぶん違う。

姜さんは、京都市生まれで京都市で暮らす。平松洋子は、岡山県倉敷市生まれで、大学入学で上京したようだ。

とうぜん「味」も違えば、「味」とのふれあい方も違う。

それらのことによって生まれる、内容の濃さやふくらみは、一人のワザではできないことだ。

東京は新宿のハズレ2丁目にある「隨園別館」は、おれもかつてよく行った店だ。それが「新宿」にあることは自然だったし、行くと必ず食べたそこにしかない「合菜戴帽」も、そこにあるのが自然で、よく考えたことはなかった。そのあたりが、本書で合点がいった。

ご主人の張本さんは、こういう。

「高級な店って、つくろうと思ったら誰でもつくれちゃうと思うんです。でも、歴史の深い店は、すぐには絶対につくれない。みんな高級な方向を向きたがるけれど、うちは飾り気がなくて、ボロだけど味がよくて、歴史を感じる店になりたい」

合菜戴帽は高級な食材は使ってない。したがって、ときどき、家でもそのモドキを作って食べている。モドキであって、あの味には遠いが、うまい。

京都の「平野とうふ」では、姜さんが、こんなことを書いている。これは「ひろうす(がんもどき)」の話に続いてあるのだが。

「京都は分業制のまちです。着物でも、お菓子でも、お香でも、分業制の各段階で究められた仕事が折り重なるようにしてものが出来上がっています。それは「受注部分しか知らない」という分業ではなく、「全体を知りつつ、部分を担う」という分業のあり方です。それぞれの段階の職人が、「最終的にこうなってもああなっても大丈夫」という練度の高い余白を持たせた仕事をした結果、「なんとものういい(なんとも言えずよい)」、濃密な余白を持つものがそこに出来あがるわけです」

なるほどねえ。

「鼻息荒く商うのではなく、むしろ気配を抑えて土地の力に委ねてきた」(グリル富久屋/京都・宮川町)という言葉にも通じるようだ。

鼻息荒く自己主張する仕事がぶつかりあう東京と、京都はだいぶ違うのだが、平松洋子の「わたしの東京」は、けっして鼻息荒くない。

ただ、東京は、全体像がわかりにくくなっているし、余白がすくなくなっている、そういうことも感じる。そこに「わたしの東京」があるわけで。

平松洋子は長く住んでいる西荻窪の「しみずや」というパン屋を綴るときだけ、「わがまち」という言葉を使っている。

姜さんが、自分の暮らしがしみこんだような、分業制の網の目のようなまちを、自転車に乗ったり、あるいは闊歩し、うまそうに食べているようすが目に浮かぶ。

鼻息荒くないデザインと写真もいい。

淡交社 2021年1月30日発行。
デザイン 有山達也、岩淵恵子、中本ちはる(アリヤマデザインストア)
写真 キッチンミノル(東京) 佐伯慎亮(京都)

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2021/04/11

一年ぶりの『雲のうえ』33号に、身体がゆさぶられた。

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きのう紹介した『四月と十月』と一緒に北九州市のPR誌『雲のうえ』33号が届いた。

32号の発行が2月末で、そのあと新型コロナ感染拡大がドンドン進行。たしか最初の緊急事態宣言の最中だったと思うが、編集委員の牧野伊三夫さんと電話で話したときだったか、「雲のうえ、次号どうなります?」と聞いた。なにしろロケハンから本番まで、取材で、すごく動き回るのだから、どうするのだろうと思ったのだ。

そしたら、「これまでの読者からのおたよりでつくる」というような返事があった。

おお、その手があったか。

それが出来あがったのだ。3月末の発行。

編集委員に復活した大谷道子さんによる巧みなラジオのDJのノリのリード文に続き、読者のおたよりが紹介される。という仕掛けもよい。

「特集 皆さまからの おたよりで綴る 「雲のうえから こんにちは」」

――いきなりですが、
岩手県盛岡市在住・56歳女性からのおたよりをご紹介します。タイトルは「忘れていました」。

と、読み上げられる。いや、書き始まる。いや、読み上げられる。

「コロナ騒ぎで、北九州の皆さんも大変だと思います。私もすっかり『雲のうえ』のことを忘れていました。困った状況が続く中にあっても、『雲のうえ』をなんとか続けてほしいと願っています」

