一年ぶりの『雲のうえ』33号に、身体がゆさぶられた。
きのう紹介した『四月と十月』と一緒に北九州市のPR誌『雲のうえ』33号が届いた。
32号の発行が2月末で、そのあと新型コロナ感染拡大がドンドン進行。たしか最初の緊急事態宣言の最中だったと思うが、編集委員の牧野伊三夫さんと電話で話したときだったか、「雲のうえ、次号どうなります?」と聞いた。なにしろロケハンから本番まで、取材で、すごく動き回るのだから、どうするのだろうと思ったのだ。
そしたら、「これまでの読者からのおたよりでつくる」というような返事があった。
おお、その手があったか。
それが出来あがったのだ。3月末の発行。
編集委員に復活した大谷道子さんによる巧みなラジオのDJのノリのリード文に続き、読者のおたよりが紹介される。という仕掛けもよい。
「特集 皆さまからの おたよりで綴る 「雲のうえから こんにちは」」
――いきなりですが、
岩手県盛岡市在住・56歳女性からのおたよりをご紹介します。タイトルは「忘れていました」。
と、読み上げられる。いや、書き始まる。いや、読み上げられる。
「コロナ騒ぎで、北九州の皆さんも大変だと思います。私もすっかり『雲のうえ』のことを忘れていました。困った状況が続く中にあっても、『雲のうえ』をなんとか続けてほしいと願っています」
――思い出してくださって、ありがとうございます。
このように進行するのだが、本誌は創刊から15年だそうだ。
ほんとに、こんなふうに思い出してもらえるなんて、編集者冥利だろう。表紙の牧野さんによる版画では、アートディレクションを担当する有山達也さんと思われるひとが、おたよりを見ながら涙を流している。ウルウルウル。
そして、読んでいくうちに、おお、そんことが載っていたか、ああ、あそこ行きたいなあ~、と、バックナンバーを探し出し、見入ってしまい、なかなか前へ進まない。
「特別企画 北九州「あの人」はいま」では、18号「北九州市未登録文化財」に登場した、「デコチャリ」少年のイマが。
17歳だった彼は、あれから8年、25歳になり、運送会社に勤めながら、デコチャリから「祖父の持っていた古い軽トラを改造」したりして、現在は愛車2トントラックを改造中。今後の夢を尋ねると、「とりあえずいまの車をコテコテに飾りたい。車をずっと改造するのが永遠の夢……みたいな感じですね」と。
15号から32号までの「おたより」が、号をさかのぼりながら2通ぐらいずつ紹介されたのち、「ああ、懐かしの 北九州 あの店・あの人・あの場所」「『雲のうえ』読者の大意識調査 北九州って どんな街」「人に物語あり、はがきに人生あり 私と北九州」そして、「15年?いやいや100年続けよう 『雲のうえ』にお願い!」とテーマ別に展開する。
順に読んで、「人に物語あり、はがきに人生あり 私と北九州」にいたると、表紙の画のように感動に涙腺が刺激される。ウルウルウル。
「地に足を着けて、しっかり生きていきましょう。そんなことを『雲のうえ』読後に思いました」といったおたよりがもらえるなんて、(たかが)フリーペーパーのPR誌なのに、すばらしいことだと思う。
「100年続けよう」というのも、編集サイドの手前みそではなく、読者の言葉なのだ。そっくり引用させてもらおう。
「やあー、早いもので28号ですか。1号からずっと愛読していますよ。はじめて出したおたよりが掲載されたのが第3号でした。/当時47歳、あれからもう11年、子どもだった、少女だった娘たちもいまや成人して社会人。歳月を感じます。これからも50号、いや、いっそのこと100号を目指して気張ってください。チェストですよ。(福岡県遠賀町・58歳男性)
おれが文を担当したのは、2007年の5号「食堂特集」と2015年(取材は2014年)の22号「うどん特集」だった。おれにとってはめったにない、いい経験をさせてもらったし、わずかでも編集委員や読者や北九州市のみなさんと『雲のうえ』に参加できたことがうれしい。感謝。
悲しいこともあった。
最後のページに、「編集委員より感謝を込めて」では、牧野伊三夫さん、有山達也さん、大谷道子さんがお礼を述べ、そして「お知らせ」があって、前号32号が最後の仕事になった、つるやももこさんが亡くなったことを告げている。
つるやももこさんは、創刊号から編集を担当していた大谷道子さんに替わって、編集委員になった。
今号では、復活した大谷道子さんの文による、「街のうた/街で、ひとり」も復活。しなやかな視線と名調子も円熟期へ。
読者の「おたより」だけでも、楽しく味わい深い、ほんとお得な一冊です。
当ブログ関連
2020/06/13
突然、つるやももこさんの訃報。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/06/post-451eb9.html
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