――思い出してくださって、ありがとうございます。

このように進行するのだが、本誌は創刊から15年だそうだ。

ほんとに、こんなふうに思い出してもらえるなんて、編集者冥利だろう。表紙の牧野さんによる版画では、アートディレクションを担当する有山達也さんと思われるひとが、おたよりを見ながら涙を流している。ウルウルウル。

そして、読んでいくうちに、おお、そんことが載っていたか、ああ、あそこ行きたいなあ~、と、バックナンバーを探し出し、見入ってしまい、なかなか前へ進まない。

「特別企画 北九州「あの人」はいま」では、18号「北九州市未登録文化財」に登場した、「デコチャリ」少年のイマが。

17歳だった彼は、あれから8年、25歳になり、運送会社に勤めながら、デコチャリから「祖父の持っていた古い軽トラを改造」したりして、現在は愛車2トントラックを改造中。今後の夢を尋ねると、「とりあえずいまの車をコテコテに飾りたい。車をずっと改造するのが永遠の夢……みたいな感じですね」と。

15号から32号までの「おたより」が、号をさかのぼりながら2通ぐらいずつ紹介されたのち、「ああ、懐かしの 北九州 あの店・あの人・あの場所」「『雲のうえ』読者の大意識調査 北九州って どんな街」「人に物語あり、はがきに人生あり 私と北九州」そして、「15年?いやいや100年続けよう 『雲のうえ』にお願い!」とテーマ別に展開する。

順に読んで、「人に物語あり、はがきに人生あり 私と北九州」にいたると、表紙の画のように感動に涙腺が刺激される。ウルウルウル。

「地に足を着けて、しっかり生きていきましょう。そんなことを『雲のうえ』読後に思いました」といったおたよりがもらえるなんて、(たかが)フリーペーパーのPR誌なのに、すばらしいことだと思う。

「100年続けよう」というのも、編集サイドの手前みそではなく、読者の言葉なのだ。そっくり引用させてもらおう。

「やあー、早いもので28号ですか。1号からずっと愛読していますよ。はじめて出したおたよりが掲載されたのが第3号でした。/当時47歳、あれからもう11年、子どもだった、少女だった娘たちもいまや成人して社会人。歳月を感じます。これからも50号、いや、いっそのこと100号を目指して気張ってください。チェストですよ。(福岡県遠賀町・58歳男性)

おれが文を担当したのは、2007年の5号「食堂特集」と2015年(取材は2014年)の22号「うどん特集」だった。おれにとってはめったにない、いい経験をさせてもらったし、わずかでも編集委員や読者や北九州市のみなさんと『雲のうえ』に参加できたことがうれしい。感謝。

悲しいこともあった。

最後のページに、「編集委員より感謝を込めて」では、牧野伊三夫さん、有山達也さん、大谷道子さんがお礼を述べ、そして「お知らせ」があって、前号32号が最後の仕事になった、つるやももこさんが亡くなったことを告げている。

つるやももこさんは、創刊号から編集を担当していた大谷道子さんに替わって、編集委員になった。

今号では、復活した大谷道子さんの文による、「街のうた/街で、ひとり」も復活。しなやかな視線と名調子も円熟期へ。

読者の「おたより」だけでも、楽しく味わい深い、ほんとお得な一冊です。

当ブログ関連
2020/06/13
突然、つるやももこさんの訃報。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/06/post-451eb9.html

 

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2021/04/10

画家のノート『四月と十月』44号、「理解フノー」連載25回目「エビデンス」。

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4月早々に『四月と十月』44号が届いた。

表紙の写真(撮り方がマズくて斜が入ってしまった)、左・表1、右・表4。内沼晋太郎・カンナ夫妻のお子さん、文蒔くん「生まれて三年半にして初めて筆を持った」。

年齢を知らないで、この絵だけを見た人は、なんというのだろう。おれは生まれて3年半のひとの絵とは気づかなかった。

この号から表紙のタイトル・ロゴが消えた。この号だけデザインの関係で使わなかったのかと思ったが、ちがうらしい。

というのも、「送付状」のようにはさみこんであったレターに「今号から、作品をあるがままに見せるために、創刊以来ずっと入れていた表紙のロゴを取って、書名、号数は背表紙のみに小さく記すことにいたしました」とあるからだ。

同人のみなさんの作品と文、あいかわらずおもしろい。ただ、チョイとそこはかとなく閉塞感が漂っているように感じたのは、コロナ禍の影響か。それとも、当方の気持の問題なのか。

おれの連載「理解フノー」は25回目で、タイトルは10年前の東京電力原発事故から今回の新型コロナ感染拡大の中でハヤリ病のように拡散した言葉「エビデンス」。

おれの生活も、この1年28日ごとに通院し、検査を受け注射をし毎日薬を飲む、「エビデンス漬け」だった。

てなことで、「エビデンス」について思うところを書いてみた。

「エビデンス」という言葉が盛んに使われていた去年、このブログでも言及していて、そこからも引用した。

2020/04/11
「塩と食のお話」で「塩にぎり」。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/04/post-5ad531.html

2020/06/02
きのうのつづき。「台所」と「科学」と「芸術」。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/06/post-405fcc.html

コロナ禍のため開催が1年延びてしまった、「四月と十月創刊二〇周年記念全国巡回展」は、今月6日、東京銀座の月光荘画材店からスタートしている。詳しくは下記リンク。無事に完遂できますように。
http://exhibition.4-10.sub.jp/

 

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2021/04/09

小沢信男―長谷川四郎―平野甲賀―エヴァンゲリエ。

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2021/03/25
今月もおわる。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2021/03/post-041e37.html

に書いたように、3月3日に亡くなられた小沢信男さんにいただい本、『捨身なひと』(晶文社2013年12月20日発行)と『本の立ち話』(西田書店2011年3月6日発行)を読み返したら、どうしても長谷川四郎の作品が読みたくなった。

図書館で検索すると、「シベリヤ物語」や「鶴」など、小沢さんが「ドキュメンタルな小説群」とよぶものは『長谷川四郎全集』で読むしかないようだ。ついでに全部読んでやろう。

全集は書庫入りしていたから、係の方に出してもらった。一目でわかる平野甲賀のブックデザインだった。

平野甲賀は小沢さんのあと、3月22日に亡くなられた。

1巻に収録の「シベリヤ物語」を読んでいたら、「エヴァンゲリエ」という言葉が出てきた。ちょうどネットでは「エヴァンゲリオ」とか「シン・エヴァンゲリオ」とかいう言葉が飛び交っていた。

「ゲリエ」と「ゲリオ」一字違いだが、関係あるのだろうか。「ゲリオ」のほうは、まったく知らないというか、関心がなかった。

「ゲリエ」について、こんなふうに書かれている。

シベリヤに抑留中の「私」は、ある鍛冶工に「あなたは神を信じますか?」という。
彼は「もちろん信じます」
「教会へ行きますか?」
「行きます。しかし、それは古い正教の教会ではありません。あれは堕落したものです。あれは坊主がウオトカを飲む為のものです。私の行くのは普通の家です」
十字架のついていない、普通の家。そこに集まる。坊主などいない。普通の労働者が集まった人たちを指導する。
「そんな宗教があるのですか?何と云う宗教です?」

 「エヴェンゲリエ」と彼は言った。「戦争前からありましたが、アメリカから来たそうです。戦争中アメリカは要求した――政府がこの宗教の邪魔をしたら、アメリカはソビエトの援助をしない、と。それで戦争中にだんだん増えました」
 私は黙って考えた、このアメリカとは何者だろうかと。

「エヴァンゲリエ」とはなんだろう。
ネットの検索では、「ゲリオ」ばかりで、わからない。
アメリカが何者かなんか永遠にわかりそうにない。人種、宗教、思想、武器…などのごった煮だ。

それにしても、長谷川四郎、このリアリスト、このリアリズム。おれは全身をわしずかみにされた。

丁度、この数日、体調優れずごろごろしていたので、1巻は読み終え、いま2巻目の「鶴」を読んでいる。

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